7月24日  ESTELLAまで (22,1km)

 

 今日も暗いうちに出発。
私はしっかり靴の紐を締め、万全の準備で出発するため、グリちゃん は一足先に出て行った。
今日の道は明かりもなく、かなり心細い。
途中左に川が流れていて、 そのそばに何かの気配を感じた。
何かわからないが、身が凍りつく ような、鳥肌がたつような、無気味な寒気を感じた。
私は天国へ行 ってしまった人たちの名前を呼んだ。『助けて!』と、心の中で叫んだ。
私が一番こわいのは、お化けなのである。
すると、その先に小さな明かりがチラチラ見えてきた。
巡礼仲間が 近くにいるのだ。
さらに近づくと、パキ、アンヘル、キケ、アビルだった。
キケも復活したようだった。 彼等は少し先を歩き、道が二股に別れるところは、私を待っていて くれる。
しばらく行くと、朝日が昇り始め、薄明るくなってきた。
ふと頭を上げ ると、丘の上で光りが大きく揺れている。パキたちが、わかりにく い道を、私に示してくれているのだった。 私は、『了解!』と、大きく手を振ると、彼等は安心したように、丘の 向こうに消えていった。
その頃にはすっかり明るくなっていた。
今日はのんびりマイペースで、肉刺ができないように、途中の休憩 場では靴を脱いで、足を乾かそうと思っている。
一つ目の小さな村で飲み物や果物を買い、ベンチで休んでいると、 中年の女性が荷物を見ていてくれと言う。
彼女は買い物袋をかかえて戻ってきて、大きなボトルに入った 水を半分、持ちきれないからと言って、分けてくれた。

  エステーリャまでの道は遠かった。 まだ親指が痛むには変わりはない。肉刺をかばうので、右足も筋 肉痛になる。
エステーリャの町の入り口に辿り着くと、グリちゃんが待っていてくれた。
そこにあった自販機のジュースを飲み干して、アルベルゲに向かう。

ベッドは隣のベッドとくっついていた。隣にいたのは、フランス人 家族のお母さんだった。お母さんは、厳しい顔をして子供達を常に 見守っていた。
2日くらい前から、たびたび道で会っていたのだが、挨拶をしてく れなかった。 子供達3人を連れ、数日間だけカミ−ノを歩いているのだった。
私は、隣になったのを機に、話しかけてみた。すると、顔見知り だったためか、 話してみるとやさしい人で、16歳、13歳の娘と11歳の息子の 計4人で歩いていると言う。
どの子も美しいので、褒めると、娘たちは顔を赤らめ、母親は、 『どんな人でも皆美しい』と答えた。その後も度々この家族に会ったが、 すっかり仲良くなれた。

  外に出ると、アルベルゲの隣で、巡礼者のためのマッサージをする家があった。 私もグリちゃんも、中国式のマッサージを受けた。
私を担当してくれたのは、ベルギー人の大きな男性で、彼もかつ て巡礼路を歩いたボランティアだと言うことだった。
赤いハーブが入ったオイルを塗り、翡翠(玉かな?)のような 小手でマッサージする。 効き目がなさそうに見えるが、この日を堺に私の筋肉痛は消え ていった。

 アルゲルベに戻ると、アンジェラも来てうれしい再会をする。 彼女はパンプロ−ナに泊まったので、昨日は会えなかったのだ。
グルジャンは、ジャガイモ、インゲン、人参を茹でた簡単な 食事を作っていた。 それを庭にいた私にも分けてくれる。野菜の味がしっかりして おいしい!
そして、今日はアドリア−ノ達が、1〜2ユーロのお金を集めて 食事を作るから、 一緒に食べないかということだった。
そのパーティーが始まったのは、9時半過ぎだった。パスタ、 サラダ、チーズや スイカがテーブルに並んだ。 ここに集まったメンバーは、アドリア−ノが声をかけた人たち だったが、途中で帰ったメンバーはいても、ずっと最後まで 仲間となった人たちばかりだった。
その中には、結婚して今日が一週間目の新婚カップルのラウラ とミッチェルもいた。
10時15分前になると、ホスピタレーロが盛り上がった食卓に やって来て、あと15分でお開きにしてくれと言う。
10時が就寝と決まっているのだから仕方がない。
私たちは手早く写真を写し、片づけを済まし、名残惜しいまま その席を後にした。

 ここのホスピタレ−ロは、英語を話さないので、最初はとっつきにくかったが、実に思いやりの深い人だった。
絵葉書や、切手をこの受け付けで売っていたので、彼とのやりとりを持てた。ほんのささいな触れあいだったが、翌朝まだ暗いうちに出発する私を見送ってくれた。
誰も知る人のいない町で、こうして見送ってくれることが、うれしかった。

7月25日  LOS ARCOSまで (21,3km)

 

 

 夜中の2時に起きて、珍しくトイレに行った。何故2時と覚えてい るかと言えば、その時私と同じように、ぼ〜っと,そこにいた人 に時間を聞かれたからだ。
そしてまた朝、同じ人に同じ場所で会った。
どちらの時も、その人は下着姿であったので、その後で声をか けられるまで、誰だかよくわからなかったのだが、その人は オーストリア人のヤスミンで、21歳、大学で音楽療養士の 勉強をしているという。
一緒に歩きながら、後ろを振りかえって、朝焼けで美しく染め あがった空を見つけたのは、彼女だった。
とてものんびりやで、マイペースな女性だったが、そんな何 気ない美しい風景を見つけるのが得意だった。

  アルベルゲを出て2Km地点に有名なワイン工場があった。 そこは巡礼者に無料でワインを飲ませてくれるのだ。 水道の蛇口をひねるとワインが出てくるなんて、たまらない 企画だ。 しかし、早朝のこと、ワインは一滴も出ない状態だった。
みんな残念そうにそこで写真だけ撮ってあきらめて歩き始めるのだが、アドリア−ノはそこに座り込み、9時にオープン するまでここで待つと言う。
まだ数時間あるというのに。 でも彼は、
「無料のワインが飲みたいからじゃない、ここで蛇口を ひねってワインを飲むのが夢だったんだ」 その気持ちは良くわかる。


最初に着いた村で、誰かがスタンプを押してくれる場所がある と言うのでついて行くと、個人のお宅でおじさんがスタンプを 押してくれた。
巡礼者はスタンプを押してもらうのが楽しみなのだ。
ヤスミンは、その日4リットルの水を持っていた。
リュックを置いてきた広場に戻るとヤスミンも追い付いて、 持ってきた水の半分を捨てている。
スタンプのおじさんがそこへ来たので、この辺にトイレはない か聞いてみた。 すると彼は、自分の家へ連れて行ってくれた。そして元の広場 まで送ってくれる 途中、巡礼をしているのか聞かれたので、そうだと答え ると、じゃあ私についてきなさいと言う。
言われるがままにつ いていくと、ガレージの前に行き鍵をあけて電気をつけると、 そこにはたくさんの瓢箪がぶら下がっていた。 おじさんは、棒を持ってきて、これがいいか?と聞く。
私に くれるの?
おじさんが指した瓢箪の形がとても美しかったので、一目で 気に入った。
そしてそれを持って、また荷物がが置いてある広場に一緒に来 てくれ、私のリュックにしっかりとそれを結んでくれた。
とても幸せな気持ちになった。

  しばらくまたヤスミンと歩いていたが、そのうちそれぞれの ペースになり離れる。
歩いていると、美しいフランス人の女の子に会った。
私は必死でフランス語を思い出そうとしたが、スイッチはス ペイン語に切り変わってしまうと、全くと言っていいほど 言葉が出てこない。
確かに元々フランス語は喋れないのだが、前年の旅行では、 少しは喋っていたはずなのに・・・。
彼女も全く英語もスペイン語も話さないから、お互い必死で 言葉をチャンポンして意志疎通 を試みる。
そこでわかったことは、彼女は16歳で、3日間だけおばあ ちゃんと一緒に歩いていると言う。 しばらくすると、元気なおばあちゃんが追い付いて来た!
ここには一人で来ている人もたくさんいるけど、兄弟、 家族連れも多い。
おばあちゃんと孫なんて、いい組み合わせだ。

  またしばらく行き、休んでいると、昨日アルベルゲに着く直前 に会った日本人・・・とは見えない日本人のおじさんが来て、 隣に座って休む。
おじさんは、仲間と岩登りに来て、時間があったので一人で この道を昨日から歩きはじめたら、ハマってしまったと言う。
そんな話をしていたら、アドレア−ノの一団が手を振って通り 過ぎて行く。
「ワインは飲んだ?」 と聞くと、
「水筒に入れてきたから、後で冷やしてみんなで飲もうね!」 と言っていた。
日本人のおじさんが一足先に歩き出して、ヤスミンが追い付いてきた。
そして私も歩き出し、彼女が視界に入る範囲の場所にいた。
すると、急に彼女はこつ然と私の視界から消えた!
彼女が消えた場所に行ってみると、リュックだけが置いて あるのが見えた。
そして、その下を覗き込んでみると、流れる小川で顔を洗っている彼女を発見した。
私も真似て、靴を脱ぎ、足を水に浸した。冷たくて気持ちがいい! ヤスミンは、ボトルを水に浸すと冷えるよと教えてくれた。 そこに再びやって来たのは、アドレア−ノご一行。彼等は私達を見て、ニコ ニコしながら 通り過ぎて行った。
  すっかり生き返って気持ち良く歩き出す。 途中大きな干し藁の上で休んでいるアドレア−ノご一行をまた 追い抜かして、 楽しくロス・アルコスに着く。

 今日は7月25日、日曜日!
今日こそがサンティアゴの日なのだ。 今日はこの庭でパエリアパーティーがあると言う。
シャワーを浴びて、教会が見える場所でストレッチをしていると、 またあの日本人のおじさんが来て話こむ。
庭では大きなパエリア鍋に仕込まれたご馳走がぐつぐつと煮え ている。
  アルベルゲの部屋へ戻ると、今日はニ段ベッドの上段なのだが、 下の段の、 自転車で巡礼をしているおじさんは、やさしい人で、何かと声 をかけてくれる。 足の爪の事を言うと、彼の救急セットを出してくれ、これを使 いなさいと言ってくれる。 自転車で旅をしている人とは、どうしてもスピードが違うので、 まず二度と会うことはない。 一期一会の世界だ。

  7時になると、教会のミサに出席するため、パキたちと一緒に行く。 教会は1175年に出来たものだ。 教会ではミサの最後に隣の人、回りの人、知らない人と握手をする。
みんなやさしそうな笑顔。
そして巡礼者だけが残り、神父さまのお話を聞き、カードをもらう。 なぜか神父さまは、私に丁寧に『さよなら』と言ってくれる。(彼の誠意だと受け取る)

8時半からは、パイプオルガンのコンチェルト。テレビ局が取材に くる程素晴らしいものだった。
私たちは、パエリアのために、一足早く教会を出る。
アルベルゲには町じゅうの人が集まっていた。
私たちも席につき、大盛りのパエリアが配られる。
肉がたくさん 入っている。山のパエリアだ。
私はパキと、キケの話を肴に飲み、食べ、おおいに笑った。
最初は私たちは緊張していたのか、この頃になると、力を抜いてすっ かり打ち解けることが出来た。
宴が盛り上がってくると、地元ののど自慢が歌い出し、巡礼者達も 歌いはじめた。
すると、私たち日本人にもお鉢が回ってきて、グリちゃんが、 『津軽海峡冬景色』 を歌おうと言い出した。
私は同意して歌い出す。後でその歌は 『津軽海峡・・・』ではなく『北の宿から』だったという。
オーストリア勢の得意のヨーデル。あとからどんどん歌い手が出てくる。
すると、いつもは万事控えめに楽しんでいるアンジェラが出て来 て一人で歌い出すではないか・・・。
私はそんな彼女を見て、本当に素晴らしい人だと思った。 どんなところでも、一人で楽しむ術を心得ていて、人に対しては 常に優しく包み込み、 出しゃばらず、それでいてこういう時は場を盛り上げる。
なんて ステキな大人の女 性なのだろうと感心した。
アンジェラと抱き合っていると、別の女性が思いきりの笑顔と親 しみをこめて抱き ついてきた。
彼女はその晩何度も私に抱きついてきたのだが、 いったい誰なんだろう?

月26日  LOGRONOまで (27,9km)

 

 

 昨夜は今までの中で一番良く眠れることができた。
そして、昨日のパフォーマンスですっかり顔を覚えられてしまったのだろうか、 たくさんの人に声をかけられ、また、歩いているあいだじゅうお金を使う機会が ないほど、飲み物や食べ物をいろいろな人が分けてくれるというちょっと不思議な一日だった。

朝アルベルゲで、パキにマドレーヌをすすめられ、いただく。 一つ目の村で、オーストリア人のマッカレーナに、パンを勧められる。
なぜマッカレーナのリュックがとても小さいのかを尋ねると、パンプロ−ナのバル で、置き引きに遭ったという。そのためすべてを買い替えたらしい。
幸いパスポートなどの大切なものは無事だったので彼女はあまり気にかけていない様子だった。
ここ巡礼路はどこの国よりも安全である。 ただし大きな町には注意しなければならないし、巡礼者の金品を奪う目的でアルベ ルゲに宿泊する輩もいるらしい。
2つ目の村の手前でアドリア−ノに会い、カフェ・コン・レーチェ(ミルク入りコ ーヒー)をごちそうになる。
そしてこのバルのそばの教会の鍵を開けてくれるから、見に行かないかと言う。 教会はきらびやかなものではなかったが、古く伝統があるものなのだろう。 後で調べたら、8角形のドームが有名な教会だった。
その後どんどん歩いて行き、桃の木の下で休んでいると、また昨日の日本人のおじ さんがやってきた。そして彼もそこに腰を下ろし、一緒に休む。 もうここから、今日目指すログローニョは見えていたので、もう一息という 安堵感があった。
おじさんから、大きなバナナをもらった。 ログローニョの手前にビアナという町があった。 その町の入り口でフランス人親子に会い、彼女らはこのビアナに寄ると遠回りに なるから、新道を歩いた方がいいとアドバイスをしてくれた。 私は出来れば旧道を行きたかったし、ビアナを経由したかったので、一人で町の中 心がある丘に登っていく。
町に入ると、アンジェラに会った。スーパーで買い物をし、一緒に教会を見る。 そこには昨日抱きついてきた女性と、また別 の女性もいた。 彼女たちは敬虔なクリスチャンだから、教会内部を丹念に見て回り、感心している。
確かに素晴らしい教会なのだが、イタリアにだって、素晴らしいものはたくさんあ るのに・・・。それぞれの文化を尊重しあって、認めあっているように見えた。

教会を出ると、町の中心のバルでランチとなった。
女性3人は、ビールを買っている。 私はかなりうらやましかったが、ログローニョの街は視界に入っているとは言え、 あと10km近い道を歩かねばならないのだ。 断念して、ジュースだけ買って一緒に外のテーブルに座る。
私はすでにお腹いっぱいだったので、食べ物を買わなかったが、アンジェラは 今スーパーで買ってきたパンにトマト、生ハムをはさんでボカディージョを 作っている。そして食べきれないからと言って、分けてくれる。 食べ物を出されると、お腹いっぱいでも断れない私はそれをいただく。
アンジェラはいつもこうして、たっぷりのランチタイムを取り、ビールも飲んでいるんだな。 なんて優雅なこと。
昨日抱きついてきた人の名は、イリデといい、イタリアのベルガモ出身だった。 一見きつそうに見えるのだが、私にはいつもやさしくしてくれたし、その後彼女とはずっと 一緒のペースだった。もう一人の女性はスペイン人で、彼女はその日あたりを 最後に会えなくなった。
この3人は、ビールをまた注文して、とても動きそうにない。一時間以上つきあって、 私は先に行くことにした。
ログローニョまでの道は退屈だった。あまりきれいとは言えない松林の間を歩く。
やっと 街に入っても、中心までは遠い。 街の中も、工業都市のようで、あまり感じの良いものではなかった。

  アルベルゲに辿り着き、シャワーを浴びてグリちゃんと外に出る。 ここでは、バル街があると本で読んでいたので、それを探してみる。
通りがかった人に、たくさんバルがある場所はどこですか?と尋ねると、教えてくれたそこが、 まさしく探していたバル街であった。
不思議に思うのは、私のカタコトのスペイン語が、必要なことはほとんど通じると いうこと。スペイン人の勘の良さには敬服してしまう。 時には日本語で呟いても、その意味を汲んでくれる。居心地の良さはこんな点にもあるのだろう。
スペイン語は、発音が楽だから、とっつきやすいのだが、文法の複雑さから言ったら、 正確なスペイン語を話そうとしたら、かなり難しい。 しかし彼等は、主語と動詞が合わなくても許してくれるし、単語を並べただけでも 意味を理解してくれる。 固い事は言わないのがうれしい。
 さて、バル街はまだ準備中の店が多かったが、今日は5軒は回りたい。 ハシゴをしまくるのだ。
まずはビールとイカとコロッケ。
良さそうな店を物色していると、マッシュルームが山のように積んである店がある。 これは楽しみだがまだ開店していない。後で行くことにし、他の店でワインと タパス、ピンチョをつまむ。 地元の人たちは、気軽に小さなグラスに一杯、会社帰りにひっかけていく。 ここは有名なワインの産地、リオハワインの中心地なのである。
ビーノ・ティント(赤ワイン)を頼むと、透明感のある、くせのない、きれいな赤 いワインが出てくる。リオハを歩く期間は短いが、このリオハに居るあいだは、 ワインを堪能した。
  これからいよいよ最初に見た、マッシュルームのバルに入った時、巡礼仲間のほと んどがここへ来ていて、ハシゴを始めたばかりだった。
にぎやかなマラガ出身のマリアが、お金を集めて一緒に回ろうと誘ってくれた。
そして、おいしそうなマッシュルームのピンチョを横目に、次のバルにくり出してしまった。
そこからまた、賑やかな宴が始まって、パキとマリアがセビリアの踊り(フラメンコのような) を披露してくれる。
もう、このあたりに来るとみんな古い友達のようであった。
また今夜は、 明日帰るという、スペイン人のトマスとの別れでもあった。

7月27日   NAJERAへ (29,1km)

 

 

ログローニョを出るまでは退屈な道のりだった。
大きな都市のまわりは殺伐としている。旧市街でもなく田舎でもない。 そして大きな池へ出る。
池の真ん中を通り、麦畑、ぶどう畑が続く田舎道。

  ナヘラの町は細長く、目指すアルベルゲは町の最後にあった。 近くには川が流れ、そこでくつろぐ人々。近くまで岩山が迫った迫力のある風景。
この地に人が住みはじめたのは、B.C.2000年の頃だという。 アルベルゲは緑の芝生に面 し、室内は明るくまだ新しいようであった。 入るとすぐ、ブルーのバンダナと、特産のオリーブオイルの小瓶をもらった。
部屋は区切りのない大部屋だ。広い空間にベッドが並ぶ。
そのはしっこに場所をあてがわれ、グリちゃんとこのオリーブオイルの 使い道について考える。
彼女は今日はキッチンで料理をしようと言う。 そこでこれを使うと言う。 私の一本はどうなるのか・・・、もらったのは嬉しいけど、リュックに入れて持ち 歩くわけにもいかない。
そこに、マッカレーナが隣のベッドにいるのをみつけた。 彼女はあと3日ほどでオーストリアに帰るし、荷物も軽いので持っていってくれるかもしれない。
その瓶を彼女に差し出すと、『 こんなものを貰っていいの?』と遠慮している。 荷物が重くて迷惑じゃなかったら、貰ってねと言うと、荷物は軽いからだいじょうぶ、 ありがとう!!と、涙を流さんばかりに私に抱きついてブチュッと熱いキスをされた。 こんなに喜んでもらえるとは・・・。
しかもこちらこそ貰ってくれて、ありがとうっていう気持ちなんだけど、純粋な マッカレーナは、こんな事でも感激してくれ、私は何もあなたに返す物がないわと言う。
さすがに後ろめたい気がした。

  私たちが簡単な食事を作っていると、女性のホスピタレーロが来て、ワインをご馳走してくれた。
  食後外のベンチで一人でストレッチをしていると、その日初めて会ったスペイン人の おばさんが通りがかりに、私にもストレッチを教えてと言ってきた。
いいですよと言って、ベンチの場所をあけると、おばさんも一緒になって 私の真似をしはじめた。
どうも東洋医学の神秘に触れたいようであったが、私がやっていることは、どちらかというと、 西洋的なことだったが。
それでもヨガも取り入れて教えてあげた。
おばさんは、マヨルカ島で学校の先生をしているという。 マヨルカ島は以前は常春の楽園だったが、今は気候もずいぶん変わったと言う。 この異常気象は全世界の問題のようだ。
私も以前マヨルカ島に行ったことがあったので、話がはずむ。 おばさんの名前はメルセデスと言う。車のメーカーと同じなので覚えやすい。
随分長くおばさんと話していたら、すでに10時10分前という時間になっていた。 そろそろ寝るしたくをしなくてはいけないので、メルセデスさんと別 れ、 部屋に戻る前に、3人程のアルベルゲのボランティアのおじいさんやおばさんを見つけ、
「肉刺を治療してくれる人はいませんか?」 と聞くと、3人は急に生き生きし、そのうちのひとリのおじさんが 救急箱を取りに行く。おばさんは、彼は肉刺治療のエキスパートだと言う。 そしていきなり私の肉刺治療が始まった。
先日パキに連れていってもらった病院で、そのままにしてあった、親指と爪のあいだに 出来た肉刺が痛んで歩きにくいのだ。 なんとかならないだろうか。
エキスパートのおじさんは、ホセといい、この世界では有名らしい。(?) ホセが治療すればもうだいじょうぶ!という周囲の視線に見守られながら、 ホセは注射器を出し、まず肉刺の水を抜く。そして肉刺の中に消毒液を入れこみ それをまた出す。私は注射針が大の苦手。とても見ていられない。
すると、もうひとりのおじいさんが、手を握ってくれ、私の顔を見なさいと言う。 私はそうするしかなく、おじいさんの顔を見ると、治療してくれるあいだじゅう ずっとやさしく微笑んでいてくれた。
私の治療が終わると、次々に希望者が現れ、にわかに屋外診療所となった。
ホセの治療は完璧で、歩く度に痛んだ親指の痛みはすっかり消えた。 その後も肉刺は出来たが、この爪に出来た肉刺に比べたら、我慢できる範囲のものだったので、 ホセの名人ぶりに感謝した。 また、町の病院より、肉刺治療に関しては、本人もこの道を歩いたことがある こうしたボランティアの人の方が慣れているし、肉刺を持つ人の気持ちがわかるので、 断然お勧めだ。私はこの時から肉刺の治療は専門家に進んでやってもらうことにした。

7月28日SANTO DOMINGO DE LA CALZADAへ (21km)

 

 

 

 アルベルゲで簡単な朝食のサービスがあったが、胃の調子が悪いので暖かいミルク に少しだけココアの粉を落とした。

しばらくは単調な道が続く。 もうすっかり秋の風景だ。
途中ゴルフ場を抜けてバルでゆっくり食事をした。
アンジェラはバルに入ってこず、 外の公園で持っていたものを食べていた。これがアンジェラを見た最後になってしまった。 彼女とは、この日の夜まで一緒だと思っていたのに。

 そして道は下り、アルベルゲへ。
ここサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダは、ドミンゴという修道士が巡礼者の ために、橋や病院、歩き易いように石畳の歩道(カルサダ)を作った町であり、 彼を祭った教会や墓地がある。
また、巡礼者が盗みの汚名をきせられた伝説に まつわる鶏の有名で、教会の階上、目立つ場所にガラス張りの小屋に真っ白い鶏が 飼われていて、ミサのあいだの良いタイミングで鳴き声を披露してくれる。
アルベルゲは古く、階段も部屋も片むいているようだった。
そこにはカルメンやオーストリアのアンドレアスもいた。
アンドレアスは、敬虔なカトリック信者で・・・、といより
実は神父様なのあった。
彼が教会にいる時の振る舞いは、やはり違う。 おそらく教会に入った場合、彼は相当の時間を、お祈りに 費やすと思われる。

パキとアンヘルが中庭のベンチで何やら会議をしている。 聞いてみると、今後のスケジュールを考えているのだという。 だいたいのサンティアゴに着きたい日にちが同じだったので、決まったら教えてね と言っておいた。
パキとアンヘルは12歳年が離れた姉弟である。二人はとても仲が良く常に一緒。 まるで二人の世界があるように。

 夜のミサに出ると、アドレアーノ(メキシコ人女性)が、 スピーチをしているではないか。
若いのに、とても堂々とし ていた。
彼女は元気な女の子で、いつも私を見ると、飛んで きてくれる。いったい何故そんなにことになったのかは 分からないが、そんな彼女のノリに合わせてすっかり仲良く なった。
彼女はメキシコから来た学生で、すっかりアドリア−ノと 気が合い、二人はこの旅で一番のアツアツカップルとなった。
今(9月)も、二人から、メールをたくさんもらうが、内容の 半分は、アドリア−ノはアドレアーナのこと、アドリア−ナは アドリア−ノのことで頭がいっぱいらしい。
仲をとりもつのが得意な私は、増々二人を盛り上げている 最中である。

 

 

 

 

7月29日   BELORADOへ (22,4km)

 

 

 

朝6時20分発。
今日は小さな町や村をたくさん通るので、気が楽である。 いつでもどこでも休むことができるからだ。
また、曇りだったせいもあって、歩き易かった。
何軒かのバルに寄り、今日の最終目的地の一つ手前の町で、グリちゃんと お昼を食べることにする。
入り口にフォークのマークが付いていたので、田舎にしてはおいしい店かも しれない。
そこで二人で一つのサラダと、生ハム、ビールをオーダーする。
隣にはイタリア人の巡礼仲間がボカディージョを食べている。
彼女も強烈な印象の人だった。一人で歩いていると、長い杖をつき布切れをまとったような衣装を来て、風でスカートがなびいているシルエットは、まるで中世の巡礼者のようであった。

ハムは、ハモン・イベリコだそうで、熟成されててとってもおいしい!
店のおじさんは、他の生ハムも味見をさせてくれた。
隣を見ると、イタリア人の女性は去り、言葉の感じから、ポルトガル人の おじさんが座った。
まず私たちと同じようにサラダを食べている。 サラダとは言え、日本人なら二人で一つで充分な量 だ。
スペインは他のヨーロッパ諸国と違って、コースじゃなくても、つまみ的な 量を食べられるからいいねと話していると、そのおじさんのテーブルの上に ドカンっとまだジュージュー唸っている特大のステーキが運ばれてきた。
ほんとにこちらの人の食欲にはびっくりする。
やっぱり日本人は食が細いようである。
グリちゃんと一緒の時は 二人で分けあったりして、小食だったが、こちらの人と一緒だと、 食事の回数も、量もすごい!
私も当初の予定では、ゲキヤセする予定であったが、スペイン人 の胃袋に合わせて食べてしまい、予定は大いに狂ってしまった。

 ベロラドには アルベルゲは二つあり、仲間の半分くらいのが一緒だ。 庭には芝生があり、みんなのんびりしている。
ここのアルベルゲは、私営のもので、ご主人の女性は今、病気と戦っている。壁には彼女が元気だったころの、アルベルゲを建設している写 真(手作りのようだ)が、貼ってある。
ここを訪れた巡礼者のお礼の写真やはがきもたくさんある。この女性の人柄が現れていると思う。
私が行った時には、一人娘のハンナが手伝っていた。彼女はイギリスのニューカッスルで勉強して、銀行に就職も決まっていた。しかし、こういう事情で今は家族の手伝いをしているのだ。小柄で美人の彼女は、私は肉刺の治療をしたいというと、一緒に病院までついてきてくれた。
病院では、肉刺を治療したがらない。確かに、そのままにして、皮が堅くなるのを待った方がいいのはわかる。黴菌が入るのも心配だ。しかし、明日からも歩かなければいけない巡礼者としては、肉刺はつぶしてほしいのだ。
やっぱり肉刺治療は、巡礼体験者にお願いするのが一番いい。

今日はここの庭でマリオファミリーがバーベキューを作るという。 結局、私たちはそのあとシエスタを取り、ごろごろしていたが、 バーベキューは中止になったということだった。
  マリオファミリーは、マリオと言う、いびきの大きい、起きている時も賑やかな お父さんさんを中心に、息子のマリオ(Jr.)娘のアセラ、そして従兄弟の15歳のルーベンの 4人で旅行をしている。彼等のお母さんは、歩きたくないと言って留守番をしているそうだ。
トレド出身。
マリオの回りはいつも賑やかで、ログローニョのアルベルゲの中庭の噴水に 落ちてくれたり、体を張って盛り上げてくれる、サービス精神旺盛のビッグな パパだ。
時には娘として恥ずかしい思いもしているだろうアセラは、苦笑いを しながらも、暖かく見守っている。
いい家族なのだなぁ。
彼等もあと二日でトレドへ帰ってしまう。

まだ暗い中を出発する
フランス人親子
パスタ・パーティー
ワインが蛇口から出る・・・/ホアン
振り返ると、朝日・・・
ひょうたんをくれたおじさん*ガレージの前で
ガレージの中には・・・・・・
おばあちゃんと、16才の孫(フレンチ)
休憩中のアドリアーノ一行
水浴びをするヤスミン(オーストリアン)
大きなパエリア鍋と肉がゴロゴロは入ったパエリア
パキとアンヘル(スパニッシュ)
パエリアパーティー(サンティアゴの日、日曜日)
ビアナ
アンジェラ(中央)とおしゃべり仲間の昼休みは2時間以上・・・
やっとログローニョの街が見えてきた
ログローニョのアルベルゲの中庭で・・・ここに、マリオが落ちた!(転んだ!)
ログローニョのバル街ではしごしまくる・・・(8軒くらい?)
朝、この池の周りを歩いた
ほたて貝の水飲み場:右隣のバルで朝食
グリちゃんと作ったディナー
ナへラのアルベルゲ
肉刺治療の名人、ホセおじさん

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダのアルベルゲの
入り口と(上)、部屋から見た風景(左)

きれいな色の壁
ベロラドのアルベルゲのベッド、キッチン、洗濯場

the 2nd stage 
 7月24日から 7月29日まで