the 5th stage 
 8月7日から 8月10日まで

8月8日   ASTORGAまで (26,2km)

 

今日は良く眠れなかった。 ベッドの上段の人はえらく太っていて、振動はすごいし、夜中に花火は 上がるし、右足も痛んだ。 暗いうち、早めに出るとフリオとアレハンドロがいた。
二人は暗さに弱いらしく、懐中電灯を持っているのになかなか進めない。 日本人はけっこう暗いところが見えるようで、私は道が白く見えるので、 安心して先に進む。
今日は、hospital de oribigoの町で朝食をするとラウラから言われていたが、 町に着いても誰もいない。
ここには、長い橋があった。 ローマ時代の石橋で456年に東ゲルマン軍と、西ゴート族が戦った。
バルが何軒もある。 一軒目のバルでトーストを食べていたら、ホアンとフェルナンドが来たので 別のバルにラウラたちが行っているようなので、私も後でそこに行くから 二人は先に行くように頼んだ。
橋を越えたところにバルがあって、私はまたみんなとコーヒーを飲み直した。 パキたちは遅れているようだった。 バルを出てからは、ゆっくり一人で歩く。
フェルナンドは、今日は雨が降るから気をつけてと言ってくれた。 道はさらに二つに別 れているが、今日の目的地までにはまた道は一つになる。
私は距離が少しだけ少ない方を選んだ。 その道に入ると、人の気配がない。
曇っているため薄暗いし、ちょっぴり恐い。 そのうち、道の両側がとうもろこし畑になり、その枝が風にざわざわ揺れて 場所によって微妙な音のズレが生じ、まるでオーケストラの演奏のように、 私を音で包みこむ。 その寒々しさが、異国に居ることを実感させてくれ、頬をなでる風も心地良い。
二つ目の村を出た後は急に田舎の風景になった。
牛の子供がいたり、景色もいいし、気分がどんどん盛り上がってくる。
ここ2日は後半苦しくなると、あと何km?とばかり考えていたのに、今私は もうそんなことは忘れることにした。

誰もいない景色の中に、ピレネーで会ったイタリア人のおばさんが現れた! おじさんはいない。(三人で歩いていたのに今は二人) 同じペースで歩いていたのだった。
丘を登ると、ベンチがあったので、そこで横になる。
目を閉じると風が顔の上をなでる。気持ちいい!
また歩き出すと、昨日のアルベルゲで隣のベッドだった、イタリア人の感じ の良いカップルが、昼食会をしていた。
にこにこしながら、彼等のデジカメを差し出してきた。
見ると、ベンチで寝ている私が写っているではないか。
私もお返しに彼等の写真を写させてもらう。 二人に会ったのは昨日が初めてだが、とても上品でやさしいカップルなのだ。
イタリア人は自己主張が強烈な人が多いが、こんな人たちもいる。
どちらにせよ個性が際立っている。

しばらく草原の中を歩くと、山々が見えてきた。
なんて綺麗なんだろう。 まるでサウンド・オブ・ミュージックのオープニングシーンのようだ。
坂を登るとしばらくは平な道が続く。 誰も来ない。
私は腰を下ろし、レオンで会った日本人の男の子たちに貰ったひまわりの種を 取り出して食べてみる。
こういう景色で食べると、とても野生っぽくていい。
でも、上手く食べられないから、ほとんどお腹には入らなかった。
あっと言う間に目的の一つ手前の村に到着。
もう3km余りで今日の目的地、アストルガだったけれど、このまま行くのは もったいない気がしたので、バルでランチをとることにした。
入ったのは地元のおじさんが集まるバルだった。そこでチョリソーを注文すると 一人分とは思えない量 が出てきた。当然パンも付く。
外に出ると急に雨が降り出した。フェルナンドが言った通りになった。
雨具の支度をして歩き始める。 こんな雨の中でさえ、スキップしたいような楽しい気分だった。

アストルガの町に入り、一つ目のアルベルゲを見つけ、中に入り名簿を見せて もらって、みんなが来ているかチェックした。 どこにも知っている名前がない。
その親切なホスピタレーロのおじさんは この先600mに別のアルベルゲがあることを教えてくれたので、そちらに行く ことにした。
今度も受け付けでまず名簿を見ると、ラウラたちの名前が目についた。 私もここにしよう。
受け付けをし、クレデンシャルにスタンプを押してもらっていると、そこへ フェルナンドが飛んできた。
私たちは握手した手がいつまでもくっついてしまったかと思われるほど、 再会を喜び合った。 同じ苦労をしていると、気持ちが通じるものである。
フェルナンドは雨で濡れた荷物を持ってくれ、私のためにとっておいてくれた ベッドに案内してくれた。
他のみんなは町に見学に行っているという。 フェルナンドに、今日出会った素晴らしい人と風景について興奮して話した。
シャワーを浴び、洗濯も済ませたころ、みんなも帰ってきた。
ホアン、フリオ、ラウラ、ミッチェル、アレハンドロ、フェルナンドがいた。
そこで問題になっていたのはパキとアンヘルのことだった。
二人の消息が わからないというのだ。
二人の携帯に電話しても、電波が通じないと言う。
今日はパキの誕生日なのだ。
私たちが二人を案じていた矢先、やっとラウラの携帯からパキに繋がった。 私たちは電話を回しあい、それぞれパキと話す。 結論は、今夜は手前の町に泊まると言う。
今日は盛大にパキの誕生日ディナーをするはずだったのに、意外な結果になっ てしまった。
パキの声はそれほど落ち込んだ様子はなかったし、マリア(マラガ)たちと 一緒なのでだいじょうぶだということだった。

仕方ないので、私はまだ明るい外に観光に出掛けることにした。 ミッチェルやフェルナンドに見どころを教えてもらい、雨具の用意をして外 に出た。
アストルガはローマ時代の遺構が多く残る大きな街だ。 カテドラルはとても立派。 伝説によると、使徒の教会として、聖ヤコブと聖パウロによって創立された と言われている。
近くにガウディが設計した司教館がある。
今は巡礼博物館になっているが、すでに閉館の時間だった。
この建物は雪が降った時に美しく映えるように設計されているという。
街でみかけた絵はがきは、雪景色のものがあった。

8月7日  Villadangos Del Paramo まで

              (21,4km)

 

レオンのアルベルゲでは、簡単な朝食が出された。
そこで日本人らしきカップルがいたので 思いきって声をかけてみた。 二人はグラナダに住むカメラマン(夫婦とも)で、今日から歩き始めると言う。 とは言っても、バスでアストルガに行ってからが本当のスタートだと言うことだった。 とても感じの良い二人で、もっと話をしたかったが、すでに白々明るくなって きたので、出発する。
昨日のメンバーが8km地点の朝食をとるバルまで並んで一緒に歩いている。 今日もフェルナンドと時々歩く。なぜ巡礼路に住み、どの時期にでも旅立つことの 出来る彼が、この時期を選んだ理由を聞いてみた。
私の場合、休みをぎりぎり使っているので、時期を選ぶことが出来ないのである。 あと1ヶ月前か後にずらした方が、人も少ないし、暑さも和らぐので良いと思っていたからだ。
彼は今が一番良い季節だと言う。
この季節以外は寒く(ピレネーや ガリシアの話)寒いのが苦手なスペイン人にとってはこの季節が一番いいと言う。
ただ、北方のヨーロッパから来る人には、9月に歩くのも好まれるとも言っていた。

レオンを出て8km地点で道が別れる。
昨日からどちらに行くか、前日からみんなで考えて いた。 明日、道は二手に分かれ、その次の日にまた道は一つになる。 3日後のことも考慮して道を考えた方が良いのではないかと私は思うのだが。 スペイン人はおおむね性格が明るく前向きで、楽しいことが大好き。 今のことが一番重要なのでせいぜい明日のことまでくらいしか考えない。
旅行の計画を立てていても、明日どうしようということになっても、明後日の ことは考えていない。 まず、今日、そして今が一番大切で、今を楽しくすることを考える。 私たちから見たら、先を見て、今は我慢したり、頑張ったりすることで、 より良い先がある気がするのに。
確かに今でもそう思うが、スペイン的に今を大切にすれば、
『永遠に楽しい今』が、永遠に 続いていくのかもしれない。

さて、分かれ道に来た。 イタリア人仲間も含めて私たちの行く道は打ち合わせで決まっていた。
なのに、なぜかイタリアチームは別の道に行ってしまったことに気がつ ついていない。
この時は、また2日後の合流地点で会えるだろうと気にしなかったが、 なんとこれ以来イタリアチームとは会えなくなってしまったのだった。
後に携帯電話でやりとりをしていたが、イタリアチームはすごいスピードで 進んでいて、追い付けなかったのである。
パエリアパーティーの日からいつも暖かい微笑みをくれたイリデ、おしゃべりで 女好きのアルベルト、マッチョのファビオとはお別 れになってしまった。

今日の距離は20kmと少しなので、みんなのんびりしている。 ただし、最後の数kmは暑くて大変だった。
アルベルゲは目の前が芝生で、ベンチやテーブルがあり、傘は南国ムード。 それぞれがそれぞれのスタイルでくつろいでいる。 ここでは7時から、肉刺専門のドクターが来るので、治療希望者は紙に名前を書い ておくように言われた。
ほとんど知った名前がリストに列ねられている。

外で日記を書いていたら、数日分溜めていたので時間がかかり、シェードの影の 中にいたハズが、いつの間にか日を浴びていた。
5枚ほど絵はがきを友達に書く。 それでも仕事は終わらないので、日焼けを気にしないで続ける。
目の前ではフリオが木陰にシートを敷いてお昼寝。彼の肉刺だらけの足だけは 木陰から飛び出して、日光にしっかリ当てている。 フリオはいつもリラックスしていて、楽しそうに見える。一人でいる時も 自分の時間を楽しんでいるし、誰かといる時は、いつも大笑いをしている。 決して賑やかではないが、フリオを見ているだけで楽しくなるような存在だ。
向こうの木陰ではアンヘルがコーラを飲んでいる。 いつもは仲良しのパキとのツーショットが多いが、今日は珍しく一人だ。

切手を買いに町に出てみる。 小さな町のヨロズヤのような店で切手と果物を買う。 私はいつも果物を買うと、洗わずに店を出た瞬間から食べ出す。行儀が悪い。
そろそろ肉刺治療が始まったので、入り口のソファで様子を見ているあいだ、 隣に座っていた綺麗な女の子と話をした。 彼女はオーストリア人のアストリア。 今まで会った人の中で、一番英語が流暢だった。
しゃべっているうち、彼女と 今日一度すれ違ったことを思い出した。 その時彼女は木陰で休んでパンを食べていたのだ。その時はお互い会釈をし ただけだったが、とてもかわいい微笑みを返してくれたのが印象的で、 心に残っていたのだ。
金髪のスラリとした彼女は、まだ高校生で、あと1年高校に行った後、 大学に行くという。
そして、今日一緒に夕食に行かないかと誘ってくれる。アルベルゲに貼ってある 村のレストランのメニューを見ていて、食べてみたいと思ったのだそうだ。
いつもひとりぼっちで一緒に食事をしてくれる人がいないと言うのだ。 その日は胃の具合が悪く、食欲もなかったが、断れないのが私。 肉刺の治療が終わったら、一緒にいくことにした。  
やっと順番が回ってきた。 ドクターは3人いて、まるで病院みたい。あっちこっちで治療をしている。
私のドクターはバレンシアから来た女性。フェルナンドがついていてくれ、 通訳をしてくれた。
私の次はアストリアの番だった。小さな肉刺ができていたが、これは固くなるまで歩いた方が、かえって良いということで、何も治療はしてもらえなかった。

アストリアとレストランに行く。 (今日は他のみんなは買い物をして、アルベルゲで食べるという。)
田舎のいい感じのレストランだ。 こんな日に限って出される量がものすごく多い。
彼女は13歳の弟と9ヶ月の妹がいると言う。 勉強が大好きで大学では心理学を専攻したいと言う。
なぜこうして旅に出たのか聞くと、18歳になったら何かを成し遂げたいと 思ったのだと言う。
休みはたっぷりあるから、毎日20km程度歩いていると言う。 明日は10kmしか歩かないと決めている。
二度と会えないかっこいい女の子だった。

8月9日 RABANAL DEL CAMINOまで (20,9km)

 

今日は早めに出発したが、次々にみんなに追い越されていく。 9km先の一つ目の村に入り、今日の朝食を食べるバルを探しながら、 民家の軒や塀に生えた苔の写 真を撮っていた。
1m歩く度に止まって は写真を写す。 苔から生える花は愛らしい。 私は夢中になってシャッターを、押していた。
そこへフェルナンドが息をきらしてやってきた。 一緒に朝食を食べようと言い、すぐ近くのバルに入った。
そこで昨日フェルナンドがアストルガで買った名産のケーキを差し出して くれた。
赤い箱に入ったカップケーキだ。
そして、今日は40km以上歩いて距離をかせぎ、早めに実家に着いて11日の 誕生日をそこで迎えると言う。
もうフェルナンドの実家まで遠くはなかった。
そして2日家で休んだ後、また歩き出し、必ず私たちのもとへ戻ると約束 をした。
地図を見ながらフェルナンドの家のあたりを教えてくれる。
その村は何もないけど、村の外れにぶどう畑があるという。
食事が終わると一足先にバルを出て行った。
見送りながら、つくづくいい人だなぁと思う。
カミーノでは、 [会いたい人には必ずまた会える!] この頃にはこの言葉が確信にさえなっていたので、寂しい気持ちはなかった。

歩き始めると、高校生たちがいくつかのグループを作って歩いていた。 彼等は東洋人の私に興味を持っているらしい。
『瓢箪を付けているよ!』と声がする。
『日本語の挨拶は何ていうんだろう?』など、ひそひそ話しているので、 こちらから、『オラ!』と声をかけると、びっくりしながらも挨拶を 返してくれた。
数km先に行った時、この高校生を含む集団が休憩している。
総勢30名 と数人の引率の先生。
道の向こう岸の空き地で休んでいた彼等は、私を見て、なぜか拍手をし て迎えてくれる。
私は照れくさかったが、カメラを取り出し、『ウナ フォト!』と言うと、 みんなが盛り上がって手を振ってくれた。

今日も景色はいいし、気持ちが良い。 しかし、最後の7kmはきつかった。 また新しい肉刺が出来ていたのだ。
今回の肉刺はちょっとやっかいだ。
目的地の村に入り、ラウラから聞いていた今日泊まるアルベルゲを探す。 この小さい村に3つのアルベルゲがあるのだ。
あちこちでアルベルゲの場所を聞き、やっと見つけ受け付けをしていると、 ラウラが心配そうに見に来てくれた。
そして、私のために取っておいたベッドに連れていってくれ、中の施設 を案内してくれた。
私はこの日はシャワーよりもまず休みたかった。 こんなことは最初で最後なくらい、疲れていた。とにかく横になり、 一段落してからシャワーを浴び、外に出た。
すると、さっき会った高校生の一団の女の子が三人来て、一緒に写真を 撮りたいという。
洗いざらしの髪にスッピンではとても困る。 『ダメだよ〜』と逃げようとすると、みんなで『グアパ』(美人)だと 説得され(??) 一人と写すと、また別のカメラでまた一人、そしてまた別のカメラで 三人とそれぞれ写す。
記念になるのかなぁ?

ラウラはもし今日パキたちがここに来れなかったら、タクシーでパキの いる村に会いにいこうと私を励ましてくれた。
パキだけが英語を話すのでスペイン語しか話さない他の仲間の中で、 私が淋しいと思っていたらしかった。
確かにパキたちには3日も会っていない。
今日はラウラたち以外の仲間は先に行ってしまった。
20kmしか歩かなかったのはパキたちに足並みを揃えたせいでもあった。

一人でぼけ〜っとしたかったので、静かな感じの良いバルに入った。
そこにあったミートボールを注文する。そしてビール。 ミートボールは普段は好んで食べないのだが、給仕を待つ皿をみたら、 注文したくなったのだ。 これは薄味でかなりいける!
絵はがきを2枚友人に書きながら、のんびり時間を過ごす。
ビールをお代わりしたら、つまみがなくなったので、生ハムをオーダーする。
これもまたいける!やっぱり生ハムにはワインだ!
今度はまたつまみがなくなったがお腹はいっぱいだったので、オリーブを注文。
オリーブは、大好きなアンチョビ入りだったので ,幸せいっぱい。
私は一人で、ニヤニヤしてしまった。

7時から小さな教会で、グレゴリア聖歌が聴けるということでラウラ& ミッチェルと、行ってみる。教会の中はとても古く、飾り気がなく、 真っ暗。
そして立ち見の人も出る程の人が入っていた。
そこでおごそかに始まる。すべての説明は、スペイン語、英語、ドイツ語 であるため時間がかかる。
ラウラが言うには、典型的なグレゴリオ聖歌ではないと言うことだった。
私は聖歌よりも足の肉刺の痛みが気になっていたので、肉刺治療の名人に なりつつあった,ラウラに治療してもらうことにした。
ラウラは肉刺治療一式をたずさえて、私のベッドにやってきた。 肉刺は大きく広がっていて、中に入った水分を出すだけでも時間がか かった。
そこへミッチェルから、パキたちが到着した知らせが入った。 まだ治療の途中だったが、私たちはパキたちに会いに外へビッコをひき ながら、飛び出した。
雨にも降られたようで、疲れていたようだが、相変わらずの笑顔だった。
残念ながら、二人のためのベッドはもうなかった。
交渉の末、アルベルゲの管理人のガレージに泊まることになった。
そこへみんなで見学に行くと、ボイラー室のようになっていて暖かい。 トイレなどは個人のお宅のもので、豪華。
なかなか居心地が良さそうなので、羨ましそうな顔をしていると、パキが、 私もここで寝ればいいと誘った。
その時は冗談のつもりだったが、
『朝、自分のベッドに戻ればいいじゃない?』という提案に乗ることになった。

5人で近くのレストランにくり出す。 巡礼者で満員の店で、私たちは小さく肩を寄せあい、食事をする。
ラウラとミッチェルはワインの特産地リオハ出身だというのに いつもワインにサイダーを割って飲む。
そこでちょっぴり悲しい話を聞いた。 パキが昨日アストルガに来なかった理由。
それは疲れて歩けなかったためではなかった。
数日前まで別行動だった頃、二人はホアンと一緒のことが多かった。 そんな時、ホアンが水道の蛇口に額をぶつけ、病院に行ったことがあった。 私もパキに病院についてきてもらったことがあったが、彼女は誰にでも 本当にやさしい天使だのだ。
それをホアンは誤解して、パキのことが好きになってしまったのである。 ホアンは60歳、パキは昨日の誕生日で30歳になったばかり。 ホアンには家で待つ奥さんも当然いて、パキが電話でしゃべれないホアンの 代わりに奥さんと話してあげているところも私は見て知っていた。
パキのことを好きになってしまうホアンの気持ちもよくわかる。 彼の話をいつも忍耐強く聞き、その話に興味を持って楽しんでくれる人だから。
でも、パキはとても困っていた。
携帯へのメールがたくさん入ってくるのだった。
残念なことにこの事実はこの何の暗さもない巡礼中の出来事で一つの影を 落とした。
パキはできればもうホアンには会いたくないと言う。
私はホアンも大好きだった。彼の存在も大切に思っていた。
パキはもしかしたら、このことを真剣に捉えすぎているのではないか。
一方、ホアンの気持ちは良くわかるが、彼女をこんな不快にさせることは 大人としていきすぎている。
せめてパキのこの夏の楽しい思い出が、この一点で、不快なものにならない ことを祈るしかなかった。

8月10日 PONFERRADAへ 32,7km

 

今日からパキ&アンヘルとの珍道中が再開した。
今まで誰かとしゃべり続けながら一日べったり歩くことはなかったが、 このあたりから朝から晩まで一緒にいることが多くなった。
木に付いている実を、これは何かと聞くと、二人はそれを取り中を割って 見せて説明してくれる。
山の上で5人で朝食をとり、ラウラたちとも付かず離れず歩く。 ミッチェルは私の後ろから来て、犬が吠える真似をする。
そっくりなので私は飛び上がって逃げる。
ミッチェルは地味な印象だが、人柄が良く、どんな環境にあっても、人への 心遣いを忘れない。
私もいつも彼の暖かい気配りに励まされた。
今日は雨模様の一日で、たくさん降ることはなかったが、みな雨具の準備を していた。
彼のポンチョを着た姿はノートルダムのせむし男のようだとパキが 笑い、写真を撮った。

海抜1424mの村フォンセバドンを過ぎ、なだらかな山道に差しかかった頃、 もうすぐクルス(十字架)のモニュメントがあるから、そこに置く石を拾うよう、 命が出た。
足下を見ても石などない。パキとアンヘルは下を見て、時々顔を出している 石を掘り起こしている。
パキが一つ私のためにみつけてくれた石を拾う。
二人は、石を拾ってもまだ 満足のいく石に巡り合わないようで飽くなき石への探訪は止まらない。
私はパキがみつけてくれた石で満足だった。
そのうち石がたくさんある道 になると、二人は下を見ながら白い石を探していた。
さらに歩くと、石だらけの道になり、最初の頃の苦労は何だったのか わからなくなったが、その石の山の頂上に、大きなクルスがそびえ立っていた。
CRUZ DE FERROという。
ここでみんなは持ってきた石に祈りをこめて置くのだ。
そこにはそれぞれの故郷から持ってきた品、一緒に来れなかった人の品、 巡礼中に身に付けていたものなどがくくりつけられていた。
さらに山道を進むと、すれ違いさまにおじさんが振り返って、『水を飲むかい?』 と聞いてきた。
その手には、リュックから出た水のボトルとつながっている ホースがあった。
それを断ると、チョコを食べるか聞かれたので、そちらはイエスと答えると、 まだ新しいチョコのパッケージごとくれた。 何回か一緒のアルベルゲに泊まった覚えはあり、顔見知りだったが、おじさんが 行ってしまった瞬間、ピン!ときた。
この人はもしかして、レオンに入る前の橋で 昼寝をしていた私に水を勧めてくれた人!? 今まで何で気がつかなかったのだろう。

マンハリンのアルベルゲは名物のホスピタレーロがいる。
山の中でとても 質素なアルベルゲだが、みんな立ち寄り、そこでスタンプを押してもらう。
途中の景色は美しく、山側には紫色の花が咲き乱れ、そこでひと休みすることにした。
そこでパキたちが分けてくれたのは、目が覚めるようなオレンジ色のチョコレートだった。
一足遅れてアストルガに入ったパキたちは、チョコレート博物館でこのオレンジの チョコを買ったのだ。
彼女はアストルガはケーキやお菓子を売る店がたくさんあって、いい街だったわね と目を細めている。
甘いものに目がないのだ。 オレンジのチョコは、ホワイトチョコにオレンジの果汁が入っているもので、 おいしいチョコをスペインで食べたのは、これが初めてだった。
エル・アセボの手前あたりから、私とパキはほんの少し道を外れてしまった。
もう村がすぐ真下に見えているのだから、何の心配もなかったが、雨の時に水が 流れた後に出来た道のような急な下りとなった。
あきらかに巡礼路からは少しだけ外れていた。
あまりの急な道に、何故かパキは座り込んだ。
後で聞いたら、恐くて座りこんでしまったのだと言う。
私はこういう道は座りながら滑るのがベストだとテキトーなことを言うと、 パキは、震える程笑い、私の顔を見ながら、本当に座ったまま滑りはじめた。
私もおかしくて、もう会話にならない。
そしてとうとう彼女は笑いながら滑ってしまった!

エル・アセボのバルで軽い食事をして外に出ると、雨が降り出した。
この辺りの家は、二階のテラスの様に道の上に張り出している。 だから、歩道の下は屋根のようになっている。
この雰囲気を、パキは西部劇に出てくる家みたいだと言った。 歩いていると、地方によって家の形態、素材はずいぶん違うものだ。 確かに自然の石の形も違う。

雨の中、山道を歩く。いい景色なのだが、強い雨で歩くのが精いっぱい。
今日の目的地、モリナ・セカのセカとは、『ドライ』という意味だと言う。
しかし実際のモリナ・セカは雨で湿っているので、モリナ・モハダ (『ウエット』) と呼ぼうという取り決めになった。
モリナ・モハダでアルベルゲに行くと、もう室内のベッドはなかった。
屋外の軒先のベッドか、外のテントしかないと言う。
そろそろこのあたりから、巡礼者の数は何倍にもふくれあがり、ベッドの 争奪戦が始まっていた。
私たちは、ここで何かを食べて、先の街まで歩くことにした。 私は荷物が重くなるので、食料を持っていない。
この回りには食料を売って いる店は何もない。
パキたちはターキーのハムがはいった、食パンのサンドウィッチを作って 分けてくれた。
それはとってもおいしいばかりでなく、気持ちまで暖かくしてくれた。
次の街、ポンフェラーダまではパキと二人きりで歩く。
ミッチェルとラウラと最初に出会ったのは二人が5歳の時、つき合いはじめたのは 15歳、そして15年たった今、結婚した。 二人は、この巡礼の3日前に結婚式をあげたのだった。
つまり、これが彼らにとって、新婚旅行なのだ。
そして、長くつき合ってから、結婚するというのが、スペインのパターンという ことで、ラウラ&ミッチェルのような話はスペインでは珍しくないと言う。
そんな話から、日本の結婚事情まで話がすすんだ。

ポンフェラーダのアルベルゲは大きかった。
入り口付近には大勢の人がいて、昨日会った高校生の集団が私のことを見つけて 『オラ アミーガ!オートラ ノーチェ!』(今夜もまた一緒ね!)と遠くから 元気良く声をかけてきたので、パキに昨日の写真のことを話した。
その後は、 いつも彼等を見ると、 『あなたの友達よ』と、からかわれるようになってしまった。 ここのベッドルームは大部屋の上、とても窮屈。
シャワーに行けば、水しか出ない。
女子シャワーは二つしかなく、私はこざっぱりしたくて、シャワーを浴びたが ラウラもパキも、シャワーを浴びなかったという。
パキはその前の2日もシャワー を浴びていないと言う。記録を伸ばし、みんなから『プエルカ』(ばっちぃ人) と呼ばれることになった。
私が中でシャワーを浴びていると、外でラウラが並んでいた。(実際はシャワー を使わなかったが)その時、私の高校生のアミーガ(アミーゴ:友達)も並ん でいて、話をしている。
ラウラは、『そうよ、彼女は私たちの仲間で・・・』と、私のことを、やさしく 説明してあげている。
ラウラも今日は、雨で疲れているだろうに・・・。
大人はいつも子供に対して対等に接している。
また、私の事をそんな風に話してくれているのも嬉しかった。 パキの弟アンヘルもまだ18歳で、子供っぽい一面 もあるが、まわりのみんなは ごく普通に対等に接している。
そのくらいになると、子供扱いもしない。
私に対しても、全く対等であり、言葉が通じなくても他のスペイン人と同じよ うに接してくれる。

こんなアルベルゲには、なるべくはいたくなかったので、外へくり出す。
レストランを探していたら、フリオとフリオの彼女に会った。 今日から彼女も一緒に歩くのだと言う。
フリオがたびたび長電話をしていた相手は、彼女だったのだ。 小柄な、とびきり感じのよい美人で、私はおおいに納得した。 8時にレストランが開くまで、ビールを飲んで過ごし、地元の人たちで 賑わうレストランで、ゆっくり食事をした。

モニュメントの前でポーズ
朝は、清掃車が頑張っています
木の下で休憩
肉刺だらけの足だけ日なたで乾燥させるフリオ
思い思いの場所で休憩
アルベルゲ室内
この子が受け付けをしてくれます 奥では、肉刺治療
バレンシアから来た肉刺治療のドクター
アストリア(オーストリアン)とディナー
ローマ時代の石橋
広々して気持ちいい!
ちょー感じの良い二人:ミユルコとフランチェスカ(イタリアン)
この明るい土の色と、緑がきれい
やっと町が見えてきた!
食べきれない量 の、チョリソ−
りっぱなアストルガのカテドラル
アストルガの広場
ガウディの司教館とラベンダー
朝、一つめの村が見えてきた
かわいい苔の花
フェルナンドがくれたアストルガのケーキ
フェルナンド
高校生のアミ−ゴ達
道、道、道・・・
ひとりバルも楽しい
アルベルゲ全貌
アルベルゲ入り口
水飲み場
魚のスープとイカフライ
朝焼け
いつも仲良しのパキとアンヘル
チョコレートをくれたおじさん。もしかしたら、レオンの橋でも声をかけてくれた?
クルス・デ・フェロ
マンハリンのアルベルゲ
オレンジのチョコ
ノートルダムのせむし男(ミッチェル)
パキが座り込み、そして滑った・・・
西部劇みたい?
こんな大きな石の上を歩く
一週間前に火災があったらしい。まだ焦げた匂いが・・・
一番雨がひどかった日、道も小川に変身
雨が多い地方は緑が多い
ポンフェラーダの広場