7月28日(木)
5:45 villafranca de los Barros
→15:15 Torremegia (35km? )
/ Hostal Milenium泊
5時に目覚ましをかけ、ゆっくり支度をして5時40分に出発。
昨日あらかじめ宿の女主人に聞いておいた通りにスムーズに進む。このホテルの場所が巡礼路な上、町の出口に近かったので助かった。
しかし、更に行くと道は二つに別れていた。 いったいどっちなのだろうか。矢印は見当たらない。
ここを通るのは普通車の他に、大きな音を立てて列をなしてゆっくり走ってくる戦車のような部隊。
運転席がむき出しになっていて、すごい音なのだが、これは葡萄畑の農薬をまくための車だと、あとでわかった。
考えていると、その先頭車両のおじさんが左方向を指差す。 見ていると、その後ろから来るおじさんも次々と左を指差していた。
そうか、左に行けってことなのか。 またしばらくして左右から道が出てきた。 何も書いていなければ『直進』と決めた通
り歩いていくと、矢印を発見してとてもうれしくなる。
ここで矢印を発見することが、何よりも安堵感をもたらしてくれるのだった。
少しづつ明るくなってくると、このあたり一面
が葡萄畑だということがわかる。
葡萄畑は延々とどこまでも続く。
こんな光景を見たのも初めてだった。
時々感動して足を止めて写真を写した。 葡萄の葉の緑はとても明るくていい色だ。
葡萄の木にまじって、時々オリーブの木がある。
オリーブの木陰は風が通って気持ちがいい。
その下にシートを敷き少し寝てみる。最高のベッドだった。
何時間も今日は葡萄畑の中を歩くのだった。見晴しはいいし、人はいなくても恐いということはなかった。
しかも今日も少しだけ雲がある。よ〜し、この雲を味方につけ、30km歩くことにしよう。
葡萄畑を過ぎると列車に遭遇、そのトンネルの下にはとてもわかりにくい矢印が書いてあった。 → と → の上に×印がしてあるもの。そして こんな↑も。これじゃあ混乱してしまう。 そこへトンネルの向こう側に車が止まった。そして私を見てこっちだと呼んでいる。
トンネルをくぐるとすぐに町が見えてきた。
今日はとてもスムーズだった。
しかし目的の町に着いたのは午後三時の真っ白い時間帯だった。 この時間のスペインの中・南部の町の家々はシャッターが下ろされ、無気味なほどに静まり返っている。歩いている人はほとんどいない。
距離が長いのと歩ける時間が短いので、たいていがこの時間帯に着く。
旅人にとっては最悪の時間帯だった。 ちょうど3時を知らせる鐘が鳴る。この音を目指せば教会があるはずなので、よ〜く音を聞き分けようとするが、あっという間に鐘の音は消えてしまった。
開いているバルを見つけ、喉を潤す。そして教会とアルベルゲの場所を聞く。 その方向に歩いてもなかなかみつからない。人に聞いても狭い町なのにみつからないのだ。
そのうち3時半の鐘が鳴る。その音に頼って歩いてみたが、再び人に聞いてやっとのことで教会とその隣にあるアルベルゲに到着した。
鍵がしっかりかかっている。しかし誰も泊まっていないなら、こんなところに一人で泊まるのはごめんだった。
町の中とは言え、静かすぎてこわい。
とりあえずここの鍵を持っている警察に行ってみたが、ここも閉まっている。
私のガイドブックによると、『この町にはアルベルゲがある。ホテルはあったが今は閉まっている』とのこと。
近くのベンチに座り、ミカさんに電話することにした。
もうここから二十数キロでミカさんがいるメリダである。私は明日一気にメリダより更に一つ先の村まで行きたかった。
それには明日、やはりミカさんにも十数キロ歩いてもらわなければならなかった。
明日私はなるべく早くここを出て、メリダに行き、数時間観光した後、その次の村でミカさんと待ち合わせることにした。
ベンチで休んでいたら、警察の二階の部屋が賑やかになってきた。もしかしたら開いたのかもしれなかった。
時間は午後5時。 二階に行ってみると、部屋にミシンやアイロンが置いてあり、10人くらいの女性が、わいわいと働いていた。今まさに昼休みから戻ってきたところだった。
ここが警察じゃないとわかると私は下におりていった。そして下でうらめしく建物を見ていたら、二階の窓からおばさんが顔を出して、上がっていらっしゃいと言う。
もう一度上がっていくと、椅子を出してくれ、ここに座って警察が開くまで待っていなさいと言う。
私は言われた通り、静かに座りながらおばさんたちの働きぶりを見学させてもらった。
まじめに動いている人もいるけれど、おしゃべりがすごい。誰も監督者もいないので、みんな好き放題やっている。
私を呼んでくれた人は年齢的には上の方ではないが、しっかり者のようで、みんなを助けている。
近くにいたおばさんが話しかけてきた。するとみんなに大声で、
「Sevillaから歩いてきたんだって!今日も30km歩いたんだって!!!」
私が座りながら足をマッサージしていると、太ったおばさんがきて、洗面所で足を洗っていらっしゃいと言ってくれた。
水に足を浸すだけで気持ちがいい。
やっと落ち着いたので考える余裕が出てきた。 もしかしたらこの町にホテルがあるかもしれない、閉まっていたホテルもやっているかもしれない。
おばさんに聞いてみると、
「あるわよ、ここから100m行ったところ。」
わぉっ!私は荷物をここに置かせてもらって、様子を見に行くといってでかけた。
同じ通りを歩いて行くと、ホテルの看板が見えてきた。バルの二階だった。 泊まれることがわかると、荷物をもってすぐに戻ってくるからと言い残し、おばさんたちの工場へ戻った。
もうすでに5時半、最初からこのホテルの存在に気が付いていれば二時間以上早く休めたのに。でも、そうしたらこのおばさんたちに会えなかった。
工場に戻ると、ホテルに行くことを告げ、お礼を言い写真を撮らせてもらうことにした。
おばさんたちは大騒ぎで集まってくる。
そして全員に見送られながら階段を下りて行った。
ホテルの部屋は小さかったが何もかもがコンパクトに詰まっていた。
シャワーを浴びてさっきのバルにもう一度行くことにした。
メニューが気になっていたからだ。蛸や海産物の写真があった。
今日はゆっくり食事がしたかった。 ふと見ると、バルの向かいの警察がやっと開いている。二階にはあの賑やかなおばさんたちが働いている。
警察へ行きスタンプをもらいながら、たった一人の駐在のおまわりさんと話をする。
二階のおばさんたちのお陰でこの町にいることがとても楽しくなっていた私は気持ちがとてもオープンになっていた。
バルに行くと、まだ食事ができないという。今食べられるものと言ったらボカディージョ(サンンドウィッチ)だけ。
それでも食べる気満々だったので、メニューにはないチーズ入りオムレツサンドを頼む。
とても大きかったので、残そうと半分に切ってもらった。 チーズが熱で溶けかけてとてもおいしい。
残そうと思った分まで食べてしまった。
スーパーで買い物をしホテルに戻る。バスタブに水を張って足を浸しながらたまっていた日記を書いた。
一時間も足を浸していただろうか。また12時になってしまった。
あわてて眠りにつく。





























7月29日(金)
5:45Torremegia→ (11:30Merida観光15:10)→21:00
Aljucen (32 km)
/Casa Rural 泊
昨日は厳重に下見をしておいたとおり歩いていく。
車道から田舎道に入るところを、わざわざ歩いてここまで昨日見ておいたのだ。
一人ならこのくらいしておかないと、町を出ることすらできない。
宿を出てから日の出までの間どのくらい歩けるかがこの道の勝負どころなのだ。
順調に田舎道に入ったものの、目の前に立ちはだかったのは橋のない小川だった。
暗いからどのくらい深いのか、幅があるのかもわからない。 真っ暗な中、途方にくれた。
この中を闇雲に突き抜けるべきか。
しかし道は他にどこにもない。数メートル向こうの上に、幹線道路が見えていた。
考えた結果、少しでも安全な幹線道路に戻ることにした。 しかし道路にあがるには急勾配の長い傾斜を登らなくてはならない。
リュックを持ったまま登るのは困難で、すぐに下へ下がってしまうから、勢いをつけて一気に上まで上がり、そこにあった小枝でも草でも掴む。するとその葉は刺だらけ。こんな仕打ちってあるだろうか。
この辺りの草は刺だらけ。転ぶこともできない。もう少しで下に落ちてしまうところだったが、がんばってガードレールにしがみつく。
ガードレールを越え車に気をつけながらしばらく車道を歩き、先ほどの田舎道を見失わないように歩く。
いったいこんな真っ暗がりの中、一人で何をやっているのだろう。
Meridaに着いたのは11時半だった。
ここはローマ遺跡が多く残る街で、銀の道の要所でもある。 街に入るためにりっぱなローマの橋を渡る。活気があって楽しそう。
インフォメーションへ行き地図をもらい観光名所を聞き、荷物を預けるところはないかも聞いたが、可能性としては町外れの駅にでも行かないとないという。
この荷物を背負いながら観光するのはちょっと疲れる。
街のあちこちにローマ時代の建築物がある。
まずは円形劇場とローマ劇場を目指す。この二つは隣り合わせになっている。 賑やかな通
りを抜け劇場の入り口に着くと、私の大好きなプチ・トランがあるではないか。 街を観光するミニ列車である。
荷物を預けることもできないままリュックごとプチ・トランに乗る。 これに乗ってしまえば休みながら街をめぐってくれるのだ。
後ろの子供が大はしゃぎ。みんなに「オラ!」とかわいい声で呼びかけている。 私はお菓子を食べながらゆっくり街をながめる。いいなぁ。歩かなくても移動できるなんて!
そして列車は再び劇場の前へ。
入場券を買って中に入ると入り口で呼び止められた。
「その荷物をここに預けていかなきゃだめだよ。」
願ったりかなったりであった。
荷物に解放されて気持ち良く二つの劇場を見学する。
広々として気持ちがいい。 全体を見渡すときれいな楕円を描くだけのシンプルなものな。近くで見ると緻密な石造り。ローマ時代の英知と美的感覚に感心する。
上へ行ったり下に降りたり、迷路のような二つのローマ遺跡をゆっくり見ているうちにとても気分が良くなってきた。
出口に近い木に囲まれた公園のベンチで一眠りすることにした。 そして荷物を受け取り、水道橋に向かって歩く。ここが街の終わり。
このまま街を出るためだった。
しかしその前に私の心にポンと入ってしまった看板があった。 中華料理店の看板だった。ドアを押してみると感じのいいレストランだった。
コースメニューで中華のサラダ、ビーフのチャップスーイ、チャーハン、デザート、飲み物がつく。どれもおいしくて、残さずたいらげてしまった。
水道橋は私が一番楽しみにしていたものだった。
ガイドブックで写真を見ていて行ってみたかったからだ。
ところどころ朽ちかけて欠けているこの水道橋は写真以上に美しく、その近くに行き、また手前の橋を渡りながら眺めてこの街に別
れを告げた。
さあ、ミカさんと待ち合わせたAljucenまではここから十数キロメートル。
いつ着くかわからないけど、ミカさんが宿も取っておいてくれるだろうし、なんとかなるだろう。
歩いていくと湖があった。まばらだが海水浴をしている家族がいる。 湖のほとりで少し休んでまた歩き出した。
そしてAljucenの村へ。
今日の宿はcasa rural。安い値段で古い民家を改造した家に泊まることができる。
『銀の道』にもいくつもcasa rural があった。 部屋数は少ないが、アットホームでおすすめである。
ミカさんは、あれから風邪を引いてゆっくり休んでいたという。(私がうつしたらしい)
それでも元気で
「もうゆっくり休んだから明日から歩けるよ。」
と言ってくれた。 良かった! もう夜の9時に近かった。
この3日間で100km以上歩いたため、相当消耗していた。
ゆっくり湯船に浸かってのんびりした気分になる。
庭には緑の無花果がある。私の大好物だ。暗がりの中、手探りで取っては食べた。
おいしい!こんな幸せなことはない。
この宿は、二人の女性がボロボロの古い家を買って、少しづつ直したものだった。
内装もとても素敵だった。
その一人のエレナは、この宿に泊まった日本人は私達で二組目。二年前に女性が二人で泊まったのよと言う。
彼女はフォトグラファー。飾ってある写真や絵を描いている。



































7月30日(土)
04:30 Aljucen → 19:30 Aldea
del Canol (35.2 km)
/ Casa Rural 泊
両足の小指の外側がマメで大きく膨らんで、とても靴を履ける状態ではない。
今日は一日サンダルにする。
ミカさんはとても調子がいい。 私の前を歩く彼女の足跡を追いかける。誰も歩いていないと言われるこの道にもいくつもの足跡が残されている。
雨も降らないから一か月前のものかもしれないが、足跡は矢印と同様、私をどんなに安心させるものか。
自転車のタイヤの跡もある。
『 銀の道』はアスファルトを歩くことも多いが、こんなCaminoらしい田舎道では足跡があたたかく、人が何年も何年も踏み締め固めた道は、アスファルトで一晩で作った道にくらべ、手作りのぬ
くもりがある。
そして足跡は大きいものもあり、その歩幅は私の二倍もある。どんな人なのだろうか・・・。
バルで軽いランチにする。 小さいイカの串刺し(おいしい!)トルティーヤ、飲み物はたくさん。
すでに日差しが強い。
少し先を歩くミカさんが牛の横を横切る。牛はミカさんにくっついて歩く。
「ついてこないでね。」
牛は止まる。
のどかな風景だ。
今日はミカさんは休むことも少なくどんどん進んで行く。
私もつられて進んでしまったが、サンダルを履いていたために巨大なマメができてしまった。
目的の町に着いたが目指すcasa ruralがどこにあるのかわからない。 通りがかりの人に聞くと、一緒に町の広場に連れていってくれ、宿はその広場に面
していおり、鍵も探してくれた。 そこには誰も住んでおらず、後で主人が来るということだった。
私は疲れていて外に行きたくなかったが、ミカさんがご飯を食べに行こうよ!と誘ってくれた。
できれば寝ていたかったが、広場にはバルがある。
そこには食べ物はオリーブくらいしかなかったけれど、町の人々が集っていて、とても気分の良い夜だった。
疲れていたけれど、部屋に閉じこもるよりも、こんな風に当たるのもいいものだ。
今日は36.6km。ミカさんもがんばった。



































7月31日(日)
05:00 Aldea del Canol → 15:30
Caceres (22,8 km)
/ Hotel ALFONSO 泊
この日のことを私は忘れない。
暗がりの中歩いていく。
途中までは良かった。昨日聞いていた通り進むことができた。
しかし、途中から道の工事をしているのか、道が途切れてトンネルに入る道しかない。
かといって、トンネルへの矢印もない。
この道しか行けないのだから突き進むしかない。 行けども行けども矢印は見当たらないが、この道しかないようなのだ。
やっと少し薄明るくなった頃、羊飼いのおじさんに会う。
地図を見せて行きたい場所を言うと、地面に地図を書いてくれ、飛行場を横切って行くんだよと、違う方向を指差した。
すでに3〜4kmむだに歩いてしまった。
仕方がない。言われた方向に向かった。
『銀の道』を歩くのは大変だ。矢印の不足から、少々矢印がみつからなくても、それが普通
だったりする。
フランス道だったら、200メートルも矢印がなければ戻るのが常識だが、ここではきまぐれにある矢印を発見することがとても難しいのだ。
また、道は常に工事などもあり、変わっていく。その後の巡礼者のためのメンテナンスもない。
どんどん歩いて全く反対の方へ行ってしまったら・・・という恐怖は常につきまとう。
何キロも歩いても村も民家もないようなこのエストレマドゥーラ地方。
この地方が一番難しいとも言われている。
この後も、飛行場に行ったものの、その敷地から出られなかったり、まだ作りかけの大きな道路の上をこっそり歩いたり、それでもなんとかCaceresの一つ手前の村にたどり着いた。
この村でリュックを背負っていない軽装の5人組の巡礼らしきグループに出会う。
さらにCaceresに向かっていると、さっきの5人が後ろから来た。
私が分かれ道で迷っていると、遠くから
「そっちじゃないよ〜!」
と教えてくれる。 やる気のない巡礼者かと思っていたら、ずいぶん詳しいではないか。
そして話しかけてきた。5人のうちの4人は、もう今日で帰るという。
その中でたった一人リュックを背負っている女性だけがSantiagoに向かうのだという。
その女性の名はイサベル。
去年の夏、やはりフランス道を歩いたとう。私とは10日違いだった。
「Caceresに行ったらこのアルベルゲに泊まるのよ。二つあるのだけど、こちらの方がいいの。今夜ゆっくりお話しましょう。」
親切なのだか強引なのだかよくわからなかった。
しかしこの女性の出現が、私たちの旅を根本から変えてくれたこの旅で一番の女神様だったのだ。
早朝のミスで二時間近くロスをした。
そのため暑い盛りにたくさん歩かなくてはならず、心身ともに疲れていた。
Caceresに入ってからさえもなかなか街の中心に出ないことに疲れきっていた。
頻繁に走るバスに飛び乗りたくもなる。
今までこんな風に思ったことはなかった。
そして急勾配の坂。
やっとたどり着いたアルベルゲのベルを押したが誰も出ない。
待てどくらせど誰もいないのだ。
ふと上を見ると、ポストのところに一枚の名刺がくくりつけられていた。
『日本人の巡礼者へ』
と書かれている。早速手に取ると、さっき会ったイサベルが残したメッセージだった。
『もし良かったら私が泊まっているホテルにいらっしゃい。ツインで63ユーロ、もし泊まらないのなら
Buen Camino(良き巡礼を!) きっと明日どこかで会うでしょう。』
その名刺はホテルのものだった。そして街の地図まで付いていた。
これを持ってホテルに行ってみる。 イサベルという人が来ているか聞いてみたが、受付の人はファースト・ネームしかわからない宿泊人を調べることなんてできないといった顔で協力的ではなかった。
とにかくイサベルが来たら私たちの部屋に連絡するようにと頼んでおく。
Caceresは素晴らしい街だった。
やはりここもローマ、イスラム、レコンキスタの文化と歴史を受け継ぐ。
Caceresの街へ出て少し観光をする。カテドラルではちょうど、ミサの時間だった。
そして広場に面するバルへ。 ここであれもこれも食べたい欲求が高まり、思い付くものを注文していく。
ミカさんが言う。
「私、一日15kmしか歩けないの。これから時々バスにも乗るかもしれない。」
何を言い出すのかと思ったら、もっとゆっくり歩きたいと言う。
私にとっては二度目の(Meridaまでバスで行くと言われた以来)衝撃的な発言だった。
「でも昨日は調子が良かったじゃない!?」
と私。 ミカさんは
「あれはカラ元気だったの・・・」
「・・・・・・・・?。」
ミカさんは私のことを、無理をしてでも何かを達成させたい人と映るらしい。確かに私は無理をする。自分の可能性を広げるためには、無理もしなければならないと思っているから。そして達成したいという思いが強いから。
でも、ミカさんはもっと旅行を楽しみたいのだと思う。
確かにこのペースでは、毎日疲れ果て、せっかく素敵な街を訪れても充分な観光もできないし、道を楽しむこともできない。
この日は一番気持ちが弱気になっていたかもしれない。 朝から道は迷うし、午後からのヒートアップはきつかった。おまけに足の裏の指の付け根全体に痛みがある。無理して歩き続け、炎症を起こしているに違いなかった。
マメもすごい。今日のマメは記録的だった。直径3.5cm、高さ0.9cm。中から水を出したら噴水のように吹き出した。風邪もまだ完全に治っていないから坂道などは呼吸が苦しくてのど飴を手放せない。お腹の調子も悪くてふらつく。
何一ついいことなんてないように思えた。
それでも巡礼をやめようと思ったことはなかった。
常にSantiagoへ行くつもりだった。
しかし、こう言われては私も考えてしまう。
楽しむために旅行に来ているのだ。 苦しみを味わうために来たのではない。
ミカさんへの責任も感じていた。
また、一人で歩くにも自信がなかった。 今日のように二人でも迷うことがあるのだ。
一人でまた、真っ暗やみを歩くことを想像したら悲しくなった。 先日は3日だけだから頑張れた。本当はとても心細かったのだ。
そうだね、ここで気持ちを切り替えようか。
もっと楽しんで歩く。だから一日15kmくらい。
陽が昇ってから歩き出せば迷うことも少ない。 せめてアストルガまで到達できたら、新しい道を歩けたというだけでいいじゃないか。
アストルガに入っても時間に余裕があれば、あの愛に満ちたフランス道を進めば何の心配もない。
時間がなくなって行けなかった分は来年また一緒に行こうと。そんな風にも話し合った。
でも、次に私から出てきた言葉は・・・
「結局この計画は失敗だったということね。」
ミカさんは、
「失敗とかそんなんじゃないよ。」
そう、わかっている。なにもSantiagoへ着くことだけが全てじゃない。 私の計画では到着できるはずだった。しかし暑さのために長時間歩けないというのは誤算だった。
頭の中は、Meridaからのスタートにしておけば、到着できたかもしれない・・・とか、後悔がつのるばかり。
それでも私の気持ちはついにミカさんと一緒にゆっくり歩いて楽しんで、また続きはいつか歩こうと決めたのだった。
ホテルの部屋に戻る。
もう10時頃だっただろうか。 電話が鳴った。
イサベルからだった。
「今お話する時間はあるかしら?もしあるならあなた達の部屋に行っていいかしら?それとも私の部屋の方がいいかしら?」
彼女のこの言い方に私は感心した。強引で強い女性というイメージがあったが、いくつの選択肢を与えながら、控えめな言い方だった。
ミカさんは疲れているので欠席したいと言う。確かにもう巡礼者から観光客になりつつあった私たちには彼女とのおしゃべりは意味を持たないかもしれなかったが、せっかくの好意なので、会ってみることにした。
一人で彼女の部屋をノックした。
昼間の険しさはなく、優しそうなイサベル。
それでも私の顔をじっとみつめながら大きな目を見開いて、
「誰かがあなたにこの道がどのくらいキツイものか教えなかったの?」
私は口ごもりながら
「暑さが厳しいから他の道を進めてくれた人もいたわ。」
私は一言も、今日の弱気な気持ちや、ゆっくり歩くことに軌道修正したことなど言っていない。部屋に入っていきなりである。
私は
「去年フランス道を歩いて楽しかったから、他の道を見てみたかったの。見なければできるかできないかわからないでしょう?」
「でも、もうSantiagoに着くのは無理かもしれないわ。」
イサベルは私も買っていたガイドブックをコピーして持っていた。その本を見ながら彼女は
「この本にはMeridaから普通に歩いても29日で着くと書いてあるわ。すでのもうCaceresよ。だということは・・・」
私が帰国する日を聞いて
「うまくすればぎりぎりSantiagoに着くわよ。」
私はこの言葉に胸が高鳴った。こんな言葉を待っていたのだ。誰かに背中を押してほしかったのだ。
たとえミカさんがバスに乗っても、私はSantiagoに必ず行く!
ミカさんが今、弱っている話をすると、
「それなら彼女は明日途中まで歩いてから、バスに乗ればいいわ。朝15kmほど歩けばいいんじゃない?バスの時間はわからないけど、明日の8時過ぎなら私が電話して聞いてあげるわよ。」
「そしてサイバーカフェなどでSantiagoからMadridへの飛行機の便を予約しておくといいわ。28日に必着ならその日に着けるように。もしSantiagoまで着かないようなら、その町からバスを使ってSantiagoまで行けばいいでしょう?」
そして飛行機を予約するための3つのホームページのアドレスを私のノートに書いてくれた。
そして携帯の電話番号を教えてくれ、
「何かあったら電話して。歩いているあいだは家族からでも電話に出ないけど、歩き終わったら着信履歴を見て、必ず電話するわ。私の休暇中40日間のあいだ、いつ電話してくれても力になるわ。」
今日初めてすれ違って、ろくに会話もしていない。なんでこんなに親切なのだろう。
とても事務的でもあった。無駄な話は一切しない。頭の回転がすこぶる良く、また信じられないくらい実直で親切な人だったのである。
ただ一つ、私が疑問に思っていた、フランと解釈した『フレスキート』という言葉が当たっているか聞くと、この時だけは笑いながら
「そうよ、そんな言葉を覚えたの?」
と言っていた。
自分の部屋に戻るときは、さっきここを出ていった時の私とは180度違っていた。
ドアを開けるとミカさんがまだ起きていてくれた。気にしていたのだろう。
私は、
「明日はこの村に行くの。ミカさんは途中からバスに乗れるはずだから、朝は一緒に出て15kmくらい歩くの。」
イサベルに朝の暗いうちだけ一緒に歩いてもらうようにお願いしておいたのだ。
ミカさんも納得した。
私はほんの少し前と気持ちが変わって一人,闘志を燃やしていることはミカさんには言えなかった。



















まだ作りかけの道路の上をこっそり歩く
