中島家農業洗場

中島家「農業用洗い場」跡

呑川流域の久が原附近は、明治以前から昭和初期までほとんどが水田でした。呑川の道々橋付近から取水した用水路が池上付近まで流れ、この地域の水田はすべてこの用水を利用していました。ところが、大正期から始まった耕地整理事業により、昭和10年(1935年)代にこの用水路は廃止されて道路となり、この地域の水田は畑地となりました。現在の東急ストア前の道が用水路の跡です。 

その後も、中島家は、呑川右岸のこの地で2009(平成21)年まで畑作を続け、ここには、収穫した野菜を洗う洗い場が設けてありました。当初、この水には、中島家の台地側から流れ出る湧水を使っていましたが、下水道敷設工事によって取水できなくなったため、井戸を掘り、水を入れていました。なお、井戸の水は、畑全体に灌水する際にも利用されていました。

中島家の畑作の中止によって、呑川右岸の畑地はすべてなくなりました。

中島家「農業用洗い場」跡(提供「呑川の会・大坪庄吾」: 2004年8月19日撮影)