the 8th stage 
 8月19日から 8月20日まで

8月19日 SANTINGO DO COMPOSTELAまで (4,4km)

 

7時にモンテ・ド・ゴソを全員揃って出発。
8時にはカテドラルに到着。
カテドラルの裏手から来て、いきなり中を通って向こう側の『巡礼オフィス』に行く。
慌ただしく流されるばかり。
オフィスは9時から開くということで、順番待ちのため、荷物はおいたまま、 今夜泊まる部屋を探しにいくが、結局宿が決まらないまま、オフィスが開く 時間になってしまう。
すると、もう10日ぶりだろうか。ピレネーから一緒だった、イタリアのおばさん 二人がすぐ後ろで列に並んでいるではないか。うれしくなり、写 真を一緒に写した。
初めから最後まで完全に一緒だった彼女たちなのに、今まで挨拶くらいしかした ことがなかった。 二人は他のイタリア人とさえも交わりがないように見えた。 最初は男の人も一緒で三人で歩いていたのに、最後に会った時は二人だった。

さて、オフィスでは簡単な質問があり、証明書を受け取る。
お金はかからない。
薄っぺらい紙だったし、実際は形だけのものであり、 ここに着いた今は、さほど意味がないように思われる。
歩いた証は、友との出会いであり、残るのは、歩いてきた雄大な風景と、 出会った人々の顔であり、それらはこれからもずっと私の心のなかで、生き 続けるに違いない。

ほっとした私たちは朝食を食べにカフェに入る。
タルタ・デ・ケソ(チーズの タルト)とタルタ・デ・サンティアゴを食べ、結局アルベルゲに向かうことに なった。
公営のアルベルゲは、泥棒が多いということで、私営のところを予約してあった。
カテドラルまで20分もあるアルベルゲまでは距離があり、モンテ・ド・ゴソに 戻る道すがらにあった。
すでにかなりの距離を歩いていた。
私たちは、フェルナンドのことが気になっていた。 そろそろ着く時間である。もしかしたら、すれ違うくらいの時間だ。
もうあと数歩でアルベルゲの前という所まで来て、
・・・やっぱりフェルナンドは やってきた。
カミーノの、お約束なのだ。
みんなで再会を喜び、フェルナンドは急いでオフィスに行かないと、今日着いた 人数にカウントされないし、私たちも早くアルベルゲに行かないと、12時からの ミサに間に合わない。 フェルナンドとは、ミサで会おうということになった。 しかし、彼は今夜中に実家に帰らなければならないということだった。

アルベルゲにベッドを確保して、急いで12時のミサに向かって戻った。
ミサは美しい女性の賛美歌で始まり、おごそかなものだった。 ミサの中で、日本から4人到着と言われ、私たち以外にも一人いたようだった。
セビリアからは12人、ラウラ&ミッチェルのリオハからは二人と言われ 彼ら二人の名前を呼ばれたかのように、喜んでいた。 そして、ボタフメイロ(香炉)に煙りが焚かれ、いよいよ綱に付けられた香炉が 振り子のように揺らされて、カテドラルじゅうに煙りが広がる。
その高さは次第に高くなり、天井すれすれにまで上がり、次第に小さい揺れになる。
やはりこれは感動てきな場面であった。
普段なら日曜のミサでしかやらない儀式も、サンティアゴの年の夏は、毎日の ように行われる。
その人の数もすごい。入りきれない人が、外でミサを聞いている。 ときおり雨が降ってくるらしく、傘をさしている。

私は10年前のここに立った時を、思い出そうとしていた。
しかし、どうしてもその思い出とは重ならない。
あまりに人の数が違うのだ。印象も全く違う。
この10年で、サンティアゴ詣では こんなに人気になった。
また、今年はサンティアゴの年であるためでもあった。
想像していた、サンティアゴ到着の感動というのは、大きくはなかった。
もっと、足をひきずって、フラフラしながら到着する絵を思い浮かべて いたからだ。
実際には、二日間ゆっくり歩いたし、いままで積み重ねた毎日が、 たまたまゴールだったというものだった。
だから、やっと着いた・・・という感慨もなかった。
目の前にあるのは、明日の目標でも、黄色い矢印でもない。
まだまだこんな風に、歩いて旅をしつづけたい・・・という、元気さが あったし、旅の途中なのであった。
それが、『プツッ』っと断ち切られるような思いもあった。

カテドラルを出て、噴水の広場に出ると、フェルナンドが待っていた。 そこにグリちゃんも来て、大撮影大会になる。 この旅行で一緒だった人と、一緒に何度も写 真を撮る。
日本人隊3名(グリちゃん、あけみさん)、トレス・ノスケトレモスの三人(パキ &アンヘルと)。ラウラ&ミッチェル、フェルナンド、ハビー&ロジィ。

そしてバスのチケットを買いにバスのターミナルへ行き、一泊旅行にアストリア 地方のルアルカまでのチケットも、手に入れる。
また、明日行くフェニステーレまでの時刻表も手に入れた。
フェニステーレまでは、バスで行くのだ。
ここで、グリちゃんとあけみさんは帰り、私たちはフェルナンドとの最後の 食事にレストランに入る。
バスターミナルの地下なので、期待していなかったが、入った途端、高級ムードで、 料理の方も、ゴージャスだった。

カテドラルに戻ると、宿をまた探す。今日泊まるアルベルゲは遠いし、12時までに 帰らなくてはいけない。
明日の『最後の晩』は、遅くまでサンティアゴの夜を楽しむのだ。
そのために、オスタルを探し、明日の分の予約を入れた。
フェルナンドのバスは、9時半だったので、8時半までは一緒にいられる。

カテドラルのサンティアゴ様に近い門は、このサンティアゴの年のみ開かれる。
そのため、その扉から入るために、広場いっぱいに長蛇の列がくねくねと、 長く続いていた。
サンティアゴに着いたら、サンティアゴ様の後ろからハグするのが習わしである。
私たちはその列に並ぶことにした。
そこでパキとアンヘルは、伯母さんの写真を持ってくるのを忘れたとかで、 アルベルゲに取りに行くと言う。
伯母さんに、写真をサンティアゴ様の背中でなでる約束をしてきたと言うのだ。 あの遠いアルベルゲまで、取りに行くなんて、律儀な二人だ。

列に並びながら、真面 目なフェルナンドと話したことは、宗教のこと。 神道という言葉を知っていて、仏教、神道など、日本人の宗教観について話した。
また、何でこの旅に出たかを聞かれ、宗教の違いはあっても、同じ考えに根ざして いることなどを説明した。
カミーノでどこが好きかと聞かれ、私はレオンからガリシアまでだと答えた。 そのあたりが、一番解放された場所な気がした。 フェルナンドは迷わずレオンだと言う。

ミッチェルは私たちが並んでいる間、どこかへ行っていたが、門に入る手前で あわてて戻ってきて、数年に一度開く門の前で私のカメラを取り上げ、写真を 撮ってくれる。
また、中に入ると、サンティアゴの背中に回った写真もミッチェルが私の後ろに 並んでいたフェルナンドに撮るように命令してくれた。
するとその時だった。
今まさに6時からのミサの最中で、ボタフメイロ(香炉) が数人の手によって、焚かれるところだった。
そして香炉が大きく揺れはじめた。
私がまさにサンティアゴ様の背中にいる時に、それは始まり、ドラマティックな 出来事だった。
前に進んでいた人の足が止まり、金色の背中越しに大きく揺れるボタフメイロが大きく揺れる様を止まってゆっくり見ることが出来た。
位置的には、12時のミサの時とは方向が違い、それは前後ではなく、今度は左右 に大きく揺れた。
サンティアゴ様の背中は、金色で大きな宝石がたくさんはめ込まれていた。
この背中越しに、一緒に歩いてきた仲間とこうして素晴らしいタイミングに 立ち会えたことを、本当にありがたく、幸運なことだと思った。

カテドラルを出ると、ラウラとミッチェルはお土産ものを買いに、奔走しはじめた。
ハビー、ロジィー、フェルナンドとバルに行き、ビールを飲むことになった。
ハビーとロジィーは英語を全く話さないので、私たちはいつもそばにいる仲間 としての連帯感はあったが、深い話をしたことがなかった。
カタコトのスペイン語を駆使して、話が始まった。
彼等は、バスク地方出身で、二人の娘がいる。初耳だった。
どちらも小学生で、ロジィのご両親に預けて二人は旅をしていると言う。
写真を見せてもらったら、ハビーのオヤジとは似ても似つかないかわいらしい 子供たちであった。
ハビーのフルネームは、フランシスコ・ザビエル。日本では教科書に載っていて、 誰もが知っていると教えてあげた。 フランシスコ・ザビエルの名は、南部の人はあまり知らないようであったが、 北部の人たちは良く知っていた。

話はスペイン人の結婚するまで、結婚してからのことになり、複雑になって きたので、フェルナンドが通訳してくれる。
先程列に並んでいた時のフェルナンドは、ちょっぴり固かった。話も固かったが 英語も通 じにくかった。ビールを飲んで調子づいたのか、意思疎通がとても スムーズになる。
今までこんなにハビー&ロジィと話したことはなく、フェルナンドの通訳 のお陰もあって、おおいに盛り上がった。
また、私がつけているペンダントは、アンヘルが彫り出してくれたもので、 そのオリーブはフェルナンドの村で食べたものだと言うと、とても喜んでくれた。
私は調子に乗って、次に来る時は、短期のスペイン語留学をしたいと言うと、 ロジィが理由を聞くので、
「スペイン人はいつもおしゃべりをしているので、話していることの内容を知りた いから。」と言うと、みんなの答えは、 「話の内容はラビッシュ(たわいもない話)」 と言われ、大笑い。
そのうち、ここを見つけたラウラとミッチェルも加わって時間ぎりぎりまで みんなで一緒に過ごす。
最後に、フェルナンドに、ブルゴスの時に習った台詞、『I'll miss you』と スペイン語で言いたいが、頼りのパキはいないし、フェルナンドに聞くわけにも いかない。
私は集中して言葉を思い出す。
そして不思議なことに、その言葉が出てきた!
『テ エチャレ デ メノス!』 

いよいよフェルナンドの出発の時間になり、パキたちを探し、そして全員で 見送る。 とても淋しい瞬間だ。
こうして一人、また一人と、みんな帰ってしまうのである。
最後まで残る私としては、とても辛いことだ。
私たちは、バスターミナルへ向かうフェルナンドの背中を、見送った。

しかし私たちはその余韻に一瞬浸ったかと思ったら、次の瞬間は、海鮮がおいしい と評判のレストランに向かって歩き出していた。
ここは、マリア(マラガ)から教えてもらった店だった。
レストランは、アルベルゲとは反対方向で、しかも遠い。
そこでおいしいシーフードをたくさん食べ、外に出ると雨が降ってきた。
すでに11時近い。
しかし雨宿りのため、隣のバルに入る。 みんなのんびりお茶を飲んでいるが、私は門限が心配だった。
11時半を過ぎた頃、やっと雨も上がり歩き出した。

アルベルゲまでは延々と遠い。 カテドラルまで来て、今日二度目のお別れになる。
ハビーとロジィは明日帰ってしまうのだ。 二人はカテドラルの近くに宿を取っていた。
だんだん人数が減っていく。

二人と別れてからは、猛ダッシュでアルベルゲへの道を急ぐ。 しかし、本当に遠い。
すでに途中で門限の12時を過ぎてしまった。
責任感の強いパキは、みんなの先頭に立って歩いていた。
私は少し遅れて歩き、かなり後ろに三人が歩いていた。
やっとパキがアルベルゲに着いたのが見える。
そこにはパキ以外の人影も 見える。
なんと、その時、別の巡礼者が管理人に鍵を開けてもらっているところであった。
パキは頼み込み、後から来る人が入るまで、鍵を開けておいてもらった。
不思議なくらい、神様から見放されることはなかった。

8月20日     FINISTELLEへ(バスで)

 

朝の支度は慌ただしかった。
まだ寝ていた私を、ラウラがやさしく起こしてくれた。
今までこんなに優しく人に起こされたことはないと、みょうな感動を おぼえながら、暗い中、支度を整える。
パキたちも、ラウラから起こされていた。

出発は雨だったが、数歩歩いて雨は止んだ。
今日は最果ての地、フェニステーレに行くのだ。
サンティアゴの首のない遺体がパドゥロンに流れ着いたと先に書いたが、 本によると、フェニステーレで遺体が発見されたとも書いてある。
サンティアゴまで巡礼に来たものは、フェニステーレまで行きこれ以上 道はないという、大西洋の海に向かい、そこで巡礼中着ていた衣服を燃や して、生まれ変わるのである。
いよいよその時がきたのである。

朝、カテドラルのすぐそばのオスタルにチェックインし、荷物を置いてバス ターミナルへ向かう。
その時だった。これから帰国するために駅に向かうリチャードに会ったのだ。
まだ誰も歩いていないような静かな時間だったが、神様は私たちを再びめぐり 会わせてくれた。
不思議である。
ロンドンに飛び、そこからオーストラリアに帰るということだった。
短い別れをした後、それぞれの方向へ向かう。

バスの時間は8時。間に合わないと思っていたら、ターミナルに着いたのは 8時2〜3分前で、切符を買ってバス停に着いたのがぴったり8時であった。
慌ててエスカレーターを下る私たちとは逆方向から階段を上ってきたのは、 今朝フェニステーレから戻ったカルメンだった。 すれ違いざまに挨拶するのがやっとだったが、これも不思議な出会いだ。
確かにこの街で巡礼者と会う可能性は高いかもしれないが、観光客の数が多い のである。カテドラルの回りの広場や道は人で溢れているのだ。 近くをすれ違ってもわからいに違いない。 今や私たちは、この街の中でほんの小さいグループでしかないのだ。
後で聞いたのだが、パキたちは、別のバス乗り場に立っているファビオを 見たと言う。 手を振ったが、たぶん彼は気が付かなかったと言うことだった。
バス乗り場で、グリちゃんとあけみさんに会うはずであったがそこにいたのはあけみさんだけであった。 グリちゃんは、夜にコーヒーを飲んだため、眠れなくて、今日は行くのを 断念したという。

二時間程で最果 ての町に着く。
ここにもアルベルゲがあり、スタンプを押してもらう。
まずはバルで朝食。
そして目指す岬は、ここから3km歩くと言う。
サンティアゴまで800kmを歩いてきたというのに、たった3kmでブーイング。
岬までは緩やかな坂だった。
左手に海が見え、その青の美しいこと。
海を見たのも久しぶりのことだった。
北の海とは思えない、エメラルドグリーンだ。
確かアイルランドもこんな 色だった。
ここもガリシア地方の例外ではなく、雨の多い場所だと聞いていたが、 空は天高く、海は輝いて、緑も鮮やかで美しい。
ここを車で走ってしまったら、もったいないような美しい景色だった。

私たちは、巡礼という一つの仕事を終えて、ものすごくリラックスしていた。
私たちの背中にいつもくっついていた荷物からも解放されていた。
まさにご褒美の遠足のようだった。

昨日のサンティアゴ様に挨拶した瞬間から禁煙を始めたアンヘルと ミッチェルはスーパーの袋いっぱいに、お菓子を持っている。 そしてふたりで飴をなめたり、グミをかじったりしながら歩いていた。
みんなから、『赤ちゃん』とはやし立てられている。

岬の上には土産物屋があり、その先に行くと、北側の海が見えた。
その色は、今まで見ていた色とは違い、濃い青で、私はこちらの色も 美しいと思った。

この先に道はない。
だからスペイン人もポルトガル人も、海の向こうを目指したに違いない。
誰もがその美しい海に見とれ、それぞれの場所を見つけて、しばらく海と、 自分と向き合った。
遠くでラウラ&ミッチェルが寝ている。
私のすぐ真下でアンヘルも寝ている。
少し離れたところであけみさんとパキは海を見つめて座っていた。
私も海を見たり、少し寝てみたり、のんびりした時間を過ごした。
もう、アルベルゲのベッド争奪戦もなければ、朝になって、歩く必要もない。 それはある意味、開放感があったが、同時に家族のようになった仲間 との生活の惜別でもあった。

そこへ昨日会ったイタリア人のおばさん二人がやってきた。
なんと、最初にピレネーを一緒に越えたおじさんも来ている。 おじさんは、足の故障で途中で帰国したのだったが、今日二人を迎えに車を 運転してイタリアから来たのだった。
本当に最初から最後まで一緒だった。
三人は、服を燃やす場所を探していた。
ここ、フェニステーレでは、巡礼中に着ていたものを燃やして生まれ変わることが習わしなのだ。
三人につられ、ばらばらにいた私たちも 集まって、石に囲まれた海に面した一角に、黒い煤が付いた場所を見つけて いよいよ服を燃やすことになった。
まず、イタリアのおばさんが白いTシャツを燃やす。
ああ、このシャツは見覚えがある。
次々と燃やし始める。

私は前日に、(まだ旅行中なので)燃やすものがないとアンヘルに言うと、 彼はいいアイデアをくれた。
靴ひもを燃やしたらどうかと言うのだ。
そうだ、靴ひもなら替えのものを 持っているし、常に私と歩んだものだ。
燃やされる衣服を見ていると、私は何もかも燃やしてしまいたい心境になって しまった。
まずは、靴ひも。そして一枚服を燃やした。
その瞬間拍手が起こる。
生まれ変わりを祝ってくれているのだ。

私はその瞬間、『オープン ザ ドア』というパキの言葉を思い出して、 一人みんなとは逆方向の北に向かって目を閉じた。 そして
『オープン ザ ドア』
と、唱え、ドアノブに手を当て、開けた。(目を開けた)
その瞬間に飛び込んできたものは、心地良い風と青く光る海だった。
私はしばらくその余韻に浸った。

仲間に囲まれ、この美しい海を共有できることを幸せに思った。 みんなの顔も、心からリラックスして、何かをやり遂げた自信と満足感に あふれていた。
今はすぐ目の前に迫った『わかれ』のことは考えなかった。
幸せな気持ちで、満たされていた。

のんびりと、来た道を歩く。
バス停まで来て、ここで名物のシーフードを、食べていくことにする。 ここでチョイスした魚介のスープは、濃厚で絶品だった。 食べきれない程の多種の魚のフライも食べ、ワインを飲み、4時発のバスに 乗り込んだ。
フェニステーレという名は、英語のfinish、フランスのfinと同じらしい。 まさにフィナーレを飾るにふさわしい場所であった。

バス停であけみさんは帰って行き、私たちはそこでお茶を飲んだ。 そしていつも通るたびにパキが歓声を上げていた、ケーキ屋さんに寄り、 甘いものを買う。
今日がみんなの最後の夜なのだ。やりたいことのすべてをやってしまう 気らしい。

オスタルに戻り、みんなはお土産物屋へ飛び出していったが、私は10時半 の夕食の時間までシャワーを浴びたり、絵はがきを書いたり、荷物の整理 をして過ごすことにした。
小さいシングルルームだったが、シャワーも付いていたし、必要なものは 何でも揃っていた。
久しぶりに一人になって、静かな時を過ごした。
時間が余れば、少し休みたいと思っていたが、結局雑用をしているあいだに、 お迎えが来てしまった。

外に出ると、あちこちでパフォーマンスをやっている。
昨夜ここを通った時も、すごい人の出だった。
その時は、横目で見るしか なかった。
そして、パキが『明日ね!』と言って我慢していたのだった。 今日こそは、私たちは眠らないくらいの覚悟で望んでいた。
各地の小さなお祭りは、やはり主役はそこに住む人のためであり、内輪で 楽しむ要素がある。
ここサンティアゴでの主役は、私たち、巡礼者なのである。

最初にみつけたパフォーマンスは、舞台で前衛的な踊りや詩の朗読であった。
しばらくそれを立ち見し、バルに行き、ビールを片手に外に出ると、 ブラジルの音楽を演奏していた。
みんな路上クラブのように、踊っている。 私たちも体を動かしながら、それを見学し、ライブが終わるとカテドラルの 正面の、オブラロイド広場に行く。

昼間は露天と観光客でいっぱいだったこの広場には、今は数人しかいない。 まるで、10年前に来た時のようだ。
そうだ、その時は、この正面からカテドラルに入っていったのだった。
栄光の門をくぐり、巡礼者の手の跡が付いた柱にそっと手を当てて、 わけもわからずに数人が並んでいた列に加わり、サンティアゴ様の背後に回った。
どうするべきかもわからず、その背中だけを見て、通り過ぎてしまったので あった・・・。

広場の真ん中で、突然パキが
「今からティピカルなゲームをするわよ。」 と言って、カテドラルに背を向けて座った。全員それに習う。
軽い反動をつけて、そして頭からゴロンと倒れて後ろを見ると、そこには 逆さまになったカテドラルのファサードがあった。 視点を変えると、とても新鮮である。
群青の夜空にカテドラルが浮かび上がる。
おりしも、カテドラルに光のショーが始まったところであった。 しばらくは寝ころがりながら、そのショーを見ていた。

飽きると今度は別 の店へ向かう。すでに12時を過ぎている。 門限の心配もないし、明日は歩くことはない。
オスタルもすぐ近くである。
次の店は、地元の人と巡礼者で溢れたディスコであった。
ビール片手に踊り まくる。
踊り疲れ、仕上げはここの名物でもある、ケイマダスを飲ませる店に行く。
5人分には多すぎる量の強いリキュールとレモンの皮が入った素焼きの鍋に コーヒー豆を入れる、リキュールに火がつき、かきまわす。
そして全員で、配られた紙に書いてある呪文を声を揃えて唱える。
火が落ちついたら出来上がり。 もう二時になるというのに、ここも空席がない程繁盛していた。
この時に、wishを言うと聞いていたので、パキにどのタイミングでそれを するのか聞くと、彼女の声は急に魔女の声になり、話ぶりも魔女になりきって いる。
そして、いい加減なことを言っている。
困った私にラウラは、彼女は『ウン ポコ ロカ』(ちょっと頭が変なの)』 と言う。
それでもめげずにパキはしつこい。
そしてひとりで受けている。
液体は器に取り分けられ、飲んでみると、甘いけどおいしい。 しかしこれを美味しいと思ったは、私だけのようであった。
オスタルに着いた時には3時を過ぎていた。
私たちの祭りは終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

日記に何もかもを、克明に記録していたわけではない。
読み返してみると、そこから思い出はどんどん広がって、細かいことまで よみがえってきた。

毎日毎日が、目の前の道を歩くことで精いっぱいで、余裕などなかったが、 私の日記には、途中から
『今日は最高の一日だった』とか
『今日は幸せな一日だった』と、毎日のように書かれていた。 毎日が最高に幸せな一日だったようである。

巡礼を終えて、何が私の中で起こったのかはよくわからない。 ただ、心がとても軽くなった気がするのだ。
ふわりと浮いているような。
また同時に、足が地につくような、安心感もある。

この先も自由な気持ちで、生きていけそうである。
そして、何かに行き詰まっても、先には道が開けているのだ。 一歩足を踏み出す勇気があれば、誰だって扉を次々と開いていくことが できるのだ。

巡礼をして、もらった数々のすてきなプレゼント。
少しでも他の人に分け与えたいやさしい気持ちになる。

いよいよサンティアゴのカテドラルにゴール
一緒にゴールした面 々
タルタ・デ・サンティアゴとタルタ・デ・ヶソ
ミサが始まった
ボタフメイロ
正面祭壇にサンティアゴ様
集合写真
パキ&アンヘル
ラウラ&ミッチェル
ロジィ&ハビエル
まん中がサンティアゴ像
足下にはプレートが

サンティアゴの年しか開かれないドア

バスターミナルのレストランで
サンティアゴ様の背中には 宝石がいっぱい
サンティアゴ様の背中越しにボタフメイロに煙りが焚かれ大きくゆれだした
ミサの様子
あこがれのケーキ屋さん
サマリア(マラガ)おすすめの魚介が美味しい店
お魚屋さん
きらきら光る海
エメラルドグリーンの海
背今日から禁煙が始まって・・・
りんごはパキからのプレゼント
ラウラ&ミッチェルが昼寝中
このあとアンヘルも昼寝
パキもあけみさんも海に向かって・・・
そこへイタリアから来た3人組が・・・
背巡礼を終えたものがそれまで着ていた服を燃やし、生まれ変わる・・・
見覚えのある服がどんどん炎となり、灰になる
その瞬間、拍手が起こる
『open the door・・・』私が見たものは・・・
とても充実したひとときだった
燃えた靴のモニュメント
すべてが美しかった・・・
ランチ食べる。スープの味が忘れられない
久しぶりに一人で安宿に泊まる
最後の晩餐
おまじないが書いてある
サンティアゴ名物?ケイマダス*リキュールの中にレモンの皮とコーヒー豆