ちょうど一年前、私は世界遺産にもなっているサンティアゴの道、フランス道と呼ばれる約800kmの道を歩いていた。
この道は1000年の祈りの道、毎年たくさんの人が歩いている。またこの年は数年に一度の聖年(7月25日が日曜にあたる年で、5年、6年、11年の周期)に当ったためと、年々人気が高まるこの道を歩く人で人が絶えることがなかった。
私は歩き始める前から早くこのスタート地点に立ち、歩きはじめたかった。
予想を遥かに上回る素晴らしい道で、優しくて愉快な仲間に囲まれ、毎日が幸せな日々だった。
この旅が終わった後、手に取った本が、『Caminode de la Plata』という別
ルートのガイドブックだった。 他にもルートがあるのだが、次はこのLa Plata 『銀の道』への思いが膨らんでいった。
しかし前回と違ってこの本以外に情報がほとんどない。しかもこの本さえも、本当の私が求めていた『銀の道』のルートとは違っていた。
この本によると、ルートの出発点はMerida。そこから北上し、去年のフランス道とアストルガで合流し、西を目指す。
しかし、少しづつ情報を集めるうち、出発はこの『銀の道』をなぞらえるなら出発はSevillaということになるだろう。また、アストルガの手前から西方向に折れる道の方が私の冒険欲をかき立てた。すなわち、私の買ったガイドブックで使えるのは、Meridaからアストルガの少し手前までの旅程の約3分の1しか役に立たないことがわかった。
しかし行ってみないことにはわからない。
とにかくセビリアから行ってみよう。アストルガに合流するかどうかは歩きながら決めればいい。
ガイドブックに載っていない分のルートの地図は海外のweb-siteからダウンロードしたものの、とても頼りないものだった。
でも 行けばなんとかなるだろう、必ず道は開けるもの。
事前に、海外のホームページを通して、去年『銀の道』を歩いたイギリスに住むドイツ人のアンジェリカと知り合い、何度もメールのやりとりをし、いつも彼女は親切に私の質問に答えていてくれた。また、日本人でこの道の経験者とは交流できなかったが、スペイン通
のSさんと知り合うことができ、スムーズに旅が運ぶような情報を教えてもらった。Sさんはしきりに夏のセビリアの暑さを説明してくれた。
暑さを避けるため、北の海のルートや、王道のフランス道、ポルトガルルートなどを勧めてくれた。
スペインに入る前に、少しでも情報を得るため、ロンドンで事前に教えてもらっていた旅行本専門の書店に行き、『銀の道』の資料を探した。歩くための本は一冊しかなかった。
しかも1枚の写真もない薄っぺらい本であった。でもここには村や町の情報、例えばバルが何件あるとか、アルベルゲ(巡礼宿)の情報が書いてあり、後で役に立った。
しかし、この本の冒頭に、いつ銀の道を歩いたら良いかという項目のところに、 「一年じゅういつの季節も楽しめます。でも、7月と8月だけは絶対にやめた方がいい」
あ〜〜〜っ!やっぱり・・・。
そんなやりとりも含め、調べれば調べるほど、夏にこのコースを歩くのはかなり命がけのような気がしてきた。
去年のわくわくするような気持ちに比べ、今年は不安のほうがずっと強かった。
正直言って、出発前のぎりぎりまで、ルートについて心配は尽きなかったし、セビリアからではなく、もう少し先のMeridaあたりから始めるべきなのか・・・と思いは頭の中をかけめぐる。
いや、やっぱりあの幸せがいっぱいのフランス道をもう一度歩いてもいい。 北の海ぞいのルート『カミーノ・デル・ノルテ』もいいだろう。
ミカさんに事情を説明し聞いてみると、
「私は『銀の道』でいいよ。」
と言ってくれる。その言葉を内心待っていながらも、常にこの道でいいのだろうか?という疑問があった。
それでも、きっと私の気持ちは決まっていたように思う。
セビリアから『銀の道』へ。










7月20日(水)
16:35 London発 → 21:30 Madorid着 → 23:00 Madorid発(バス)→Sevilla早朝着
ロンドンからスタート地点のセビリアまでは、驚くほどにスムーズだった。
Madridまでの飛行機は一時間遅れて到着。
これにはハラハラしたが、小走りに地下鉄に乗り、バスターミナルへ。
予約もしていない上に夏のこの時期、しかもぎりぎりの時間だというのに、最終の夜行の便が取れた。こわいくらい
予定通りである。
慌ててバスに乗り込んだため、防寒の準備ができていなかった。バスにはしっかり冷房が効いていたのだ。寒くて眠れない。
バスは朝方Sevillaに到着。
まだ早いので顔を洗ったり荷物をロッカーに入れたり。
これから今日はここのカテドラルに行き、旅の無事を祈願し、巡礼手帳を発行してもらい、そして去年フランス道で友人になったSevilla
在住のパキに会う予定だ。
そして出来れば少しでも駒を進めたいから、10kmでも歩くつもりだ。
今回は、過去に一緒に仕事をしたことがあるミカさんと一緒。彼女とはこの三年間ほとんど会うことがなかったが、二か月前に久しぶりに会った時、去年の巡礼の話をすると、一緒に行きたいと言ってくれた。
7月21日(木)
5:00 Sevilla着 /19:00 Sevilla → 21:30 Santiponce (10.0 km)
バスターミナルを出る前に道を聞いて、カテドラルまで行くことにする。
途中のNUEVA広場でちょこっと寝る。(飛行機やよそのお宅では寝ることができない私だが、公園や野外ではどこでも寝ることができるのが不思議)
そしてカテドラルへ。
スペインには何度も繰り返し来ていたのだが、ここSevillaにくるのはなんとちょうど20年ぶりであった。
暗くて巨大なカテドラルの中、不安な気持ちは変わらず、無事にSantiagoに着くことをお祈りし、コロンブスの棺の上の彼の足元をさすり旅の安全をお願いする。
そして朝食を食べるためにbarへ。 そこからパキに電話をする。
彼女には今日着くことをちゃんと言っていなかったらしく、驚いていたがすぐに来てくれるという。
パキは郊外の町に住んでいて、10時半にカテドラルで会おうということになる。
もう一人、去年出会い、途中で帰っていったアセラにも電話をする。彼女たちはお兄さん、お父さん、従兄弟の4人で歩いていて、去年断念した場所ブルゴスから今年はSantiagoを目指して再び歩いているのだ。
今、歩いている真っ最中のはずである。
「オラ!アセラ!!」
電話の向こうで、ガサッガサッという彼女の歩く音が聞こえる。
そして少し息を上げながら、元気な彼女の声。今年はお兄さんのマリオは来ないで、三人で歩いているという。どこへ行っても賑やかなファミリーは、きっと今夜も歌い踊っているに違いない。
お互いに「buen Camino!」(よき巡礼を!)と言って電話を切る。
おいしいココアと熱々のサンドウィッチを食べ、まだもう少しパキとの待ち合わせに時間があるのでアルカサルへ観光に行くことにする。
最近私が訪れたスペイン北部とは全く異なるムデハル様式の装飾は、これもとてもスペインらしいものだと思う。
精密な色とりどりのタイル、蜂の巣のシャンデリアのような天井。グラナダにもまた行ってみたくなった。
しばらく歩いてパキとの約束のカテドラルの東門に向かう。
その少し手前で誰かが後ろから私を目隠しをしてきた。
振り向くと明るく笑うパキがいた。
去年は素敵な出会いがたくさんあった。おそらくその中でも私にとって一番大切な出会いが彼女だと思う。
スタートの頃からほぼ毎日同じ場所に泊まり、後半はいつも一緒だった。
彼女は明るくて優しいだけじゃなく、ユーモアがありお茶目でかわいい。それでいて誠実でまじめで忍耐強い彼女はとても人気者だった。
私は彼女の存在を知ることができただけでも幸せだと思った。
パキは二年に一度の教員試験を受けた直後だった。二年前から挑戦し、今年で二度目である。一次試験が受かってとても喜んでいた彼女だったが、二次試験は残念ながら不合格であった。とても難しい試験なのらしい。
電話では、
「昨日までは落ち込んでいたけど、今日はもうだいじょうぶ!会いに行くわ。」
と言ってくれた。
一年ぶりのパキは眩しいくらいキレイだった。半年前からつき合っている男性の出現によるものに違いない。
一緒に東門にあるオフィスでクレデンシャルと呼ばれる巡礼許可書をもらう。 これに行く先々でスタンプを押してもらうのだ。それが最終的にSantiagoでもらう証明書のための証拠になるのだ。
Sevillaのカテドラルでもらうありがたいクレデンシャル、しかも威厳があるおじいさんが、発行をしてくれた。
パキは、これから家に来ないかとしきりに誘ってくれる。 パキのお母さんも待っているというのだ。ここから車で20分ほどらしいが、そこに行ってしまうと、今後のスケジュールが心配だった。
今日の午後から少しでも歩きはじめたかったので、巡礼の後に戻って来るという約束をする。
パキは近いうち、私立の学校の先生の試験を受けるということだった。最初は一緒に『銀の道』を歩くと言っていたが、そんな気配もない。
今はまだ気持ちの整理がつかないのだろう。
次は『巡礼友の会』に行く。
ここでパキが私たちの代わりに質問をしてくれた。
そこで言われたことは、
「とにかく水をたくさん持って歩くこと。2リットルは必要で、午後の1時から7時までは歩いちゃいけないよ。この時間は暑くて日射病や脱水症状になるからね。昨日も巡礼をしていた男性が倒れて警察が助けに行ったんだ。」
想像をはるかに上回る、過酷な現状を目の当たりにした気がした。
そこへ二人の男性がやってきたので、おや、仲間かな?と思っていたら、彼等はずっと北の方(サラマンカ)から始めると言う。
歩いている人の数は、平均一日一人くらいだと言う。
気を取り直してビールを飲みに行く。大きな大きなジョッキは凍っていたので冷え冷えだった。おいしい!
ここでは去年フランス道での巡礼の楽しかった思い出話に花が咲く。まるで昨日のことのようだ。
パキはみんなの物まねをして笑わせてくれる。
私たちはずっと大笑いしっぱなしだった。
ラウラ&ミッチェルはイタリアに一か月近く旅行中だと言う。
アベルは、私が来る頃に合わせてSevillaに来たいと言っていたが、私の連絡が悪くて会えなかった。
アドリアーノはきっと彼女(アドリアーナ)に会いにメキシコに行っているはず。
私からもマリアがインドに行ったという話をすると、パキは驚いていた。
フェルナンド、カルメン、フリオともスペインにいる間には連絡を取りたいと思っていた。
ビールの後は食事に行き、すべてをパキがご馳走してくれた。スペイン人は決してお金持ちではないが、こういう時にはご馳走してくれる。ありがたく好意を受ける。
今日は友の会の人のアドバイス通り、夜の7時にここを出発することにしよう。
それまでまだ時間があり、気が早いけどデパートに行きお土産の下見に連れていってもらった。おいしそうな食材にうっとりする。
パキが駐車した場所まで行き、そこからバス停まで送ってもらう。もう6時を過ぎていたので、パキにお礼を言い別
れた。
もしかしたら途中から一緒に歩くかもしれないと言っていた。
ミカさんとバス・ターミナルのカフェでジュースを飲んでいると、すぐそばにホタテ貝をくくりつけた大きなリュックがあるではないか!
もしかして、これから歩きはじめる仲間かも知れない。
リュックの持ち主は、カナダ人とポーランド人のカップルだった。
私たちが話しかけると、こちらの親近感以上にすごいリアクションで、まるで旧い知り合いのように、「おお!友達よ!」とおおげさに喜んでくれる。
話を聞くと、サン・ジャンから歩いてSantiagoに行ってきたばかりだと言う。しかも男性の方だけ。私たちは内心がっかりした。
しかし同じCaminoを歩いたもの同士、心が通い合うものがあるのだ。
私たちは意を決し、夕方7時をやや過ぎた頃、第一歩を踏むことにした。
7時になれば、陽が少しは柔らかくなるハズだった。しかしこの日はまるで白昼のごとく太陽は衰えることがなかった。
日中が45度だとした、40度くらいに下がっていたのかもしれないが、ピーカン照りの中、バスターミナルの階段を降りる。
先ほど見つけておいた矢印を頼りに、グアダルキビル川に沿って今日は10kmの行程だ。
向かう町の名はSantiponce。
しばらく歩くと川から離れ、野犬に吠えられる。こんなところを朝の暗いうちに歩かずに済んで良かったと思うが、ロンドン以来の疲れも溜まっているし、夜行バスでもほとんど寝ていない。そしてこの暑さ。相変わらず不安でいっぱいだった。
去年のような、サンジャンに着いたとたんに感じた神様に迎え入れられたような神秘さはここでは微塵もない。
ただ殺伐とした熱い砂漠に修行のために放り込まれた感じ。
ミカさんがいたのは救いだが、他に一緒に歩く優しい笑顔も眼差しもない。
明日からいったいどうなるのだろうか・・・。
Santiponceに入る直前に、矢印の方向が分からなくなった。
歩いていくと、横に村が見えるのだが、中に入る道がない。このままでは村に入らずして先に進んでしまう。
思いきってガードレールとそこにある溝を超え、強引に村に入りこんでしまった。
村人に誘導された先は、アルベルゲではなく、ある施設だった。ここは私たちが泊まれる場所ではなかった。
持ってきた小さな資料を見ると、カルメンの宿に泊まるようにと書いてある。道を尋ねながらカルメンの宿にたどり着く頃にはすでに日も傾いて薄暗くなっていた。
当たりをつけた家の前に、まさにカルメンらしき人が座っていた。
「カルメンさんですね!」
と尋ねる私に対し、満足げに彼女は首を縦に振る。よかった!
値段を聞くと、彼女は私たちを上から下まで見ながら値踏みをして、この手の宿にしては、やや高めの数字を出した。
この時間、この疲労感にNOと言えるわけがなかった。
シャワーを浴びて外に出たころにはすっかり店は閉まり、今日は飲み物だけをバルで買って済ませた。ものすごく喉が乾いていた。
カルメンの宿には私たち以外の客はおらず、あてがわれた部屋が車の騒音でうるさかったら、別
の部屋に寝てもいいわと言ってくれた。
部屋の前の道は細かったが、確かにトラックが通るとうるさい。深夜に私は別の部屋に行き、思いきり眠ることができた。










2005年7月22日(金)
07:00 Santiponce → 17:00 Castleblanco (30.0 km)
/Albergue 泊
今日の予定は30km強歩くこと。
昨日短くした分今日取り戻せば、予定通りなのである。
7時に出発。まだうす暗い。本当はもっと早く歩き始めたいところだが、まだ二日目。調子が出るまではこのくらいの時間にしよう。
この時間からバルが開いていたので、水を買って出発。
よく寝たせいか、順調に足は進んだ。
しばらく歩いていると信じられないことが・・・。
木陰で休んでいると、後ろから巡礼者が歩いてくるではないか!!!
私は彼女を待ち構えて話しかけた。
一人で歩いているイギリス人のフランという名の女性だった。
彼女はSevillaから今朝歩きはじめたのに、もう追い付かれてしまった。 きっと凄い人に違いない。
私は今日の目的地を告げると、彼女はその手前までの予定だと言う。
「きっとあなたたちは私に追い付くわ。」
そう言い歩いていった。
私たちが追い付くわけがない。こんな健脚の持ち主に。
しかし私の頭の中は???がいっぱいだった。
この季節、北のフランス道でもイギリスなどの北部ヨーロッパ出身者には敬遠されるというのに。しかも初めてCaminoを歩くと言っていた。たくさん聞いてみたいことがあった。
9時半に生ハムのボカディージョ(サンドウィッチ)の朝食をバルでとる。
とてもおいしい。バルの店内はアンダルシアにいることを実感させてくれるお祭りの写
真がたくさんあった。 ここは南部なんだ。
去年とは趣きが異なって当然だった。
歩いていると午後1時を過ぎた。この時間は歩くことを禁止されている。
しかしそうは言っていられなかった。 その日はこの時間、少しだけ風があったので、『けっこうイケル!』と喜びながら歩いていた。
オリーブ畑を抜けると、とてもいい道になった。
しかし急に暑さを感じてきた。 水もなくなってきた。歩いてはすぐに休む。幸い木陰は涼しかった。
また歩き出す。きつい。
やっと目的の村かと思ったら、まだ手前の郊外の村だった。
ここに着いた頃、もう水は尽きていた。
しかしバルも店も一軒もない。大きな一軒家が並ぶ住宅街なのだ。
こうなったら、どこかの家のドアをノックして、水を乞うしかない。 ところがどの家も立派な門からドアまでが遠いのだ。そして門は閉ざされていた。
あきらめずに探していると、門が少し開いていて、しかも車のドアが半開きになっている。ここなら人がいるに違いない。
中に入ってドアをノックする。
私たちのような東洋人の、しかもリュックを背負った巡礼者の訪問は初めてであったに違いない。
最初はびっくりしながらも、女性は、一緒に出てきた子供にキッチンから水を汲んでくるように言い、ボトルを満たしてくれた。
この辺りは・・いや、この巡礼路は・・・巡礼者に慣れていない。
フランス道のように日常的ではないし、この人数ではお金にもならない。 だから、巡礼者に対し理解に欠けるのである。それでもこうして水をくれるので助かる。
ここからはもう1.5kmで目的地だったが、水がなくなる恐怖を初めて味わった。
目的地、Castiblanco de los Arroyosに着いてからも大変なのだ。
まずアルベルゲを探す。そしてそのアルベルゲには管理人もボランティアもそして他に巡礼者もいないから、町は鍵を近所のバルなどに委託し、預けている。
今日の鍵のありかはガソリンスタンドだとわかる。
ガソリンスタンドを前にして、まずはバルで水を大量に飲むことにし た。1.5リットルのボトルを二人でほとんど飲んでしまう。
ガソリンスタンドで鍵をもらう。外出する際は、万が一来るかもしれない別の巡礼者のために、いちいちガソリンスタンドに預けなければならない。
アルベルゲはすぐ隣にあった。いったいこの前にいつ誰がここに泊まったのだろう?
マットの上は頻繁に人が使っているような跡はなく、虫がいたり清潔とは言えなかった。
仕方がない。需要がないのだから。
念のため鍵を中からかけてシャワーを浴び、洗濯をしていた頃、誰かが下で怒鳴っている。
鍵をかけてしまったので、中に入れない人がいるため、先ほどのガソリンスタンドのお兄さんが来たのだった。
ミカさんがドアを開け、後で部屋に戻るとそこにいたのは、疲れ果てたフランだった。
フランは今日40kmを歩いたという。
やっぱり健脚・・・と思っていたら、そういうわけでもないらしかった。
私たちが10km を歩いた日昨日、彼女はSevillaに一泊した。ユースホステルに行ったが、いっぱいで、ホテルを紹介されたという。ところがそのホテルは冷房がなく、暑さで眠れず、とうとう今朝の4時半にホテルを出て、歩きはじめてしまった。
何度も休みながら、やっとここにたどり着いたと言う。
ぐったりとして、
「歩き過ぎたわ。」
と言っていた。
そして、できれば明日から私たちと一緒に歩きたいと申し出る。こちらも心強いし、仲間ができるのは本当にここでは貴重なことで、大歓迎だった。
フランもシャワーを浴び、一緒に食事に出ていく。 彼女は最初から私たちの邪魔にならないように、とても気を遣ってくれていた。
食べ物も、『出てきたものを何でも楽しくいただくわ』という姿勢だった。
バルで適当に何品かオーダーする。どれもおいしくて三人ともだんだん元気になっていった。
フランは15歳の娘がいるというから、30代後半くらいの歳だろうか。 最近までずっと小学校の先生をしていたが、転職し、動物園付きの先生になったという。
幼稚園児から大学生まで見学にくる子供たちに合わせ、動物の生体などを説明するのが仕事。
『銀の道』を選んだ理由は、動物にたくさん会えるからということだった。 Sevillaを出発する前は、ドナーニャ国立公園でたくさんの動物を見てきた。
9月の中旬までお休みをとってあるので、ゆっくり歩くことができるとも言っていた。
8月の25日までには遅くとも着かないとならない私たちと違って余裕だった。
どのくらいの間、彼女と歩くことができるのだろうか。
レイク・ディストリクトの出身だった。













































7月23日(土)
05:00 Castelblanco → 16:00 Almaden de la Plata (30.0 km)
/Albergue 泊
午後になると激しく暑くなるので、早朝から出発しようと4時半起きで5時に出発。
私たちだけだったらこうはできない。 なぜかというと、私たちには心細い地図がひとかけらしかないから。
フランはイギリスで買ったガイドブックを持っている。英語で書かれ、どのように町を出るか、矢印がみつからなくても文字が導いてくれる心強い本を持っているのだ。
これなら真っ暗な中でもなんとか歩けるのだった。
この頃のスペインの日の出は7時過ぎ。
だいたい7時にならないと、薄明るくさえならない。
5時に出るということは、二時間は暗闇を歩くのだった。
ア ルベルゲの鍵をガソリンスタンドに返し出発。
今日の道は前半が車道を歩く。
『銀の道』はアスファルトの車道を歩くことが比較的多い。北上するまでは630号という道をつかず離れず歩くことになる。
日の出の後も雲があり涼しい。
最初に道の端で休む。フランは目を閉じて眠りはじめた。私たちもゆっくり休んで一時間もたってしまった。
しばらく歩くと公園の入り口へ。
今日の残りの半分はこの公園を通る。とても気持ちの良い道だった。
フランもこの道が気に入った。かなり歩いて水の量が不安になってきた頃、小屋におじさんがいるのを発見、お水をもらえないか聞くと、5リットル入りの大きなボトルを持ってきてくれ、三人はそれぞれのボトルを満たしてほっとした。
お店もバルも村さえも少ない『銀の道』では、遠慮なく水だけはいただくことにしていた。
またしばらく歩いていくと、一台の車が止まった。
「お水はいりませんか?」
向こうから申し出てくれたのだった。ありがたいがまだ充分あったので、お礼だけ言って別
れる。
こうやって地元の人に支えられ、励まされ歩くことができるのだった。
お昼が近づき少し暖かくなってきた頃、お昼寝休憩タイムにはいる。
またまた一時間休む。
休むことも大切だが、私にとっては靴を脱いで足を乾かずことが一番大切だった。マメができやすいからである。
しかしこの後がきつかった。また急に例の暑さが戻ったのだ。しかも道は急な登り坂。常に上へ上へ。
上り詰めると四方に景色が広がって眺めが良い。
写真を取り合い一気に下って今日の目的の村へ。
約30kmの道のりだった。 アルベルゲを探すのは苦労した。
通りがかったパトカーに聞いたり、あちこちのバルで聞き、ようやく探し当てると先客がいた。自転車の人たちだ。
シャワーを浴びた後は薬局を探しに行く。 困ったことに、私は早々に風邪をひいていたのだ。ここ数年間風邪をひいたことがなかったのに。おそらく夜行バスの冷房と疲労で一気にきた。
日本から持ってきた風邪薬はすでになくなっていた。風邪は想定外だったので、少ししか持っていなかったのだ。
しかも鼻水と咳。それがどんどんひどくなっていた。 道を聞いた女性は、
「薬局はそこにあるのだけど・・・」
と言い「だけど・・・」
と口ごもる。そうか、今日は土曜日、しかもすでに午後。店は閉まっているのだろう。
そこにどこから来たのかおじさんが歩いていて、その女性はこのおじさんに助けを求め、消えてしまう。
おじさんは私に英語が話せるか聞き、自分はロンドンに28年間住んでいたと言って、上手な英語で話しかけてきた。
こんな田舎で英語が話せる人がいるとは驚きだった。
そしておじさんは
「あそこの薬屋はいい奴だから、頼んであげるよ。」
玄関に入ってベルを鳴らす。店主のおじさん、おばさんが出てきて店は閉まっているけど、必要なものを出してきてくれると言う。
私はまず、マメ治療の必需品、vetadineという消毒液、(去年も持って歩いていた)鼻に効く風邪薬、そして咽のためにトローチを購入した。
とても二日後の月曜まで待てない状態だったので助かった。
おじさんはアルベルゲまで一緒に歩く。偶然にもアルベルゲの向かいに住んでいるからだ。
さらに偶然に、ロンドンで私も半年ほど住んでいたペッカムという町におじさんも住んでいて、同じ通
りだったこともわかった。
おじさんは家に招待してくれた。犬二匹とガールフレンドと一緒に住んでいる。(奥さんと子供は今もロンドンに住んでいるらしい。この地はおじさんの故郷らしかった)
一緒にテレビで闘牛を見て、お水をご馳走になり写真を撮ってお別れした。
アルベルゲに戻りマメを治療した後、フランを誘って夕食に。
今日はメニュー。 私はガスパチョ、二番目の皿は昨日も間違えた豚のはずが鶏肉のステーキ、二人も私のスペイン語に頼っているから、三人ともまた昨日と同じものを食べる羽目になってしまった。ポストレ(デザート)はメロン。
スペイン語を英語と日本語に訳し、フランとミカさんの会話はそれぞれ日本語と英語の通
訳、二か国語ならまだしも、三か国となると頭の回転をフルにしないと誰に何語を話すかわからなくなる。
しかし不思議なもので、普段は出てこないような単語も、こういうときはどういうわけだか出てくるのである。私の頭のどこにそれが入っていたのか・・・。
フランとは二日目の旅だったが、すっかり打ち解けていた。 彼女はこう言った。
「私といるのがいやになったらいつでも言ってね、礼儀正しくするあまりに我慢したりしないでね。」
私たちは
「とんでもない!私たちはあなたがいてくれてとてもうれしいの。もしそんな時がきたら正直に言うからだいじょうぶ!でもスピードが違うから、いつかは別
れの時がくるのでしょうね。」
フランはちょと寂しそうな顔をした。
私だってずっと彼女と一緒にいたかったけど、時間に二週間以上も余裕のある彼女はゆっくり歩きたいだろうし、私たちは期日中になんとかSantiagoに着きたいのだから仕方がない。


















