7月30日   SAN JUAN DE ORTEGAまで  (24km)

  アルベルゲで、簡単な朝食が出され、6km程歩いて再びバルで朝食。
ここで、日本人で一人で歩いているあけみさんと会う。 彼女の事は、一昨日のメルセデスさんから聞いていた。
私たちより少し先を歩いているらしく、彼女は食事を済ませて 出発するところだったので、その時は写 真を写しただけで別れたが、 その後一緒に歩くことも多く、旅の良き友となった。

  今日は、マッカレーナとアンドレアス(オーストリア)が帰国する日だった。 マッカレーナは30代の女性だが、少年のような人。 かなりの田舎に住んでいるらしく、今時珍しい純粋無垢な人である。
彼女はその素朴な人柄で多くの人を惹き付けていた。その証拠にこの 最後の日は、彼女にとっても、私たちにとっても、少々忘れがたい一日 であった。
彼女とはこの日何度も会ったが、今日が最後の日なので、たくさんの人 とおしゃべりをしている。 いつも追い越したり、追い抜かれたりするフランス人夫婦がいる。 彼等は60代だろうか。すべてお揃いのコスチューム。とても仲良し。
その日、マッカレーナは、この二人のおじさんの方がドイツ語を話 せる事を知った。
それまでは、すれ違っても、 「ボンジュールしか言えなかったのよ。」 と彼らとコミュニケーション出来る事を知って、とてもうれしそうだった。 他にも、顔や振る舞いが激しいので密かに怖れていた、イタリア人の迫力のある ジョバンニとも、別 れを惜しんでいる。
あちこちでお別れをしながら歩いていたので、最後は一緒に歩くのをあきらめた。 今日は、丘の上に登ったと思ったら、永遠に続くほど台地の上を永遠に 続くほど歩く。

  今日のアルベルゲは、古い教会の隣の、これまた古い建物の中だった。 こうした古い物は、かつての巡礼の救護院だったことが多い。ここも例外ではない。
いくつかの大きな部屋があり、ほとんど顔見知りがここに泊まっている。 古い柱が何本もあり、いいムード。 隣のシャワールームから出てくる人が、シャワーは水だと言う。 初めての水シャワーだ。
そこへグリちゃんが来て、ここにはトイレットペーパーもないし、 シャワーも水なので、ここに泊まるのは無理なので、次の村まで行って泊まるからと言う。 明日はブルゴスなので、そこで会う約束をして、グリちゃんは先に進んだ。

  外に出ると、マッカレーナがまたあちこちで別れを惜しんでいる。 そこにフランス人夫婦もいて、マッカレーナの目から涙が・・・。
私もフランス人の奥さんももらい泣きしてしまう。
彼女のように純粋な人を見ているだけで、心が洗われる。
一段落して、ベッドでひと休みしようかと思っていたら(実際私はいつも みんなのようにシエスタをするヒマがなかった) カルメンがやってきた。 彼女とは、顔見知りだったが、まだあまり話をしたことはなかった。
バルセロナ出身で、当然カタランを話し、フランス語も話す。 英語は苦手と言いつつも、充分だった。
一人で旅をしているカルメン。もの静かで落ち着いた大人の印象だ。 気が付いたら、彼女と2時間近く話し込んでいた。 そこへマリオJr.が来て、今『ソッパ・デ・アホ』(ニンニクのスープ) が配られているというアナウンスがあり、二人で飛んでいく。
行ってみると、もうすでに食器を洗っている段階だった。 私とカルメンは肩を落としながら、教会に見学に行った。
ゆっくり内部を見学し、外に出ると、スープを飲みたいか? と聞かれ、SI!(イエス!)と喜んで答えると、キッチンに連れていかれ、 たっぷりすりきりに盛られたスープを差し出してくれた。
スープの作り方を聞くと、中身はオリーブオイル、にんにく、チリと水、 そしてパンが入ったシンプルなものだが、体が暖まり、元気になる。 そしてとってもおいしい!
今まで飲んだものとはひと味違う、素朴で、やさしい味だった。
私が美味しそうに飲むものだから、おかわりまでくれた。
ここがミサの後、ニンニクのスープを出してくれるアルベルゲだったのだ。

  外に出ると、みんな先日もらったバンダナにサインを書きあっている。
明日帰るマリオファミリーの4人、アドリア−ノ達3人、そしてメキシコ人 のアドレアーナ。 他のメンバーも今日は全員ここに集まっている。
サインを貰っているのは、明日帰る人ばかりでなく、まだ残る人たちが 帰る人たちに頼んで書いてもらっている。
カルメンが、私たちもバンダナを取ってこよう!と提案し、二人で部屋に 取りに行き、明日帰る人、まだいる人、そこにいたほぼ全員からメッセージ やサインを貰うことができた。
アドリア−ノは一人でベンチに座っていたので、メッセージをもらいながら、 今までのお礼を言い、過去のスペイン旅行の思い出の話をした。
アドリア−ノもそうだが、みんな帰るのが辛そうだった。 だんだん陽も暮れてきて、広場は宴の場と変わり、踊って歌っておおいに 盛り上がって、門限の10時を過ぎても宴は続く。
ブルゴスから帰る人たちにとっては、特に複雑な気持ちだったと思う。
  部屋に戻ると、電気をつけたまま、まだ騒いでいる。 いつもは賑やかなアルベルゲを避けている、フランス人夫妻も同じ部屋だった。 二人も今日の騒ぎを大目に見てくれて、見守っていてくれた。
明日のブルゴスで最後なのだが、実際ブルゴスでは仲間は二つのアルベルゲに 別れてしまい、ここでのパーティーが最後になってしまったのだが、 それを予期していたのか、ギリギリの時間まで部屋に戻らず、部屋に入っても、 なかなかベッドに入らない。
そんな時、マリオが、みんなで私におやすみのキスをしようと言い出した。 すると、その部屋にいたほとんどの仲間が、ニ段ベッドから降りてきて、 1人づつ両手を広げて私に向かってきた。
私は一人一人にこたえ、とても幸せな気分で眠りについた。

7月31日   BURGOSまで (29,3km)

 アタプエルカという原始人の居住が確認された場所で朝食をとる。 ここでも、昨日のメンバーが全員揃い、そしてまたちりじりになって歩 き出す。
途中でカルメンに会い、話しながら歩く。 カルメンという名前を、漢字で書いたら、どんな文字が当てはまるのか 聞いてきた。私は考えた。良い文字が浮かばない。 後で考えると言って、その場をきり抜けたが、とうとう最後までそれを 伝える機会がなかった。
そのあたりからブルゴスの市街地に入ったことを示す、退屈な工場が並 ぶ大きな道を歩くことになる。
この道は延々続く。
平でまっすぐ延びたこの道は、日陰もなく、緑もない。 カルメンは気を紛らわすために、両側にそびえる大きな工場の会社名を 一つづつ片っ端から読む。 大手の会社が多いので、耳慣れた名前ばかり。今度はそれがどこの国の ものか言い、歩き進める。
カルメンはフランス語と国語の先生をしていて、真面目だが、どんな時 にもめげずに、そして明るい。 いつ終わるのかわからない、この退屈なコンクリートばかりの道も 彼女のお陰で、ようやくブルゴスの旧市街に入いることが出来た。 彼女は子供の頃までここで育ち、今も親戚がいるので、ブルゴス には詳しい。 もし一人でこの街に入ったら、途方にくれてしまいそうな大都会。 とても心強かった。

  街中に入っても、アルベルゲまでは遠かった。(6kmと、言われていた) ブルゴスは、人口17万人の、アルランソン川に沿った細長い街 なのである。
すると、見なれた巡礼者たちがいる。 パキ、アンヘルそしてイタリア人のアルベルトだった。 私たちは彼等と合流して一緒に歩き出す。 私が銀行でお金をおろしていると、ベンチに座っていた4人は、 目の前にある、ピザ・ハットに入らないかと言う。
店に行くと、一時まで入れないと言うことだった。 まだ30分以上あったが、外で待つことにした。
アルベルトは、トリノ出身。30代に見えるが、女性陣の間では要注意人物! パキの弟アンヘルに女性の探し方を伝授していたりするのだが、彼自身もいつも だれかを口説いている。
そんな彼だが、仲間の一人としては、楽しい存在である。
やっと店が開き、特大のピザをたべながら、今日歩いた道の話をする。
「中学の時、メセタという言葉を地理の授業で習ったわ。」と私が言うと 「私たちは何か日本のことを習ったかしら?」パキがみんなに聞く。 みんなは、う〜んっ、と唸り、考えた挙げ句、何もないと言う。 せいぜい電化製品や車、輸出したアニメくらいしか知らないようであった。
この店内は冷房が効き、スペインにいるのも自分達が巡礼者であるのも忘れて なごやかな、そして現実に戻ったような一時を過ごした。

  途中大聖堂の前を通り、階段に座って、しばらくの間、壮大な建物を眺める。 ちょうど、目の前を、結婚式の入場を待っているおめでたいカップルが現れる。
いつまでたっても、みんなは立ち上がろうとしなかった。
  アルベルゲは、公園の中にあった。
緑の多いアルベルゲは、街の中心からは遠い。
シャワーを浴び、洗濯をする。ここの洗濯場は、少し変わって いて、長い水道管のところどころから水がぽたぽた落ちている。 大勢の人が一度に洗濯できるようになっているのだ。
洗濯場には、パキ、カルメン、アルベルトがいた。 水を触っているだけで楽しい。

  夕方からアルベルゲの前にプチ・トランが来て、街中を案内してくれる と言う。私たちも参加して、かわいい列車に乗り込む。乗り物は久しぶりで、 自分の足を使わなくても移動できる楽しさを、久しぶりに味わって、大興奮!
窓からの景色を見ていると、知った顔の巡礼者も歩いている。 街中の人に手を振りたい気分だった。

 大聖堂に着き、そこからまだ街を回ってくれるらしかったが、私たちは 大聖堂を見るために、途中で降りた。 グリちゃんは、すでに大聖堂の内部を見ていたので、広場のカフェにいた オーストリア人グループの中に入って待っていてくれることになり、 私たちは内部に入っていった。 (パキ、アンヘル、アルベルト、ホワン、フリオ。)
内部も、度肝を抜かれるような、りっぱなものであった。
ホワンは60歳で、耳が聞こえない。したがってしゃべる事もできないが、 目で口の動きを読み、コミュニケーションが出来る。 英語だと、日本人の発音では読み取りが難しいと聞いたことがあるが、 スペイン語はけっこう通 じるのであった。
一人で歩いているが、彼自身の明るさ、おもしろさでみんなを和ませて くれる。 ホワンは頭も良く、足も速いので、若者達の間にすっかり馴染んでいたし、 みんなも優しく彼を見守っていた。
ホワンは、入り口でもらったパンフレットを見ながら、今、ここがどこ の部屋にいるかを教えてくれる。そして、冗談ばかり言っているので、 おかしくてしょうがない。 木で出来ている礼拝堂を見て、これはチョコレートで出来ているんだと、 真面目な顔で言う。
彼のユニークな解説を聞いて歩いていると、上の方に、このカテドラル の雰囲気とは異なる人物を発見。木で出来た人形なのだが、なぜここに いるのか。
それをパキとホワンと三人で見ていた瞬間、鐘が鳴り響き、その人形が 動いて、鐘を鳴らすしくみになっていた。 7時の合図だった。 人形は動きだし、しっかり彼の仕事を始めた。

  ずいぶんゆっくり見学していたせいか、広場にはオーストリア人グループも グリちゃんの姿もなかった。 ピザの店に入っていったと聞いて、見にいったが、そこにもいなかった。
今日はマリオファミリー(4人)、アドレアーノ達マラガ三人組、メキシ コ人のアドレアーナとの最後の日となるのに、彼等は街の中心のアルベル ゲに泊まっていて、消息を絶っていた。 私はもう一度彼らに会いたいと思っていた。
まだ『さよなら』も言ってい なかったのだ。 でも、きっとここで会えると思っていた。
会いたい人にはまた会えるのが、この道なのだ。
しかし、大都会。大聖堂の回りの広場の大きさも、範囲の広さも半端じゃ ないし、何の約束もない。 ラウラとミッチェルも加わり、店に入っていく。今日はこの店で何か食べ るものを買って帰るという。 私は欲しいものもなかったので、アイスクリームを食べていた。
するとそこにマリオがあらわれて挨拶。
しばらくすると、今度はキケが来て、みんな広場にいるから後で会おうと いうことになる。 広場には、アセラ、マリオJr.、アドリア−ノ,アドリア−ナ、アベルがいて 彼等は街中のアルベルゲで、門限は12時。パーティーをすると言っているが、 居残り組は、街外れのしかも10時に消灯のアルベルゲであるため、そこで 一人一人にお別 れを告げる。
私はパキに教えてもらったばかりのスペイン語の挨拶を試してみる。 実は紙きれに書いてあってそれを読んでいたのだが、言われている本人だけには 見えないので、回りにいる人たちは笑っている。

  居残り組は、大聖堂を後にして、アルベルゲまで歩きだした。 フリオを認識し出したのは、この頃だった。明るくていつも楽しそうにして いる。パキとフリオの会話を聞いていると、二人とも笑いっぱなし。 フリオは英語を話さないので、深い話はできないが、そばに居て、違和感の ない人である。
フリオの携帯に電話がかかってくる。フリオは楽しそうに長話をしながら歩く。 今、ここに賑やかなセビリア−ノと日本人がいるよと言っている。
一方、アルベルトが、スペイン人にしては物静かなアンヘルをつかまえて、 また女性の見つけ方、声のかけ方を伝授している。
「アンヘルはね、実はイタリア人ぽいの。今はこんな格好をしているけれど、 家ではいつもアイロンをかけたシャツを着て ビシッと決めているのよ。」
パキは、少し心配そうに二人を見ながら、男同士の会話に邪魔をしないよ うにしている。
私とパキは、巡礼中に会った、素敵な人の話題になり、パキは今日十字架の 横を通 った人が、グッドルッキングだったと言う。これをアンヘルに話すと 笑われるので、言っていないのだそう。

  アルベルゲに着き、庭のテーブル付きのベンチで休む。
グリちゃんも先に 帰っていたようだ。 アルベルゲの人がプリンを配ってくれ軽い食事をする。
だんだん日も暮れてきて、まだそこでしゃべっていると、そこに日本人の 女性が通 りがかった。実は大聖堂を見学している時に見かけた女性だった。
声をかけると、仕事でカミ−ノを見学に来ているということで、一緒の ベンチに座って話をする。今まで歩いてきた場所のスタンプが押してあ るクレデンシャルを見せると、写真を撮らせて下さいと言われ、みんな も彼女の仕事に興味津々。
仕事とは、カミーノの取材をし、それをある日本の観光に役立てると いうことだった。
もう一人の男性は、受け付けでお話を聞いていたので一緒にそこへ行く。
そこで写真を一緒に写したりしているうちに10時になってしまったので、 もうお別 れとなり、すでにベッドに入っていたグリちゃんを誘い出し、 一緒にお別れをして暗くなった部屋へ戻って行った。

8月1日   HONTANASヘ (29km)

 今日も朝からカルメンと一緒に歩いた。
この地帯は、この巡礼路の中で一番暑い地域だ。
木もほとんどなく、延々とメセタ(台地)が続き、目指す町や村が見えない。 道の事情も悪い。
そんな時、カルメンと歩くのは楽しかった。 彼女は真面目そうな顔をして、なかなかおもしろい。
話が一段落すると、 今度は歌をうたってくれる。 スペイン語の歌の意味を説明してくれ、その内容の滑稽さに一緒に笑う。 次から次へとどんどん歌が出てくる。
かなり疲れていると思うのだが、歌を歌うと元気になるのかな。 歌の内容に、笑いながら続けてくれる。
真っ白い地平線に向かって、私たちはどこへ行くのだろうか。

  オンタナスの村に入ると、知った顔の巡礼者がいた。アルベルゲはいくつか あるようだったが、一番手前のバルのニ階のきれいなところに宿を取り、 シャワーを浴びて洗濯。
グリちゃんと、一緒に下のバルへ行き、ジュースやビールを飲み、軽いものを 食べ、至福のひとときを味わう。
もしかしたら、私たちは、このおいしいビールのために歩いているのかもしれない。
グリちゃんは部屋に行き、私は周辺の散策に行くことにした。 みんなシエスタをしている時間なのか、静かだ。
公営のアルベルゲがあったのでのぞいていると、そこへラウラとミッチェル が出てきて、感激の再会の挨拶をしていたら、その声を聞いて日本人の あけみさんも出てきた。
先日バルでみかけた日本人の女性だ。
ラウラに、別の場所にカルメンがいるから一緒に行こうと連れていかれる。 ここに着く、ほんの少し前に別 々になってしまっていたのだ。 その場所は学校の教室のようなところにベッドが並べられていた。

  あけみさんと、ビールを飲みに行くことになった。 グリちゃんは、二日前に彼女と一泊していたが、私は一度会ったきりだった。 これまでの彼女の旅行の話を聞いた。 エジプトでの貴重な体験・・・、また、以前ワーキングホリデーで、カナダに 在住していたこともあり、テント住まいのリンゴの収穫の話など、楽しい 話を聞いた。
たくましく、純粋な女性である。 いつもまにか、数杯のビールを飲んで、ずいぶん時間が経っていた。
グリちゃんも加わり、次の日帰るホセもやってきて、飲み物をご馳走してくれ、 ベネズェ−ラでたびたび日本食レストランに行く話をしてくれた。彼は日本食が大好きだった。
  お開きにしようと、それぞれ帰ったあと、洗濯物を取込みに外へ行くと、ホセ、パキ、アンヘル、ホワン、ラウラ、あけみさんまで一緒にこちらに向かって歩いてくる。
また階下のバルで飲むという事で、またホセがワインをご馳走してくれる。
ホアンが手品をしてくれたり、パキが私に変なスペイン語を教えてくれたり、 今日も笑いながら夜が更けていった。

8月2日 BOADILA DEL CAMINOへ (25,2km)

 アルベルゲを出てすぐにホセがひき返して来た。
どうしたのかと思っていたら、 眼鏡を無くしたという。だいじょうぶなのだろうか。 しかしそれ以来彼とは会えなかった。
  朝から雨、雷、稲妻。 初めて本格的にレインスーツを着る。 嵐の中を、家もないような平野の中を歩くのってけっこう恐い。 雷が落ちるという可能性がないとは言えない。 高いものと言ったら、遠くに木があるだけ。 しかも真っ暗なうちから歩いているのだ。
心細いが、今日はあけみさんも 一緒に3人で歩く。
そのうち雷は遠のき、雨は止む。

  今日のアルベルゲは個人経営の庭が美しいものだった。 すでに到着していたマラガのマリア(マリアはオーストラリアとマラガと二人いる)が、
「天国へようこそ!」と言っている。
砂漠の真ん中のような場所で、庭には芝生が青々し、リンゴやぶどうの木があり、 鉄で出来たモニュメントもある。そしてプールまであるのだ。
いつものように、シャワーを浴びて洗濯をした後は、誰もいないプールに足を浸し ながら日記をつける。
火照った足に気持ちがいい。
ここでもう一人の日本人女性のジュンコさんに出会う。
彼女は重い荷物を背負い、毎日ゆっくり歩いている。 マイペースでたくさんの人との出会いを、ゆっくり楽しんでいるように見えた。

  私たちはビールを飲み、のんびりする。 プールではラウラ達が歓声を上げながら泳いでいる。
私はホスピタレーロのお兄さんエドワルドに、肉刺を治してくれる人はいないか 聞いてみたところ、後で彼がやってくれると言う。 また別の場所に肉刺が出来ていたのだ。
  街に適当なレストランがないことがわかり、アルベルゲで夕食をすることになる。 結局そこに泊まったほとんどの仲間達がテーブルを寄せあい、大きなパーティーとなった。
これまでピルグリム・ディナー(巡礼者用メニュー:観光用のツーリストメニュー と同じような内容)は、量が多いので敬遠していたが、初めてここで食べることになる。
向かいに座ったアグネスは、ドイツのアーヘンから来ていた。 私はアーヘンに一週間程研修旅行で滞在したことがあったので、なつかしい話をした。

  食後エドワルドに呼ばれ、我々日本人4人は受け付けのあるテーブルに集まり、 ココアをご馳走になりながら、日本のカミーノの本を見せられた。
そこには、このアルベルゲと数年前のエドワルドが写っていたのだ。
この本を私は持っていたが、ここに彼の記事が載っていたとは・・・。 

  日本に帰った8月29日の夜に、もう一度その本を取り出し、読み終えるまで寝られなかった。

小石を集めて巡礼者が作った矢印。後ろにいるのは、フランス人のおじさん
自転車で巡礼する人々は、こんな坂道は苦戦していた
サン・ホアン・デ・オルテガのアルベルゲ室内
ソパ・デ・アホ(にんにくのスープ
背中を借りてサイン中

上/ここにいるほとんどの人が翌日帰国した
下/オーストリア人グループ

朝食を食べたバル
クロスの前で/ホセ(ベネズエラ)
こんな道が延々と続く
ブルゴスの大聖堂
ピザ・ハットで
洗濯場で/パキ、カルメン、アルベルト
ミニ・トレインに乗る
この界隈で全員集合!
朝日
カルメンが行く:カステーリャのメセタ
オンタナスの町が見えてきた
オンタナスのアルベルゲの室内
オンタナスのアルベルゲ入り口
雨が上がって晴れ間が見えてきた
砂漠の中のオアシス:ボアディージャ・デル・カミーノのアルベルゲ
エドワルドに肉刺の治療をしてもらう
アルゲルベでのペリグリーノディナー

the 3rd stage 
 7月30日から 8月2日まで