the 7th stage 
 8月15日から 8月18日まで

8月15日   GONZARまで  (26,1km)

 

今朝からアンヘルのご機嫌が悪かった。
私たちがいつも誰かのうわさ話をしているから、『いやだ!』と言うのだ。
確かに私たちは朝から、昨日会った美形のフランス人の話でもちきりだった。

幻想的な朝靄の中、歩く。
朝だけの靄かと思ったら、お昼近くまで続いた。
今日は三人とも疲れていた。 椅子のあるバルまでもたない程、疲れて座り込んでしまう。
最初に座り込んだのはアンヘル。 それに続きパキも私もそこへ座り目を閉じる。
すると突然パキの悲鳴! 何かと思ったら、岩の割れ目から、ネズミがパキをつっついたと言うのだ。 ネズミを見たわけではないらしかったが、私たちは慌てて逃げた。

ポルトマリンの街を過ぎ、橋を渡った所で私たちは休むことにした。
その手前で渡った橋からの風景は緑の広い河川敷が印象的だったが、そこに 流れる川は、ミ−ニョ川と言い、わたしにとってはなつかしい名前であった。
ここから西方向のポルトガルとの国境に流れていた川なのだ。 パキとアンヘルはお腹をすかしていたので、お昼にしようということになった。
二人は食べ物を持っていたが、私が持っている食べ物は、インスタントのピラフ。 味はイタリアンのものと、中華風のものと二つも持っているのに、お湯とお鍋 がないと食べることができないのだ。 重いものは極力背負いたくないから、こういうことになる。
パキはパンとチーズを分けてくれた。アンヘルは瓶詰めのサラダを無理やり 押し付けてくる。 貴重な食料だというのに、自分の分を削っても、分けてくれる友人。 ありがたい。

食事のあとは、アンヘルが眠りだした。 私もパキも目をつぶり少しのあいだ、まどろんだ。
そこへふと目を開けると、なんとカルメンが立っているではないか!!!
カルメンは噂の彼と一緒で、本当に幸せそう。
カルメンと一緒に歩いたメセタがちょっぴりなつかしい。
彼女はいつも長い休暇がありながら、旅行にでかけたのは今回が初めて だと言っていた。
そんな彼女が今、とてもとても輝いて見えた。
二人はこの先の村まで遠いことを知ると、今来たポルトマリンの街にひき返して 行った。
これを機に、私たちも歩きだすことにした。

この頃になると、アンヘルはすっかり英語が上手になっていてさらに 日本語まで覚えようとしていた。
「日本語で自分のことは何て言うの?」
「ええ〜〜〜と、(覚え易い言葉を選んで)オラだよ。」
「じゃあ『you』は?」
「ええええ〜〜〜っと・・・(あなたじゃなくて、オラにたいしては)アンタだよ。」
このやりとりを聞いていたパキが、ニヤリとしながら、
「変な日本語を教えているでしょう!?」
と、疑いのまなざし。
私はそんなことないよと言うと、アンヘルが
「We are・・・は?」
「『オラたち』だよ。」
「じゃあ、『You are・・・』は?」
「『あんたたち』だよ。」
『オラ』とは、ご存知スペインのカジュアルな挨拶である。
この旅行中、何度見知らぬ人と、この挨拶を交わしたことか。 ていねいな人は、『ブエノス ディアス』(おはよう)、『ブエノス タルデス』(こんにちは) と言う。
この、『ブエノス タルデス』と言う時間は、だいたい午後2時頃 からだと言うことだった。
アンヘルは、『オラたち、あんたたち・・・。』 呪文のように繰り返し練習している。 二人を見ていると、パキは頭も良くてしっかリ者だが、記憶力はアンヘルの方 がいい。
ちなみに、私もスパニッシュ・イングリッシュがすっかり板についていた。 こつは、カタカナっぽく発音することと、過去形をあまり使わないこと。 (すべての人には、あてはまりません)
パキは、リクエストをすると、何でも歌ってくれた。 何でも歌詞をきちんと覚えていて、上手に歌ってくれるのだ。 それも、歌い出すと、とびきりの笑顔になるのだ。
この頃ブームだった曲は、CM ソングで
♪ I feel good ,I feel fine…♪
と繰り返すもの。 この単純な曲と、内容が、気分がいいCaminoの歩きには、ぴったり なのらしい。そして、必ずとびきりの笑顔で歌ってくれる。
早朝から、♪ I feel good ,I feel fine…♪を歌って!と
リクエストすると、必ず止まって歌ってくれる。とびきりの笑顔と共に。 朝など、私は笑う気もしないのだけど、どんな早朝でも、歌ってくれるのだ。 この曲は、アンヘルも得意で、二人で歌い出す。しつこいけど、 とびきりの笑顔で。
私も何曲か歌ってあげたが、パキが気に入ったのは、『365歩のマーチ』 だった。意味を説明すると、行進にも、Caminoにもぴったりだったらしく ノートを取り出し、私の発音通り、ローマ字で書き写していた。 そして、けっこう歌えるようになったのであった。 先日、この曲のCDを送ってあげたら、とても喜んでくれ、電話で 『昨日はアンヘルが、朝まで遊んで帰ってきて、まだ寝ていたから、 彼のベッドに行って、この曲を大ボリュームでかけたのよ。』 ということだった。

今日の目的地、GONZARに着く。 予想通り、アルベルゲのベッドはいっぱいだった。
このあたりに来ると、巡礼者の数はにわかに増え、もう今までのようなのんびり したムードではなくなっていた。
開いていたのは、元納屋のようなところ。 パキとアンヘルはここで寝ると言う。
私もそこで寝れないこともないが、昨日も床だったので、今日は柔らかい ベッドで寝たかった。
そこにグリちゃん登場。 彼女は民家の部屋を借りたという。 連れていってもらうが、Wベッドが並んでいるものの、雰囲気が納屋風なところ は同じ。 私はWベッドでは寝られないタチなので、躊躇し、いったん退場。
しかし、他にはもうチョイスがなかったので、もう一度グリちゃんが泊まる ところへ行き、Wではなく小さいベッドでいいからということで、値段も 少し安くしてもらい、そこに決めた。

シャワーを浴びて、バルに行く。グリちゃんは食べ物がないバルは気が進まない らしく、サンドウィッチを作って食べていたようだった。
あけみさんと二人で村でたった一軒のバルに入ると、そこにパキとアンヘルが 軽いものを食べていた。
二人はアルベルゲのキッチンだけを借りて、例の ライスをクッキングしたらしかったが、量 が少なくて、ここにボカディージョ を食べに来たという。
私たちは、ビールとオリーブ、ポテトチップを買って二人のそばに座る。
店が閉店するまで飲んで外に出ると、フリオがいた。
フリオとはいつも一緒だったが、彼は全く英語を話さないので長い話を したことはなかったが、肉刺仲間だったので、黙っていても心は通 じていた。 この時はあけみさんもいたので、フリオが『千と千尋・・・』のCDを持って 聴いていることを教えてあげると、フリオが曲をハミングしてくれて、 それはスペインの大自然の中で聴いても似合うスケールの大きいものだった。
そしてアニメの話に花が咲く。
次から次へとアニメソングが出てくる。 『アルプスの少女ハイジ』『あられちゃん』・・・。 もう誰もが部屋に戻った、静かな星空の下で一緒に唄った。

8月16日   MELIDEまで   (31,7km) 

 

今日はのんびり起き、一人で歩き出す。
パキの携帯に、バルから電話をしてみる。(VENTAS DE NARON) ほんの少し先を歩いているらしかった。
私ものんびり行くから先に行っていいよと話し、電話を切ったあと、 フェルナンドにも電話をしてみることにした。
そろそろ近くまで来ているはずだからだ。
バルのおばさんは、電話をかけるのを手伝ってくれるので助かった。 お金を入れて、呼び出し音がなり、相手が電話を取ったらボタンを 押さなくてはならない。そのタイミングがわからないのだ。
フェルナンドは私たちより1日遅れの場所を歩いていて、今朝サリアを出て、 今日はポルトマリンに行くと言う。 二日だけ実家で休むはずだったが、何かの都合で予定より1日出るのが 遅れたという。 また近いうちに電話することを約束して切った。

久しぶりに一人になるのも悪くない。
歩いていると、寝袋を広げて持っている男の人に会う。
何をしているのか聞くと、昨日の雨(?)で濡れてしまったので、乾かして いるのだと言う。
私もスペイン語で話すのが楽しい時期だったので、どこから来たのか聞くと、 『ラ・マンチャ!』 というお答え。
なんか昔の人っぽくってかっこいい響き(本人はかっこ良くない。) 写真を撮らせてもらうと、メールで送ってくれと言う。 ほんの短い出会いだが、一人で歩いていると、たくさんの人が話しかけて くるのも事実だ。

PALAS DE REIという街に入る入り口で、顔見知りになったマリーが休んでいた。
LA FABAあたりから見かけるようになっていたが、挨拶をしたこと もなかった。
彼女は『ハートの厚い男』の一団の一人で、顔がものすごく恐かった。 魔女のように鋭い目つき、痩せ細った体、こそげ落ちた頬。 私は密かに恐い人だと思っていた。
その彼女が、今私に手を振って、近づくと、何のためらいもなしに、飲んでいた 缶 ジュースを微笑みながら差し出してくれた。 なんだかとってもうれしい。

PALAS DE REIは、なかなか大きな街で、ここでインターネットに久々に挑戦 する。 しかし、日本語ソフトは入っておらず、勘でメールチェック。 全く読めない。日本語をダウンロードする時間ももったいない。 30分くらいいじってやむなく退場。 やっぱり文明の利器はやめておいたほうがいい。

CASANOVAの手前のアルベルゲにパキ、アンヘル、グリちゃん、あけみさんが いて、そこで特製のボカディージョを食べながら、もう数日(2〜3日)に迫った サンティアゴまでのスケジュールを考える。
アンヘルは、サンティアゴの手前、モンテ・ド・ゴソでの滞在を希望している。 みんなの意見を取り入れ、おおざっぱにスケジュールが決まり、今日はここに 泊まることになった。
グリちゃんは、先にベッドを取り、私たちはのんびりしていたら、なんともう ベッドがないという。ここに着いた時にはまだ充分数があるのを確認したというのに。
一瞬どっと疲れが出たが、仕方がない。
先を歩くしかないのだ。
あけみさんさんも一緒に来るという。 私たちはすでにベッドを確保したグリちゃんを残し、先を急ぐことになった。

目的地のMELIDEまでは10km近くある。
どうやら今日もベッドは無理なようである。
しかし、一つ楽しみにできるものがある。 それは、MELIDE名物の蛸専門店に行くことだった。
蛸はスペイン語で『プルポ』
合い言葉は『プルポ』、苦しくても『プルポ』、何がなんでも『プルポ』!

アンヘルは、覚えたての日本語をさらに工夫していた。
「『好き』は何ていうの?」
「『ベッド』は?」
教えると、
「オラ ベッド 好き。」
と文章にした。 意味は、連日ベッドを取れない彼の切実な表現であった。

MELIDEに入ると、今日はお祭りのようであった。 露天が出て、本物のロバのメリーゴーランドも来ているし、舞台も出来ている。
私はそれよりも、蛸専門店の、プルペリアが気になる。
街に入っていくと、犬を連れて巡礼をしているおじさんが、バルで休んでいる。
おじさんは私たちをみつけると、今日私たちが行くべきアルベルゲを教えてくれた。 当然アルベルゲは満員の時間である。 『まっすぐ歩いて右に曲がってロンドンという店の横を左に行って、今度は・・・』 パキたちが聞いているので、私はぼけっとしていた。
ところが、歩きはじめてすぐに、道がわからなくなり、
『言われたことを、全く覚えていないわ』 と、笑いながら言いだした。パキはしっかりもので、頭がいいのだが、 けっこうこんな一面もある。

おじさんに教えられた場所は、体育館であった。
アルベルゲが満員になると、体育館に寝泊まりするとは噂には聞いていたけど、 今日はいよいよその日がきたのだ。
私とあけみさんは興味津々であった。 しかし私たちには寝袋の下に敷くマットがない。 マットを持っているフリオたちはアルベルゲにベッドを取っていたが、 借りるにしても返すのが大変だ。
頭をひねっていると、パキが、
「新聞紙を敷くと暖かいわよ。」
そのヒントで閃いた。
「そうだ!段ボールがいいかも!」
日本だと、よくスーパーの入り口に置いてある。
わたしとあけみさんは、段ボールを探す旅に出ることにした。 午後になったら開店すると思っていた店は、バル以外はお祭りのためか、 すべて閉まっている。
先程通りがかったところにスーパーがあったので行ってみたが店は開いていなかった。
店内を覗くと少し段ボールがある程度。 ちょうどそのスーパーの前に、大きなゴミ箱があって、見るとそこから段ボールが 顔をのぞかせているではないか!
まだ捨てたばかりの、スーパーから出たきれいなものだった。 私たちは、次々と小さい段ボールを引っぱり出し、これを繋ぎ合わせれば、 りっぱなベッドになるねと喜んでいると、その下に、ちょうど等身大くらいの 細長い段ボールをみつけた!!
しかも2個ある。 パーフェクトである。
私たちはこの段ボールをかついで、ニヤケながらもさっそうと歩く。
あけみさんが
「段ボールを持って、こんなにうれしそうにしている日本人はいないね。」 と言いながら、体育館に戻った。

体育館にはすでに大勢の人がいた。 みんなもおもしろがって思い出に写真を撮っている。
8時になったらプルペリア(蛸専門レストラン)に行こうと約束していたが、 まだそれまでに時間があった。
私たちは、ベッドの支度をし、試しに横になって、完璧な寝心地に満足していた。

パキが隣の男性と話をしている。
映画俳優のようにかっこ良いではないか。
プルペリアに行く前にビールを飲みに行くことになったのだがその俳優も 一緒に来ると言う。
彼はセビリア出身。 それまで座っていた彼が立つと、私とあけみさんの夢はガラガラと音を立てて 崩れた。 彼の足はとても短く、しゃべる声は子供みたい。しかもただの酒好き。

まあ、そんなことよりも、『プルポ』(蛸)が目的だ!
近くのバルでビールを飲みながら、殻付きのピーナッツをつまむ。おいしい。
そろそろ待ちに待ったプルペリアにくり出す時間になった。
入り口で蛸を茹で、おじさんとおばさんが忙しそうに、ハサミで蛸をきざんでいる。
ここの店は蛸とガリシアの白ワインだけで勝負しているようだ。 見るとミュンヘンのビアホールのように広々した店内には、かなりたくさんの 人を収容できるようになっている。
最初は5人で座った席に、あの『ハートの厚い男』の面々も加わった。
彼等は四人で行動を共にしている。
これまで挨拶くらいしかしなかったが、今日は話をたくさんすることが出来た。
四人はバルセロナから来た。
カップルはハビとジュディス。二人の両親は カステーリャだという。 ジュディスのおじいちゃんは、この近くに住んでいて、今日はそこに みんなで泊まっているということで、こざっぱりと、きれいにしていた。
実際彼女は、なかなかの美人であった。
そして『ハートの厚い男』は22歳でジェンニといい、この秋から大学に入って 技術の勉強をすると言う。
ならばと、私が持っていた、小型の懐中電灯を、直せるかと聞くと、すぐに ひき受けてくれた。 さすがに手早く組み立ててくれるのだが、接触がうまくいかない。 食べるのもあと回しに、いつまでも、挑戦してくれる。 さすが『ハートの厚い男』だ。 もう一人は、今朝私にジュースを差し出してくれた、顔が恐い女性、マリーである。 彼女はバルセロナに来たら、『私に電話をして』と言ってくれ、紙に家と携帯の 電話番号を書いてくれた。 街を案内してくれると言うのだ。 彼女は見かけはとっつきにくいが、やはり『ハート』が厚い(熱い)ようである。

すっかり打ち解けて、一緒に写 真を写す。
そのうち、ラウラとミッチェルもやってきた!
回りを見れば、ほとんどが巡礼の人たちでいっぱい。
かなり賑やかだ。
そして蛸は柔らかく、美味しい塩がかかっていて、たくさん食べる。 ワインもパンもおいしい。
ふと後ろのテーブルを見ると、アレハンドロが一人でプルポを食べている。
私たちに挨拶はなかったが、すぐ隣に来たかったらしい。
でも、仲間に入らなかったのは、こちらに席が空いていなかったせいもあるが、 彼は蛸を独りじめしたかったようなのだ。
アレハンドロを見つけた私は、その様子がおかしくてしょうがない。
そのうち、アレハンドロの席にハビとロジィの夫婦も加わった。 アレハンドロは、二日前のGONZARに居た時から、メリデに行ったらプルポを 食べるのだと楽しみにしていた。
後で聞いた話では、この日の昼もここで蛸を食べた。しかも二皿。 そして夜にも一皿。 翌朝もプルペリアが開いてから出発したいと言っていたそうだ。
この時の、蛸を食べるアレハンドロは、特別に不審だった。
目をあちこちに動かして蛸を誰にも取られないように用心しながら、 食べているように見え、それをしっかり見ていたパキは、あとあとまで、 その物まねをして、私を笑わせてくれた。 私たちはアレハンドロを、『プルポマン』と呼んだ。

食後はアイスクリームを食べにもう一軒寄り、アンヘルはまだ飲み足リない 『ハートの厚い男』たちのグループに合流し、私たちは体育館に戻った。
かなり遅い時間まで、街の中じゅうお祭りの音響が、こだまし続ける中、 眠りについた。

8月17日   ARCAまで (35km)

 

昨日はこの旅で初めてシャワーを浴びずに寝てしまった。
何故かと言うと、水シャワーしかなく、しかも順番待ちで数人が並んでいたからだ。
パキたちはここ数日間シャワーを浴びていないし、床で寝る日が続いていた。 さすがに疲れている。 今日は距離を短くして、早めにベッドを取ると言っていた。
朝から一緒に歩いていたが、14km地点のARZUAの街に入った頃、見失ってしまった。
あけみさんと二人でバルで休み、ここのチーズが名物ということで、買ってみることにする。
バルを出て、あてもなく探すのも大変なので、すぐにそばにいたお兄さんに聞いてみた。
聞きたいのは、『地元のチーズを売っているお店はどこですか?』
わたしはかなり省略して
『ドンデ エスタ ケソ?』(チーズはどこですか?) と、聞いてみた。まさか通 じるとは思わなかったが、そのお兄さんは、何の疑問も 持たず、あそこの角を曲がったとこに店があると教えてくれた。
行ってみると、まさに思い描いていたような、店でチーズを買うことができた。
本当に不思議な国だ。
チーズは柔らかくて、クセの無いものだった。
途中雨模様となり、バルで軽食を食べていると、グリちゃんがやってきて、 サンティアゴ出身のおじさんと一緒にこのまま行くという。
とても元気そうだった。 私たちは、だいぶ休んだ後だったので先に出発。 とりあえず目的地をサンタ・イレーネにする。
雨が降ったり止んだり。

サンタ・イレ−ネのアルベルゲに行くと、もうベッドはなく、床に寝るスペース もなさそうだった。
それで、頑張って先まで行くことにした。
雨がまた降ってきたのだが、不思議なことに、雨に打たれて増々元気になっていった。
そして、まだまだ歩ける!と、足を進めた。
ARCAに着いたが、当然ここのアルベルゲも満員。
入り口にはかなりの人がいる。 受け付けで、あぶれた人は、この先のバルに行けと言われ、行ってみることにした。
そこにフリオの彼女がやってきて、声をかけてくれた。彼女は本当に感じが良く かわいい。二人は来年結婚するということだった。

教えられたバルに行くと、部屋はないと言う。
向かいの店で聞くように言われ そこにも行ってみるが、やはり部屋はなかった。
このまま先に進んだら、もうサンティアゴに着いてしまう。
あと20kmしかないのだ。
思えば不思議なものである。
あんなに長い先の、そのまた先にあったはずの 『サンティアゴ』が今はもう目の前なのだ。
これまで到着した時のことを考えるだけで胸にくるものがあったし、 サンティアゴに着くことが大きな目標であり、楽しみであった。
しかし今は一歩進むのが惜しい気さえするのだ。
この先には当分アルベルゲがある村はない。どうしようか考えていると、 巡礼者の姿が見えたので、ついて行ってみる。
すると、すぐそばに白い大きなテントがあった。
中には誰もいなかったが、マットレスが置いてあり、数人の荷物と洗濯物が 干されていた。
とりあえず、屋根のあるところで眠れるのだ。これだけで私たちは満足だった ので、荷を下ろし、寝袋を広げてみた。
昨日の段ボールは、大切に雨に濡らさぬように持ってきていた。 問題はシャワーである。町の入り口にあったアルベルゲからかなり歩いて きているのだ。

外に出てみると、斜め向かい側のビルから、巡礼者の出入りがあるのを見つけた。 行ってみると、ここにすでに相当の数の人が入っている、大きな体育館があった。
こっちにはシャワーもあり、たくさんの人がいて、心強い。
私たちはすぐにこちらに移動することにした。
寝る場所を探していると、客席のような場所があり、そこには床から段差が あって、木組みが組まれ、まさにベッドの形をしている。
私たちはそこにマットレスを持ち込み、段ボールを敷いて寝袋を広げた。
シャワーも気持ちが良く、この体験にワクワクだった。 この中には、イタリアンのすてきなカップル、フランチェスカとミユルカもいたし、 アレハンドロやフリオの友達パオもいた。
アレハンドロの荷物は小さい。
彼の大きな体には似つかわしくない、小さなリュックをひとつ。別に水を入れる バッグがあった。
そのリュックの中身は、私は前々から興味を持っていた。
彼はレオンから歩き出したが、そこまでバルセロナから車を運転して来た。 そして荷物をたくさん車に残してきたという。
彼が言うには、荷物は小さくて軽いのが一番だという。
確かにそうだ。 しかし、荷物が小さすぎる。
荷物の中で、一番場所を占めるのは、フリースのジャケット。あとはパジャマ 兼用の黄色いTシャツだけ。 アレハンドロが、ある朝椅子に座って、歯磨きのチューブを手に、口をモグモグ していた。 歯ブラシも持っているというが、その時は見えなかった。タオルは?と聞くと、 小さいのがポケットに入っているのだそう。持ち物と言えばそんなところだった。
フリオはアレハンドロと同じ会社で働いていて、アレハンドロのお姉さんが、 フリオの上司にあたり、二人とも歯科技工士だった。フリオは、巡礼に出る前に その会社を辞め、すでに条件の良い、次の仕事が決まっていた。
アレハンドロのお母さんはイタリア人で、彼はカタランとのハーフになる。 だから、イタリア語も出来た。

あけみさんとレストランを探すが、なかなかない。 とりあえずウインドーを見て気になったパン屋さん兼喫茶店に入り、干ダラのパイを食べる。
そこに電話があったので、パキとフェルナンドに電話をしてみた。
フェルナンドはMELIDEに居て、明日私たちが集合することになっているモンテ・ド・ゴソに行くには50km近く歩かなければならないので無理だが、サンティ アゴには私たちが着く日のお昼には、着けるので、そこで会うことになった。
パキはやはり先程の村に滞在していて、オスタルに泊まったそうだ。 まだ充分アルベルゲにベッドを取れる時間だったのに、オスタルを取ったと いうことは相当参っているようであった。 しかし、明日はモンテ・ド・ゴソに来ると言う。
フェルナンドは無理だったが、明日はラウラたちも集合することになっていたし、 歩みが揃ってサンティアゴに到着することが出来るのがうれしい。
すでに最終目的地まで20kmを切って、ゆっくりと二日をかけてゴールまでの ひとときを、味わい尽くしながら歩くのである。 心から歩くことを慈しみ、友との最後の語らいを楽しむのだ。

店をバルに移し、食事をすることにした。 オーダーをして間もなく、アレハンドロとパオがやってきた。
実はアレハンドロは、ほとんど夕食を食べない。蛸以外に食べている姿を見た ことがなかった。どうも、ダイエットを密かに敢行しているようであった。
この時も、飲み物だけで、私たちのテーブルに加わった。
アレハンドロに、サンティアゴに行ったあと、フェニステーレに行くか聞いてみると、 まずレオンに列車で行き、そこからドライブしてフェニステーレへ行くという。
彼の頭の中はどうなっているのかよくわからない。
おそらく私がレオンの街に路上駐車した車は、もうないんじゃない?とさんざん 脅かしていたので、車のことが心配だったのだろう。
アレハンドロの趣味はバイクや車である。
とりあえず、フェニステーレで、生まれ変わってドアを開けた瞬間、彼がいない ことを確認し、ほっとした。
パオは、カタロニア広場周辺のキヨスクで働いているそうだ。 各地から集まってくる巡礼者だが、今回は、バルセロナ出身者に縁があった。

8月18日   MONTE DO GOZOまで(13,7km)

 

今日は7時に出ても、10時には着いてしまう距離だ。
朝食に立ち寄ったバルはたくさんの巡礼客でいっぱいだった。 カステラとココア、フレッシュ・オレンジジュース。 テレビでオリンピックを見るが、日本人選手の情報は全く入らない。

道は大きなユーカリの木が、両側に続いている。
顔を上げると、まるで空の中に、ユーカリの木々が道の形をなしているように見えた。
足下にも道、空にも道が続いているように思えた。
そしてとうとう『歓喜の丘』に立つ。 正直言って、歓喜という気分にはなれなかった。 なぜなら、この旅の終焉を意味していたからだ。 この丘の上に立った時、初めてサンティアゴの街を望むことが出来る場所なのだ。 喜んでサンティアゴまで転がっていくというよりは、後ずさりさえしたい気分でもあった。

そして、最後の宿泊地、モンテ・ド・ゴソのアルベルゲに向かう。 受け付けが始まるのは1時からだというので、この中にあるカフェや土産物屋で 時間を潰すことにした。
ここは800人収容できる規模であり、小さな町としても機能している。
今年のサンティアゴの日、7月25日には、レッドチリペッパーズのコンサートが 行われたという。
巡礼者がみんな続々と集まってきている。
そのうち、ラウラとミッチェル、ハビーとロジィーも来てカフェで休んで1時に なるまで待っていた。
ここのアルベルゲは8人部屋になって、鍵ももらえ、門限がないという。

1時になって、みんなで部屋を取りに行く。
私たちは、まだ姿を見せないパキとアンヘルの分までベッドを確保することが出来、 全員同じ部屋に収まることができた。
『ハートの厚い男』たちもいるし、アンブレラ・マンもいる。 みんなお互いがいることを確かめあって、安心している。
鍵をもらうと、集団で説明を聞いた。
そしてそれぞれの部屋に入っていく。
ガリシアの公営のアルベルゲは無料で、ここでも無料であった。(3泊まででき 2泊目以降は有料)
ラウラたちは、まずシャワーを浴びるというが、私とあけみさんはお腹がすいて いたので、この施設の中のレストランに行く。 すると、そこに着いたばかりのグリちゃんがいるではないか。 食事を済ませたら、このまま今日サンティアゴに行くと言う。 カフェテリア方式のレストランで一緒にご飯を食べた。
サンティアゴでは、友達になったおじさんの家に泊まるという。 私とグリちゃんは、サンティアゴに無理なく着く日をこの4日後の22日に想定して パラドールを予約していたが、順調に何の怪我も病気もなく、予定よりも早めに 到着することになったのだった。 ふたりでパリに着いた日のことが、遠い昔のことのようだった。 グリちゃんが出て行った後、部屋に帰ってシャワーを浴びて、のんびりしていると、 パキとアンヘルがやってきた。

私たちは外に出て、さわやかな空気を思いっきり吸っていた。 ここでは、雨が多く、晴れ間が出たと思ったら、急に暗く雲ったりする。
そこでアンブレラ・マンをみつけたので、記念に写真を撮ることにした。
すると彼は、この道を歩きながら、出会った人のストーリーを語ってもらって 録音しているという。それで、私にも何かストーリーはないかと聞く。
考えて、歩いている時に唄った歌の一つを録音することになった。
それは、Kiroroの(未来へ)
『ほ〜ら 足下をを見てごらん これが あなたの歩むみち ほ〜ら 前を見てごらん あれが あなたの未来・・・』
あけみさんと一緒に少し練習して録音する。
部屋に戻ると、これからモニュメントの前で、みんなで写真を撮りに行くという。 すると廊下から、耳に覚えのある歌声が・・・。 何かと思ったら、アンブレラ・マンが先程録音した私たちの歌を誰かに聴かせ ているところだった。
この曲は、まっすぐに広がる道を見ていると、自然と出てきたものだった。 そして道はサンティアゴにつながり、未来にも繋がっている・・・。

部屋の8人と、アンブレラ・マンも一緒に写 真撮影に向かった。 すると、すぐに雨が降ってきて、カフェで雨宿り。
いつまでもしゃべって、雨が止んでも動かない。
写真を撮るまでに、ずいぶん 時間がかかるものだと、今さらながら感心した。

モニュメントは、わりと新しく、ここからサンティアゴの街を一望できる。 カテドラルの塔も見えている。 実は『歓喜の丘』からは、サンティアゴの街は、見えなかったのであった。
みんなはしゃいで丘に登る。そして写真を撮りまくる。 写真好きは日本人ばかりではない。

みんな苦労を共にしてきた仲間が今、ゴールを目前に再び並んだ。 今思えば、サンティアゴに着いた感激よりも、ここでサンティアゴを目の前にして いた時の方が、じっくり感動を味っていたのかもしれない。

そこへ急に雨が降ってきて、追い立てられるように、私たちはアルゲルベ村の外の レストランへ向かった。
いつものように『ペリグリーノ・ディナー』をいただく。
そして食後は隣のバルへ行く。
そこで私とパキは、思いきり、最後のばかばかしいおしゃべりを楽しんだ。 私たちは、もう立っていられない程笑ってしまい、店の中じゅうを移動しながら ふざけあってていた。
パキにアレハンドロやアンブレラ・マンのことをからかうと、彼女の逆襲が始まる。
そのうち、私がパキにリンゴ酒をご馳走しようと思ったら、逆におごられてしまった。
何ひとつ彼女にはお返しもお礼もできなかった。
他の人たちを放っておいたので、ラウラから文句が出て、大人しく席に戻った。

幻想的な朝靄の中を歩く
あと99.5km・・・
ラズベリーに蜘蛛の巣
馬で巡礼する人々
ポルトマリンへ入る橋
ミーニョ川が流れる
もう一つ橋を渡る
緑が美しい。そして足下には空が・・・
このあたりの典型的な高床式倉庫
この頃の典型的な朝食
ポリシア
木漏れ日がきれいな武蔵野を思わせる道
緑豊かなガリシア
生花で飾られたアーチ
本物のロバのメリーゴーランド
初めて体育館の宿
ここにお宝が・・・
蛸を茹でている釜
忙しく蛸を切る
パプリカがふってある、やわらかくておいしい蛸、そしてガリシア特産の白ワイン(リベイロ)
後ろの4人が『ハートのあつい男』たちの面 々
このリンゴはおいしかった・・・
『チーズはどこ?』で手に入れたこの地方のチーズ
チーズの元
雨が上がった後、道が光っていた
巨大なテントが・・・最初はここに荷物を広げたが・・・
もっと素敵な体育館があった
ここに場所を取る
アレハンドロの小さなリュック
アレハンドロとパオ
ユーカリの林を歩く。私には空にももう一つの道が見えた
モンテ・デ・ゴソの『歓喜の丘』にて
モンテ・デ・ゴソのアルベルゲ
カフェテリア
アンブレラ・マン(フレンチ)
モンテ・デ・ゴソのもう一つのモニュメントで
ここからサンティアゴの街が見える、カテドラルも。空から光が・・・
今日のペリグリーノ・ディナー(アルベルゲの外の村に行く)