the 6th stage 
 6月11日から 8月14日まで

8月11日  CACSBELOSへ  (15,3km)

 

朝早くから騒がしくて目が覚める。
実際支度が整ったのは7時過ぎ。
ラウラ&ミッチェルは先に出ていった。
アンヘルがコーヒーを飲みたいと言い出し、アルベルゲでゆっくりして いくことになった。
そこでパキがこう言った。
「アンヘルの先生から聞いた話なんだけど・・・。」
巡礼には3ステージがあり、 第1ステージは自分の体を気にする。肉刺が出来たり、疲労や筋肉痛、自分 の体に不安を感じるのもこの頃。
第2ステージは、知的好奇心期間。 すでに体の不安はおさまり、滞在する村の、歴史や文化について、知りたくなる。
そして今、第3ステージに入ったら、スピリチュアルに自分を見つめ直し、自分 自身と対話をするのだと言う。
それなのに、今日のようなアルベルゲでは 無理だわ。」

確かにそうだった。
朝から
「私のブーツはどこ?」
「こっちよ!」
「暗くて見えないわ。」
「じゃあ、明かりを付けて!」
バシッ(電気が付く音)!
・・・・・・・
このようではいけないということになり、今日からは小さなアルベルゲに 泊まろうということに決定した。
出発したのは結局8時過ぎであったけれど、もう気にしなかった。
ポンフェラーダの街にはお城があって、その近辺でまたアミーゴたちに会う。
私とパキはアミーゴたち(高校生)を恐れていた。
二人でこそこそとアミーゴに みつからないように歩く。
そして、アミーゴたちは朝の5時から騒いでいたのに、 まだこんなところに居るねと大笑い。
3時間も何をしていたのか。
もちろんその高校生たちに罪はなく、かれらは真面目だし、素直なのだが とにかく集団はうるさいものだから・・・。

ポンフェラーダの街も大きかったので、出るまでは時間がかかった。
まだ街を見渡せる場所に来た時、パキが大きなラズベリーの木をみつけた。
3人は無言でしばらくそのラズベリーと向きあった。
パキは小学校の先生を志望している。
スペインでは、小学校教諭の門は狭い らしく、試験も難しいらしい。
彼女なら、いい先生になれるだろう。
朝から晩までの彼女のスケジュール。
6時半起床、7時半に家を出、車で10分ほどのところの一つめの勤め先へ。 ここは6〜7歳の子供のクラスを一時限だけ、先生として働く。 給料は安いそうだが、好きな仕事だから、かまわないと言う。 その後すぐに、工場での仕事を5時まで。 仕事が終わると、大学に行く。教諭試験の授業を受けるため。 そして9時に家に帰る。それから家庭教師の仕事。大学受験を控えた 学生を、何人かみているとのことだった。
仕事が終わるのは11時。 それから食事、お風呂、たまにそのあと出掛ける。
巡礼中に比べると、大変なスケジュールだ。
巡礼って、みんなは大変なことと思ってくれるけど、せいぜい 5時間労働で、何にも考えなくても良いのだから、普段の生活より、 ずっとらくちんなのだ。
エアロビクスを2時間する方が、ずっと体力を使うと思う。

今日はとにかくゆっくり歩くのだ。
少し歩くと、今度は変わった実を発見。
これの中身を潰して調べる。
まるで小学生の理科の授業のようだ。
そんなことをしながら、5km先のバルに着き、朝食をとる。
アンヘルが財布から、写真をたくさん引っ張り出して、見せてくれる。
家族の写真。両親と、パキとアンヘルの間にいる、結婚している弟も写っている。 10年くらい前の写真らしい。
アンヘルの写真コレクションの中には、友達の写真、つきあっていた昔の 彼女の写 真が出てくる。
今度はパキが写真を出してきた。
こちらも出てくる、出てくる・・・。

今日はパキのお母さんのお誕生日ということで、二人は公衆電話で電話を かけにいった。
そういえば、今日はフェルナンドの誕生日でもあるから、後で電話しようと いうことになった。
そして、今日の目的地が決まった。
スピリチュアルな旅を目指して、のんびりと15km先のカカベロスだ!
バルを出ると、私たちの、のんびり具合に拍車がかかり、途中でリンゴ、梨、 葡萄を取っては食べる。
その頃、オーストラリア人のリチャードとオーストリアのマリアが追い付い てきた。
久しぶりの再会だった。 二人は私たちの、のんびりムードにはついてこれず、先に行ってしまった。

そのうち、フェルナンドが住んでいる村に入った。
そこで再びマリアと合流し、歩いていると、後ろから赤い車が来て、ス〜っと 私たちの横に車を止めた。
そこから出てきたのは、なんとフェルナンドだった。
家に帰り、こざっぱりとして見違えるようだった。
そこでみんなでハッピー バースデーの歌をスペイン語で歌い(コンプレ アニヨス)助手席にバースデ ーケーキを見つけ、盛り上がる。ちょうどケーキを店に取りにきたところ だったのだ。
この先に、巡礼者にワインを無料で飲ませてくれる場所があるという情報を 教えてくれ、いったん別 れた。
歩いていくと、再びフェルナンドは家の前で私たちを待っていてくれた。
フェルナンドの家は3階建ての立派な家で、窓からお母さんや伯母さんも 顔を出し、手を振ってくれた。
まさに巡礼路の上に位置していた。 すぐそばのバルに連れていってくれ、ビールをおごってくれると言う。
私たちは今日までの話をし、楽しく乾杯をした。
そこでつまみにスナック (豚の皮を揚げたもの)と、巨大なオリーブが出た。 記念にオリーブの種を持ち帰った。
これでパキのお母さんは、彼女が小さい時、 バスケットを作ってくれたという。
私にはどんなものか想像できなかったが・・・。

5km程歩いて、今日の目的地に着いた。
そこには二人部屋の広々した解放的なアルベルゲがあった。
パキとアンヘルが一部屋になり、私はイギリス人のスーパー・ウーマン ナンシーと同室になる。
彼女はチベットでもどこでも行ってしまうような 健脚で、毎日45km歩いていると言う。
性格も積極的で、ジャーナリストを 目指している。
彼女なら、何でもできそうな感じがした。
南米で習ったスペイン語も上手で、エネルギーに満ちた人だった。
そして、今日、日本人の二人連れとすれ違ったと言う。
もしかしたら、 グリちゃんとあけみさんのことかもしれない。 しかしナンシーの足は速いので、景色もあっと言う間に変わるらしく、それは 定かではないけど、確かにみかけたと言う。 もしかしたら、今日は二人に会えるかもしれない・・・。

洗濯をしたり、のんびり過ごしていると、食事に行ったはずのアンヘルが一人で 大量の洗濯物を絞って干している。
お姉さん(パキ)の下着まで絞って干している。 見ていると、絞り方が甘い。これじゃあ乾かないと思い、服の片端を持ってあげ、 一緒に絞ってあげた。
まるでここだけ見ると、恐いおねーさんに命令されたかわいそうな弟という 構図だが、もちろん実際はそんなことはない。 でも、『えらいなぁ』と感心してしまう。
パキが戻ってきたので、何でアンヘルは一人で戻って来て、洗濯物を干して いるのか聞いてみた。
「アンヘルは、食べ物を持ち帰って食べるのが好きなのよ。私にも何故だかわかんない んだけど・・・。 今日も私がレストランで注文をしたら、買い物をしてアルベルゲで食べると 言って帰ってしまったの。 私は一人残されて、キョトンとしてしまったわ。 でも、そこのパスタが美味しくて・・・。一人でテレビを見ながら食べたわ。」
その頃、雨が降り出していた。
ふと洗濯物を見ると、パキの洗濯物だけが、雨にさらされている。
二人で顔を見合わせてびっくり!
アンヘルはいつの間にか自分の分だけ、 取り込んでいたのだった。
パキは、クスクスと笑いはじめた。
「何で私の洗濯ものだけが・・・」
私も笑いをこらえられなくなっていた。

そしてグリちゃんとあけみさんががやって来た。
久々なので、今夜は三人で一緒に食事に行くことにする。
ここもローマ時代に創られた町だという。きれいな街だった。 パキお勧めの、ファミリーレストランのような店で、パスタやサラダを頼む。
私たちは久しぶりに会って、今までの旅の思い出を報告しあう。 グリちゃんは、私と別 れてから、体調が悪かったということだった。 もう1週間会っていなかった。

8月12日  LA FABAへ  (30、2km)

 

また今日も3人で歩きだす。
ラウラたちは私たち3人のことを、『ロス・トレス・モスケテロス』 ("LOS TRES MOSQUETEROS")と呼んでいるという。 それの意味は、直訳すると、『3人の王様の家来たち』。
有名な童話で、歌もある。
王様のために戦う、けなげな家来の話らしい。
なんとなく想像できる。おそらくああでもない、こうでもないと言いながら 3人の家来が、珍道中をするのかもしれない。

ビア・フランカまでは美しい景色。
そこで、世界じゅうから来た人が 建設している有名なアルベルゲで朝食を取る。
まだあちこち建築中だった。一度火災に遭い、建て直しその名をフェニックスという。

『トレス・モスケテロス』は、今日も道ばたの果 物の採集に余念がない。
おいしいリンゴの木を見つけ食べる。
パキはトイレから戻ると、おみやげに梨を3つもいできた。
ラズベリーももちろん食べる。だんだん美味しい実を見分ける術も覚えた。
ブルーベリーもあちこちにあったが、まだ固かった。

ペレッへという村に入ると、アンヘルが疲れたのでバルで休みたいと言い出した。
私たちはまだ5kmしか歩いていなかったが、従うことにした。 珍しくアンヘルが飲み物を待つあいだ、カウンターに座っている。
私も飲み物をオーダーする。
そこには、こんな田舎には不釣り合いな、 超美人でスタイルも決まった女性がいた。
私は写真を撮りたいくらいだったが そんなこともできないほどの威圧的でさえある美人なので、やめておいた。

飲み物の用意ができると、パキのいるテーブルに戻ったのだが、アンヘルは無言で 急に立ち上がって、たばこを買うと言い出し、私たちの静止を無視して、 たばこの自動販売機に向かった。実はアンヘルは今日から禁煙する約束を していたのだった。 もう5年もたばこをやめられないらしかった。(まだ18歳なんだけど)
私もパキもあきれて、彼を責めた。
吸うのは一日一本だけ。サンティアゴに着いたら絶対にやめるという約束を、 とりかわした。
店を出ると、ここから車道のとなりに作られた、歩行者用の黄色い道が続く。
道は山に沿って回りながら、長く続いた。 パキが、ニコニコしながらがアンヘルをつっついている。 何があったのだろう。 パキはこう言う。
「たったの5kmしか歩いていないのに、バルに入ったのは、中に美人がいた からよ。」
アンヘルは一生懸命それを否定している。
私も乗って、アンヘルをからかう。
二人でしつこくアンヘルをいじめていたら、急にアンヘルが大きな声を張り 上げ、自転車の巡礼者に向かって
「ブエン カミーノ!」(よき巡礼を!)
と叫んだ。
私とパキは顔を見合わせた。
びっくりしたのだ。 アンヘルは日ごろから、もの静かで大声を出すタイプはないし、自分から 声をかけるタイプではない。
しかもそこは、ちょうど頭上に高速道路が 交差していて、音が聞こえないような場所なのに・・・。
自転車の人たちにも、遠くて声 は届かなかったはずだ。 私たちは次の瞬間、大笑いをした。
彼は幸せすぎて誰にでも『ブエン カミーノ!』と叫びたい気分なのだ! 私たちは笑いが止まらず、道ゆく車、自転車に向かって、両手を広げ、 『ブエン カミーノ!』と叫びまくった。 さらに、幸せなアンヘルにとっては、あの道も、木も、花もすべて輝いて 見えるのねと大笑い。
パキもかなりしつこい。
私たちはこのネタだけで、数日間楽しんだ。

次の村で食料を少し買い、バルで飲み物をたのみ、軽い昼食を食べていた。
私はサーディンの缶詰を開け、トマトを入れたサンドウィッチを食べていた。 サーディンの缶 詰は食べ終わったあと、缶の蓋を元に戻し、箱にも入れておいた。
そこに、野良犬が2匹登場。私たちは、気持ち悪いと思いながらも、知らん顔を していると、テーブルまで顔を出し、追っ払っても平気でやってくる。
そのうちさらに近づいてきたので、あわてて自分の飲み物や食料だけを持って 逃げ出す。
テーブルの上には、カラになったサーディンの缶だけがあった。
犬はそれを取り、地面に置き、箱から出して、スチールの缶の蓋を開けて、 缶をぺろぺろ舐めている。
私はあっけにとられて見ていたが、アンヘルは 大笑いしている。
この騒動が収まると、そろそろ出発するのかと思ったら、となりのバルに 入ってコーヒーを飲みなおそう言う。
バル好きの私でさえ、少々ずっこける。
カフェ・コン・レーチェというと、大きなカップのミルクコーヒーが出てくる。 少し飲みたい時には、コーヒーの量 を少なく、ミルクを多くと言えば通じるが、 パキにいい呼び方はあるのか聞いてみると、セビリアでの呼び方は、コーヒー のシミと言うのだという。
その次の村のアルベルゲをのぞくと、マリア(マラガ)とアレックスがいた。 この二人は、この巡礼中に仲良しになっていた。
今日の目的地はLA FABA。
その手前の最後の村(LAS HERRERLAS)に着くと、 小高い丘の上の緑の草原が見渡せるテラスがあるステキなバルがあった。
オレンジジュースを頼み、心地よい風を感じながら、増々のんびりする。
丁度良く乾燥したフェルナンドの誕生日に食べたオリーブの種は、ポケットに 入っていて、そこで、前からアンヘルが作ると言っていたバスケットを彫り 始める。
オリーブの種にナイフを使い彫刻をし、バスケットの形にするのだ。
アンヘルはすっかり熱中し、さすがに私とパキは、アルベルゲのベッドの ことが心配になり、明日続きをやるように二人で説得するが、手を止めない。
私たちはもうベッドのことはあきらめて、アンヘルにつき合うことにした。
アンヘルの創作ぶりを見ていると、慣れているようなので、プロフェッシ ョナルなの?と聞くと、今日初めて作ったと言う。(あらら・・・!)
2杯目のオレンジジュースを飲んで、やっとアンヘルが納得のいく作品ができた。
オリーブの種で作ったかわいいバスケット。
私はそれに持っていた紐を付け、日本に帰るまで身に付けていた。

ここから3,6kmを歩き始める。 LA FABAまでの道のりは、緑にあふれた美しいものだった。
アンヘルじゃないけど、草原も小川も輝いていた。
イギリス人が作った村だと後で聞く。
地元の人に話しかけられ、しばらくおしゃべり。
増々ベッドは遠のくが、そんなことはもうどうでも良かった。 その後は、ひたすら登りとなる。
すでにセブレイロ峠にさしかかったのだ。
ひたすら道は天の上まで続くかのように、上へ上へと伸びる。 畑には、魔法使いのおばあさんのような人がいて、声をかけてくる。
遠くで座っているところを写真に撮らせてもらう。


さらに登ってその天国までの中腹に今日の目的地LA FABAの村があり、 そのアルベルゲは最高に素晴らしいものだった。
私たちは、残り最後の3個のベッドを当てがわれ、小さな商店で買い物をし、 庭のベンチでそれを食べた。
向かいには教会があり、地元の人たちは集まっておしゃべりをし、畑もあり、 牛もいる。のどかで何のストレスもない極楽のような場所だ。
アルベルゲの居間には暖炉が焚かれていたので、洗濯物を室内に干し、 たまっていた日記を書く。

8月13日   TRIACASTELAまで  (25,3km)

 

村を出ても、相変わらずの登り道。
しかし段々景色が開けてきた。朝焼けの山々。
こんな景色はこんな時間に歩いていなければ、味わえないものだろう。
ここで、パキとアンヘルは、朝日を見ている後ろ姿を写真に撮ってほしい と言う。
さすがになかなかキマッテいる。
私も真似して、パキに撮ってもらった。
大きな石の碑が見えてきた。
ガリシアに入った道しるべだった。
いよいよガリシアまで来たのだ。
セブレイロの村は、どこもかわいい藁葺きの屋根で、形もユニーク。 この藁葺き屋根は、ローマ侵入以前のケルト文化の名残だと、言われている。

バルでゆっくり朝食を取り、隣の土産物屋を見ていたら、マリア(オーストリア) に会った。
彼女はオーストリアチームのオリジナルメンバーの一人だった。 彼女のお兄さん二人を含む構成で、6人いたメンバーは、少しづつ仕事などの 都合で帰っていったので、今や一人残って頑張って歩いているのである。
教会に行ってみると、そこでグリちゃんとあけみさんに会う。 ミサは、イタリア人巡礼者による、おごそかでありながらも、明るい楽しいものだった。
朝は開いていなかった、別の土産物屋も開店し、ここでケルト文字が刻まれて いる陶器で出来たペンダントをみつけ、その意味の説明を聞き、パキに訳して もらう。
朝からゆっくりしてしまった。

今日は小さな村を、いくつも越える。
ガリシアの伝統的な靴は木靴で、今もそれを履いている人に会えるかもしれ ないとパキが言う。
なかなか木靴を履いた人には会えなかったが、玄関先に、木靴が脱ぎ捨てられて いるのを目撃した。
ガリシアに入って、何かわからないが、確かに今までとは空気が違う。
人の感じも違う。 村で休んでいると、地元のおじいさんが話かけてきた。
おじさんは、通りすがりの私たちに、いろいろな話をしてくれる。 穏やかな話し方、物腰である。
このあたりの村は以前は人口が100人くらいだったが、今は30人。 マフィア(エタのことらしい)の隠れ家になっていて、安く土地を売らなくては ならなかったり、作物を搾取されているということだった。
こんな静かな村にも、そんな一面があるのだ。
おじいさんは、私が日本人だとわかると、以前に日本の大使に村を案内した ことがあると言っていた。

今日はマリア(マラガ)の誕生日で、トリアカステーリャへ全員集合の 号令がかかる。
携帯でラウラから回ってきたのだった。
スペインでも我々と同じように、ほとんどの人が携帯を持って旅をしている。
これって大きな革命に違いない。
どこを歩いていようが、電波さえ入れば連絡がつくのだ。
巡礼者同士も しばしば連絡をとりあっていた。
私は逆に、パソコンのメールチェックもできない状態で、もちろん携帯は 持っていかなかった。
確かに便利だが、俗世がいつもつきまとう。
仕事や日常からも抜けられない のではないだろうか。
携帯がない時代は、すぐそばにいても、二度と会えないような、ロマンチックな こともあっただろうに、今はそれを自分自身で操作できるのだ。
そして、今回も携帯の恩恵に預かった。
ラウラからの連絡で、私営のアルベルゲなら、今夜の予約が出来るという。
パキが電話を入れ、ベッドを確保したので、また今日ものんびりバルに寄りながら 道で果物を摘みながら歩くことができる。
農家の軒先に、1ユーロでベリー類の詰め合わせを売っていた。 レッドカラントや、始めて食べる葡萄のような甘いベリーも入っている。 それを一つづつ買って食べる。
また、草の間から、天然の水が湧き出ているようなおいしい水をペットボトル に詰めこんだ。甘くておいしい天然水だった。

今日もバルに何軒か寄りながら、トリアカステーリャの町に着いた。
名前は三つの城に由来されているということだが、何故その名前がついたのかは わからないそうだ。
この地域で一番古いお城は、北北西の山の上にあると言う。(919年)
アルベルゲはあまり綺麗とは言えなかったが、狭い部屋に半分くらいの 顔見知りが揃った。
ここで、フランス人のアンブレラ・マンに再会する。
彼を初めて見たのは、フェルナンドの村に入る少し前。
ボロボロの手作りの古い傘が印象的で、彼そのもの、また その姿がトータル的にオールド・ファッションで、人目を惹いた。 その傘を、荒野の中は杖にして、風に向かって歩いていた。
彼の姿をみて、私たちは『すごいね』と、顔を見合わせていた。 そして、フェルナンドとバルに行く途中、一緒にくっついてきて 道がわからなかったので、私たちのあとをついてきたと言った。 その時、わずかな時間会話をしただけだった。
パキは、別のアルベルゲで一度会ったと言う。 ここで会った時は、もうすっかり友達のような気分になっていた。
あの傘は、雨の日に地元の人にプレゼントされたものだった。 おんぼろだが、手作りの上質のものだった。
彼はフランス人で、ストーリー・テラーだと名乗った。
そんな雰囲気のある人だった。

アルベルゲの前で、アンヘルがくつろいでいたので、お邪魔する。
日本の世界遺産、熊野古道について話した。
パキも来て、話を続けるが、KUMANOと聞いて、大爆笑をする。
CAMINO(カミーノ)のコピーじゃないかと思っているので、私は必死で 世界遺産という言葉で説明する。
遺産という単語を彼女は知らなかったので そこから始め、あの手この手で話すが、わかってもらうまでに、時間が かかった。 帰ってから、熊野を少しだけ歩いたので、メールで写真を送るとやっと 冗談ではないと、わかってくれた。

さて、バルでマリアの誕生会が始まるというので、腰を上げるとあけみさんが ポストからの帰りということで、ばったり出会った。
別のアルベルゲに滞在 しているのだった。
私は今からマリアの誕生会をするから、グリちゃんも誘って一緒に来たら? と声をかけた。
すでにみんなバルの前に椅子を並べて座っていた。
マリアが全員の注文を聞いて、ご馳走してくれた。
こちらの誕生日は、本人がご馳走してくれるらしい。
マリアはプレゼントをされたばかりのカードを使って、全員に占いのような ことをしてくれた。
そのカードには、巡礼にまつわること、草花などの写真 が満載で、見ているだけでも楽しかった。

8月14日   BARBADELOまで  ( 22,9km)

 

今日はパキと今までの思い出について、話しながら歩いた。
私が最初にサンジャンに着いた日のこと、そこで同室だったスペイン四人組の ことはパキも良く知っている。
その中で、『キケはいい人だったね』という話になり、私が知らなかった、キケの 聞けば涙・・・の、おもしろいけどホロリとくる話も教えてもらった。
それは、キケとアドリア−ノの友情物語で、いわば裏話であった。
パキはいくつもそんなエピソードをいくつも覚えていて、大笑いしながら教えてくれる。
アドリア−ノはいつも表の存在で、いい人なんだけど、いつもそこには裏で 彼を支えるキケがいたのだった。
また、ペドロがグッドルキングだという意見は一致し、お互いのペドロの 情報を交換しあった。
私とパキが初めて会った日の話、病院に一緒に付いてきてくれたことなど、 遠い昔の話のようだった。
その時は、まさかこんなに親しくなるとは夢にも思わなかったのである。
パキは、誰からも愛される、いつも楽しい人だが、私たちには何か共通する 笑いのツボがあった。
彼女は私の話に興味を持ち、私もパキの話がおもしろ かった。 いつもばかばかしいことで、大笑いをして、周囲のヒンシュクをかっていた。
そしてこの頃に良く話題に出たのが、サンティアゴに着き、そのあとフェニ ステーレという最果 ての港町に行き、巡礼中に着ていた衣服を燃やす時のこと。
そこで新しく生まれ変わるのだ。
そのことを、いつも私たちは 『オープン ザ ドア』と言い、 そこに何があるかを想像した。
お互いに、そこには『アレハンドロがいる』と言って、大笑いした。
アレハンドロは、レオンから一緒に歩いている人で、フリオの元同僚。
何から何まで私たちを笑わせてくれる。
天然でもあり、おもしろいことを言っている自覚もあるようなのだが、 そのしゃべり方、話の内容、仕草、行動、すべてがおもしろい。
最初は、変な人かと敬遠していたが、彼のユニークな考え、存在が おもしろいと気がつき、もちろん新しいドアを開けた時、そこに居てほしくない 人ナンバーワンなのだけど、
『ドアを開けて、そこにアレハンドロがいたら、大急ぎでドアを閉めるわ』
と、いうのがここ数日間のネタだった。
私とパキは、昨日彼はこんなことをしていたとか、 こんなことを言っていたと報告し合っては、楽しんでいた。
そのしゃべり方だけでも面白く、パキはアレハンドロの物真似が上手だった。
そんな話の矢先、パキは今朝あのアンブレラ・マンに洗面所で会って、その時彼が 『雨に唄えば』を口ずさんでいて、それがとてもいい雰囲気だったと真面目な 顔をして言った。
それを今まで大人しく聞いていたアンヘルが、急にニコニコしてパキを つっつきだした。
パキが好きなんだろうという風に。
一昨日のペレッへで出会った女性の時のお返しのようだった。 私も悪ノリして、一緒にからかった。
それ以来、パキのアンブレラ・マンに対しての疑惑が常に私たちの話題となった。

好きな歌手や俳優、映画の話もたくさんした。
パキは、スペインのミゲル・ボセという歌手がものすごくかっこいいと言う。 もう、けっこうな年らしいが、若い時からずっとかっこいいのだと言う。
目を輝かせて、みんなに聞いてみて!と言うので、あちこちの若い女性に 聞いてみたが、みんなの反応は、いま一つだった。
今度メールで写真を送ると言っていたが・・・。
(のちにメールでたくさんの写真を送ってくれた。ここに載せたいけど、 肖像権の問題があるので、控えます。)

今日の目的地BARBADELOまでは4kmあまりのサリアという大きな街の 入り口のバルで休んでいた時、パキがこう提案した。 サリアでスーパーや銀行に行き、今日は公園で昼食を食べ、昼寝しようと 言うのだ。
まだお昼前だから、このまま目的地に行けば、充分ベッドが取れる時間だった。
ここサリアは、サンティアゴまで100km地点の手前にあたり、ここから 歩けば巡礼として認められる地点であるから、またどっと人数が増えること が予想された。
しかし私も銀行へ行きたかったし、昼寝も魅力的だった。

太陽は、ちょうど真上にあり、サリアの街は暑かった。
スーパーは、とても広く、そこにいるだけで楽しい。
その果物売り場で、パキが私が実るのを心待ちにしている、いちじくをみつけた。 迷わず7個ほど買う。
他にも明日は日曜なので、それに備えて買い物をする。 その重さはリュックの重さの半分以上になってしまった。

さて、インフォメーションでもらった地図を片手に公園を探す。 それらしいものはなかなか見つからない。
パキは、3年前にここからサンティアゴにすでに歩いて行っているのだ。
だから、ここからのことは、すべて知っているので、私も安心していたら 見つけた公園は、入り口から人間の侵入を拒むような、踏むすきもないほど の『緑の有刺鉄線』がはりめぐらされていた。 もう何年も誰も足を踏み入れていないような、トゲだらけの野生のラズベリー に覆われたものだったのだ。
足を出していたパキは傷だらけになる。
これ以上中に入るのを躊躇していると、先を歩いていたアンヘルが、テーブルと 椅子があると言うのでさらに奥地に入る。
ジャングルのような公園だった。 テーブルと椅子というのは、少々誇張した言い方で、実際は元水飲み場と その横の台という程度だった。
座るところもトゲの枝に覆われているので、それを避けてわずかな隙間に やっと座る。
野生のラズベリーの生命力はものすごい!
身を屈めながら、買ってきたものを食べる。
アンギラスの缶詰は、ニンニクが効いておいしかった。
大量に買い過ぎたが、荷物になると重いので頑張って食べた。 いちじくも、二人にも分けてすべて片付けた。
とても昼寝どころではなかったので、食事が終わると、逃げるようにして 退散した。

それでもサリアでずいぶんと時間を費やしていた。
パキは、三年前のことを話してくれた。
歩いていると、急に『ここでサンドウィッチを食べたわ』と言い出す。
アンヘルは元気で、今日は私たちより早く歩く。
二人でしゃべっているうち、見えない場所まで行ってしまった。 目的地に着いた時、すぐにアルベルゲに行ったのだが、アンヘルは来て いないという。
おかしい。どこにもいない。
パキは蒼くなって、顔見知りのグループにアンヘルのことを聞いている。
私は離れたところでそれを見ていたが、すると、その中の一人が急に立ち 上がり、足早に歩きだした。
聞くと、アンヘルらしき人が20分前に通り、先に歩いていったという。
その男の人は、すぐに立って、アンヘルを探しに歩いて行ったという。
パキは、その後を追って自分もいくと言う。
私もついて行った。 こんな時のパキは、ものすごく心配症のお姉さんに変わり、他のことは 何も考えられないという緊迫した雰囲気だった。
アンヘルの携帯は、お金を入れていないので使えない。
お金も持っていない。
もしお金さえあれば心配はしないのだけど・・・と言う。
パキは夢中でどんどん足が早くなる。 私は途中で少し遅れる。

1km歩いた所で、先程のアンヘルを探しに行って くれた男の人と、アンヘルが二人で戻ってきた。
あ〜良かった!
アンヘルはこの先のバルで休んで私たちを待っていたのだった。 今朝、アンヘルとパキに、日本から持ってきた、黒酢のエキスが入った錠剤を 一つづつ分けてあげたのだった。
これが効いてアンヘルの足は止まらなく なってしまったらしい。

この親切な男の人は、22歳のバルセロナ出身。
私はこの日以来彼のことを、『ハートの厚(熱)い男』と呼ぶことにした。
どこまで行ってしまったかわからない、アンヘルのことを、何の躊躇もなく、 探しに行ってくれた。なかなか出来ることではない。
やはりアルベルゲは満室で、今日はキッチンの隣の廊下のような場所で 寝ることになった。
床に敷くマットをベッドを確保したフリオに借りた。
フリオのマットは、空気が入る高級品だった。
そこを『ハートの厚い男』が通りがかった。
おいしそうなアイスクリームを食べていたので、どこに売っているか聞いたら、 アイスを差し出してくれ、食べろという。
さすがに『ハートの厚い男』は違う。

今夜はスーパーで買ったものを目の前の広場で食べることになった。
パキたちの買い物の量は、私よりもすごかった。
ファミリーサイズのチーズの詰め合わせを、ひとり一パックづつ食べている。
食後にビールを飲みにバルへ行くと、中にグリちゃんとあけみさんがいた。
中は満員だったので、外のベンチで集う。
私たち三人の他に、フリオ、フリオの彼女、フリオの友達、そしてアレハンドロ。
私とパキは、アレハンドロに話を振ってみる。
アレハンドロの兄弟のことを聞くと、姉が二人いて、姪が二人いるという。
ポケットにはいるくらい小さいのだそう。
かわいいかと聞くと、外に二人を連れて行くと、あれが欲しい、これが欲しいと うるさいからイヤだと言う。
その話ぶりが、ゆっくりで独特のマがあって、おもしろいのだ。そして、彼の姪に対する愛情も感じられた。

そこへ食事が済んだグリちゃんも加わり、アレハンドロはフランケンシュタインに 似ていると言われていたが、怒っている様子もなかった。

ポンフェラーダのアルベルゲ付近
ポンフェラーダのお城
ポンフェラーダの郊外から街をみる。そこに野生のラズベリーが・・・
りんごを収穫するパキ
フェルナンドの村で、お誕生日を祝って乾杯!
ここでもワインをもらえる
マリア(オーストリア)の後ろ姿
葡萄を収穫するアンヘル。まだちょっと早い・・・?
葡萄を収穫するパキ
りんごを収穫するパキ
カカベロスの二人部屋アルベルゲ
手作りアルベルゲ
ペレッへを出ると、こんな黄色い道が続いた
コーヒーを飲みなおす
景色の良いバルで長い時間休憩を取る
そこでアンヘルが、オリーブの種にナイフで彫刻
こんなのができた!
イギリス人が造った美しい村
地元のおじさんの話を聞く
ひたすら登る
右に座っているのが、地元のおばあちゃん
天国のようなアルベルゲ
雄大な景色と後ろ姿
ここからガリシアに入ります
葡おとぎの国、セブレイロの村
地元のおじさんに、話を聞く
牛が通 せんぼ
甘い水が湧き出ていた
農家で収穫されたベリーの詰め合わせ
ガリシアの人がはいている靴
野生の公園で、食事を楽しむ・・・?
スーパーのカゴ:カゴの下に車が付いている
アンギラスの缶 詰め
線路を渡ったり・・・
橋を渡ったり・・・
ひたすら道・・・