7月24日(日)
08:30 Almaden de la Plata →15:00
El Real de la Jara (16.6 km)
/Casa Molina 泊
朝、なぜか目覚ましが鳴らず、7時半に起きて、夕べ買っておいたヨーグルトなどを食べて8時半に出発。
自転車の人たちの出発はいつも遅いが、すでに彼らさえもとっくに出ていった後だった。
今日は16km。
なぜかマップの予定も16km。ミカさんは、この地図の通りに行こうよと言うし、フランも当然という顔。私はまだ先の村へ行きたかったが、二人はそろそろゆっくり歩きたいらしかった。
事前に立てた予定には遅れてしまうが仕方がない。
今日の道は良かった。
日は照っているが、風が心地よかった。
二つの山を越える。昨日ほどの急坂もなく、オリーブ畑の中を抜ける。
途中放し飼いのイベリコ豚に遭遇。有名などんぐりしか食べないおいしい豚だ。
これぞスペインという正面きった真ん中を歩くのである。暑さもスペインの一部。
こんな景色、野性的な荒れ地はフランス道にはない醍醐味だった。
途中休憩を入れ、目的の村へ。
今日の村にはアルベルゲがない。オスタル(安宿)に泊まることになる。
この『銀の道』では前半こういった『ホテル』を利用することが多かった。ツインで格安のところで15ユーロ、高くても50ユーロどまりの割安なホテルを利用した。
今日は時間が半端なのでバルで食べられるものを出してもらう。
生ハム、チーズ、タラのフライ、焼き豚肉、パン。
イギリス人のフランに、友人でコメディアンになったジョニー・べガスことマイクのことを聞いてみた。
彼が大学を卒業してから、専攻していたセラミック科のロクロを使ってコントを始め、その後も活躍しているらしい話は聞いていた。
しかし本当に誰でも知っているような人なのだろうか.
「ジョニー・べガスって知ってる?」
と聞くと、顔をやや赤らめながら、
「私、彼のファンなの。とてもおもしろいのよ。・・・去年のビッグイベントに大物歌手たちに混じって彼も出演したくらいなのよ。」
ロンドンに住む友人が言っていた。『彼と友達だと言えば、どんなに予約が取れないレストランでもすぐに入れてもらえるよ。』
おおげさではあっても、本当に大物になっているらしい。
私は彼ととても仲良しだったから、たくさんお宝ビデオを写しているし、手作りのカードももらっているのだと、こんなスペインのど真ん中の片田舎で自慢しておいた。
オスタルに戻り今日は早く寝ようと夜の7時半にすっかり寝る支度を調えた。
廊下に出ると、宿の男の子が暗い部屋の中で風船遊びをしていた。
特にこのあたりの暑い地方では日中はシャッターを閉め、部屋を暗くする。涼しく演出しているのかもしれないが、この時間に村に入ると、外部と遮断し拒絶しているように見えた。
まるで留守の家のようだが、中には人がたくさんいるのだ。
その子としばらく風船遊びをする。
私は子供が大好きだ。子供をみかけると、どうしても話しかけてしまう。
スペインの子供たちはちゃんと質問にまっすぐに答えてくれる。
いや、それは子供に限ったことではなかった。若者も大人もそれは同じだった。
その子の写真が撮りたくて、外に出てみると、眩しい太陽。
まるで午後二時の太陽と変わらない。
部屋の中とは対照的なこの眩しさ。
ここの向かいに小さな店があるのを発見し、ベッドに横になっていたフランとミカさんを誘っていってみた。

















7月25日(月)
04:30 El Real de la Jara →
12:00 Monasterio (20.7 km)
/Albergue 泊
今日は特別な日だった。
7月25日はSantiagoの日。
Santiagoはスペインの守護神であり、去年のこの日が数年に一度の日曜日にあたる聖年に当たる年であったため、たまたま滞在したロス・アルコスでは盛大なパーティーが村人あげてあり、私たち巡礼者も一緒に参加させてもらった。
教会では特別なミサがあり、パイプオルガンのコンサートがあった。アルベルゲでは巨大鍋が用意され、おそらく200人分くらいのパエリアや飲み物が用意され振舞われた。
村人も巡礼者も関係なく、歌い踊りお祝いをした。
今年は聖年ではないが、やはりSantiagoを目指す我々にとっても重要な日だった。
朝から私とフランは、今日はミサに出ようねと約束していた。
フランは敬虔な信徒ではないと言うが、もともとウェールズの出身で、両親がウェーリッシュであり、母親が経験なカトリック信者ということで、何よりもこの巡礼を喜んでくれた言う。
今日のマップによると目的地はMonesterio。20.7km。
本当なら昨日の16kmと合わせてここまで到着していたかった場所である。
さらにこの先まで・・・と思っても次の町まで26.1km。
『銀の道』の問題点はたくさんある。途中に村や町が少ないのである。 だからこのマップの通
り進むか、二枚分のマップを進むかしかないのだ。
途中でやめたくなってもやめられない。歩きはじめたら、何がなんでも目的地に着かないことには野宿するしかないのだ。
野宿はまだ未経験だ。もし夜中が過ごしやすいのならそれもアリかもしれないが、昼間の暑さとは極端に、深夜は冷え込み、朝方の日の出前などは初冬のごとく冷えるのだった。
こんなところもこの道の難しさの所以である。
今日はまた5時より歩きはじめる。
ミカさんがちょっと遅れがちになり、フランと話しながら歩く。
この時間はまだ星が爛々と輝いている。その星を見ながら
「去年はイギリスで流星群が見られたの。三時に起きてね,娘と友達と三人で車に乗って寝袋を抱えて星を見にいったのよ。まるで花火のようできれいだったわ。」
その時だった。私が一つの流れ星を見た。次の瞬間別のところで今度はフランが流れ星を見た。
とても神秘的だった。
彼女は自然や動物が大好き。歩いていると、野生のウサギをよく見かける。誰よりも早く彼女は見つける。
鳥のことも詳しかった。植物についても、ガイドブックにイラストが載っていて、すぐに調べていた。
彼女が私の前を歩くことも多い。そんな時の彼女の後ろ姿は、一心に祈りながら歩くかのように見えた。
今日の目的地Monesterioに着く。
この町にはアルベルゲはないが、赤十字の施設に泊まれるのだという。 鍵は隣のレストランにあった。こういう情報はむしろフランのガイドブックより、私がロンドンで買った薄っぺらい本に載っていて、小さなマップでさえも役に立つのだから、みんなで力を合わせると、充分な情報量
があった。
この施設は、一人で泊まるのは尻込みしてしまうが、三人で入ると不思議と活き活きしてくる。
この頃になると、私の備品はぽろぽろと壊れてきた。
一番参ったのは靴であった。
去年と同じ店の信頼できる店員さんと話し、今年は軽くてハイキング用の一か月ではきつぶす方向で決まり!と、去年の値段の三分の一以下の代物にしたものだから、
靴底が口を開けはじめたのだった。
後ろも前も、両足もろとも。こんなのありえない!
中の布で繋がっている状態だった。おそらくものすごい気温のためにボンドが溶けたのではないだろうか。
今はまだいいが、雨の多いガリシア地方に向かうのだ。その前にだって雨の可能性はある。
その時に大変なことになってしまうに違いない。 機会のあるうちになんとかしたい。
靴の修理店なら日本ならどこにでもあるだろう。 しかしここスペインの田舎では、まず見かけないのである。せめてボンドを買ってくっつけておかなければ。
そしてサングラスのねじも外れてブラブラしている。
教会へ向かう途中にそれらを修理することができそうな店があった。 まずはサングラスを眼鏡屋さんに預け、すぐ隣の小さな工具店でスーパーグルーを買う。
教会は閉まっていた。
この道沿いにある教会はたいてい門を閉ざしていて、自由に入ることができない。
ミサの時間を聞くと、人によってまちまちで、8時、8時半、9時ということだった。どちらにせよ、スペインの夜は長い。
教会のすぐ横には銀の道の資料館があった。 行く先々のモニュメントや、観光名所の写
真が大きく引き延ばされ、一堂に見ることができる。
これから行く場所を写真で見るが、実感がない。
解説にきてくれた男性が、ここの地図に書いてあ地名はローマ時代の名前なのだと説明してくれた。
そう、この道はフランス道よりも古い。
ローマ時代の遺跡をめぐる旅でもあるのだ。
巡礼全盛期にローマ時代、イスラム時代から受け継がれた銀を運ぶルートがSantiagoまでの巡礼ルートに引き継がれる形で残ったのである。
鍵を借りたホテルのレストランで昼食を食べに戻った。
ここでもガスパチョ、豚のステーキ&ポテト、プリン。
ガスパチョは店によって少しづつ違うが、暑いこの国では元気が出る。
アンダルシア、次に入るエストレマドゥーラの名物でもあるから、この地方にいるあいだはなるべく食べたい。
またスペインの豚肉はとてもおいしい。生ハムやチョリソー、サラミも全て。
プリンもかつてスペインで私は目覚めた。時々市販のプリンを出されるとがっかりするが、自家製のプリンはしっかりした味でとてもおいしい。
ところでここMonesterioは生ハムのハモン・イベリコで有名な地なんだそうである。
道で出会った、どんぐりを食べる高級豚のハムである。夜に必ず食べようと決める。
アルベルゲでのんびりし、私はマメの治療をしに医者に行くことにして外へ出た。
するとそこへ自転車おじさんの二人組がやってきた。
おじさんに隣のレストランに行ってスタンプをもらうことを教えると、自転車に乗って行ってしまった。
私は少し興奮してミカさんとフランに報告に行った。
「すごい人たちが来たよ!自転車のおじさんの姿がおもしろいの!白い大きな布を頭からかぶり、そこにヘルメットを乗せているからアラビックみたいなの!!」
私は病院に行くのを後にして、二人が戻ってくるのを待ち構えていた。 カメラを用意して。
なかなか帰ってこない。ホテルのおじさんに情報を聞いているのだろうか。もしや一杯飲んでいるのだろうか。
やっと現れた時には、さっきのコスチュームを外していたが、 お願いするとすぐに衣装を付けてくれ、カメラに収まったのだった。
病院に行く。すぐにフランス道と比較してしまう癖は止めようと思っているのだが、去年は良かった。
アルベルゲのホスピタレイロはほとんどが巡礼経験者で、その人たちはマメ治療の名人が多い。ずいぶんとそういう人たちのお世話になったものだ。
それにひきかえ医者はマメを潰したがらない。ばい菌が入るから、自然に治すのが一番だという考えだからだ。
しかし休むことのできない巡礼にとっては、マメを潰して水を抜き、さらにその中に消毒液を注入するのが一番いい方法なのである。
この町の病院も同じだった。マメをさっと消毒してプラスターをぽんぽんと貼るだけだった。
ついでに風邪薬ももらうことにした。
先日買った薬のお陰で鼻の方は少し良くなっていたが、咳が止まらない。おそらく夜中にも咳をして、回りに迷惑をかけているかもしれない。
医者は咽を見て、二日分の薬を出してくれた。
この薬を後でフランに見せると、
「これは何にでも効くいい薬よ。悪いものをだんだん小さくしていくの。イギリスにも同じ薬があるわ。この薬は害はないからだいじょうぶ。これをたくさん飲んでも自殺できなかったそうよ。」
確かに速攻性はなかったが、その後少しづつ快方に向かっていった。
買い物をした後、教会へ向かう。
教会前の広場の噴水の中に、先ほどの自転車おじさんが入り、子供のようにはしゃぎながら写
真を撮っていた。
そして広場のバルでビールを飲みながら5人で話をする。
自転車の人たちは歩く人の2倍以上の距離を走る。100km走った日もあるという。
そんなわけで、二度と会うことはないから、普段はあまり交流はない。
しかしここ『銀の道』では、お互い方法は違っても、数少ない巡礼者同士だ、道で追い越す時には止まってくれ、必ずどこから来たの?と話を交わす。
一人一人がとても重要で特別な存在なのだった。
おじさんの一人はもう10回くらい巡礼をしている。
いろいろなコースを行っているが、『銀の道』が一番難しいと言う。
ミサが始まる時間になったので、みんなで行くのかと思ったら、おじさんたちはこれから食事に行くというので、
三人で教会に入る。
信者ではない私とミカさんは後部の座席に座った。かなりの人が参加している。 ここに巡礼者が三人しかいないのが残念だった。
ミサが終わり、急いで生ハム専門店に向かう。
もう今日は遅いからアルベルゲで試食だけにしようということになった。
数切れづつつまむ。
さすがにおいしい!
おじさんたちも帰ってきて、自家製のキャラメルを分けてくれた。
もう明日からはどんどん遠いところへ行ってしまうおじさんたち。一期一会の出会いである。






















7月26日(火)
04:30 Monasterio →18:00 Calzadilla
de los Barros (30.0 km)
/Hostal Rodriguez 泊
今朝も5時に出発。真っ暗い中を歩けるのはフランのお陰だった。
彼女がガイドブックを読み、道を教えてくれる。
それでも前の日にもだいたいの矢印の方向を下調べしておくようになった。町を出るだけでも真っ暗闇の中では大変な作業なのだ。
フランス道なら誰かが歩いているだろうし、矢印もたくさんある。ここではどちらもないから、自分がしっかりしなくてはならない。誰にも甘えられないのだ。
白っぽく道は浮かんで見えるので、方向さえわかれば道からはみ出すことはない。
しかし曲り角に来る度に厳重に調査が必要となる。 矢印があるかどうか。 少々道を間違いそうになりながらも進んで行くと、道と平行して流れる小川からカエルの鳴き声。
暗闇の中、突然三頭の牛に遭遇。
牛は大人しいから近くに来ないとわからない。
そして明るくなったころ、途中から広々した景色に変わる。
もうオリーブの木もどんぐりの木もない。緩やかな丘、一面ベージュ色の見晴しの良い地帯だった。こんなところでピーカンの天気では逃げ場がない。
幸いにもこの日は小さなかわいい形の雲が点々とあった。 雲がこんなにかわいいものだとは知らなかった。そして雲がどんなにありがたいことだということもこの旅で知った。
曇りの天気・・・というのは歓迎されないものだと思っていたが、ここでは雲が少しでもあることが、どんなにうれしいことか。
木陰がなくても、一瞬でも太陽が隠れる瞬間があるだけでいいのだ。太陽が雲に隠れた時、涼しい風が吹く。スペインの影は濃いから。
途中で、私たちより遅く出発した昨日の自転車おじさんたちが追い越していった。みるみるうちに小さくなっていく。
今日はとても調子がいい。フランもどんどん進んでいく。足の長い彼女が調子を取り戻すとさすがに早い。
目的の村に着いたがフランがいない。今日はマップ通
りに進めばここが目的地のFuente de Cantosだった。
しかしお天気が味方してくれたお陰で私もミカさんも調子がいいから、もう一つ先の村までいっても合計で30km以下なので、今日はこのまま行ってしまおうと思っていた。
そのことをフランに告げておきたかった。彼女がここで泊まるとしても。
アルベルゲに行ってみたが、鍵がかかっていて、フランが中にいる様子はない。
おかしいな。アルベルゲに付属する誰もいないバルの椅子に座り、彼女にメッセージを書いてドアに貼っておくしかない。
休憩も兼ねてベンチに座ってメモを書いていたら、そこにフラっと現れたのはフランだった。
アルベルゲの横の影のある場所で寝ていたというのだ。こんな近くにいたのに危うく彼女を置いていくところだった。
これからこの町で昼寝してから夕方さらに歩いて次の村に行くという案にフランも乗った。
公園のベンチにそれぞれ横になる。
ところが、15分もするとそれまで日陰だった場所が日向になってしまい眠れたものじゃない。
私は二人に訴え、もう休まずに歩き出すことにした。
三人とも疑問を持たずにひたすら進んだ道は、矢印が全くない。
道の番号も違っていることに気が付いたのは2kmほど進んでからだった。 しかし誰に聞こうにも人が住んでいそうな民家がない。せいぜい家畜小屋くらいだ。あとはビュンビュン飛ばす車を止めるしかない。
私たちは情報をもちより、推理し、次第に間違えだということが明白になってきた。
引き返す勇気が必要なのだ。
炎天下のなかのこの無駄な歩きは少々ショックだったが、いちいちそんなことにめげてはいられない。
次に進まなければ明日はないのだ。
もう一度今来た道を戻り、先ほどの村へ行きバルで炭酸入りのお水を飲んで仕切り直しをすることにした。
気分も一新して、さあ、また歩き始めよう。
その道はローマ時代の古い道だった。広くてまっすぐしていた。 暑いし木陰はなかったが、順調に進む。ミカさんがなかなか来ない。歩きたくても進まないのだと言う。
林を抜けると村があり、今日はまたオスタルに泊まる。バルの二階だ。
今日はふた部屋に別れた。洗濯とシャワーを済ませ下に降りていくと、フランは優雅な装いで一人でオリーブをつまみながらワインを飲んでいた。
先日のSantiagoの日も別の服を来ていた。荷物が多いと思ったらこんなに衣装持ちだった。
歩いている時の服は小さく少ないが、スペシャル・オケージョン用の服を三着持っていた。
食事などの際はみんなおしゃれをする。スペインでもそうなのだが、巡礼者はほとんど同じ格好をしている。リラックスした服に着替えるだけである。
気分を変えるのはなかなかいいことかもしれない。
私たちも席に着き、料理を注文した。サラダ、またまた豚肉。(内陸はこれがおいしいのだから!)デザートはミルク味。
実はこれが三人でとる最後のディナーということになったのである。
明日はフランは約20kmほどの地点、Zafraという銀の道の要所に泊まる。
ミカさんは食事の前に私にこう告げた。
「私、もう歩けないからMeridaまでバス行ってHiromiちゃん(筆者)のことを待っている。歩きたいけど足が動かないの。ごめんね、私おばさんなの・・・・」
えええ〜〜〜〜っ???ちょっと待ってよ、そんなぁ・・・。
でも、ミカさんは決して一緒に私もバスに乗ってほしいわけではなく、ただ、私に迷惑をかけたくないから決めたのだということがよくわかる。
おそらくMerida まで3〜4日かかるであろう。 ミカさんはマメだらけの私の足を治療してくれるという。
これからMeridaまで一人で無事に歩くために。
私は恐くて見られないが、彼女は完璧にたまった水を出してくれた。 どこの病院よりも正当なトリートメントだった。これでリセットしたようなものだった。
フランは私たちと別れたら、スペイン語をちゃんとしゃべらなくちゃと自分に言い聞かせている。
ミカさんもバスで行くとは言え、すべてを自分でやらなくてはいけない。 私ももちろん不安だった。どこまで行けるのだろうか。
三人三様の不安を抱えながらも今までの思い出を語りながら食事を終えた。































7月27日 (水)
04:45 Calzadilla de los Barros
→20:00 villafranca de los Barros(40.0km)
/Casa Pelin泊
今日はさらに早めに4時半にホテルを出ようとすると大問題が発生。
出口に厳重に鍵がかかっている。
ミカさんも、私たちを送るために一緒に起きてきてくれた。
私たちはあちこち鍵をこじ開けようとすると非常ベルが鳴り響く。
しかし誰もいない。ここにはスタッフが住んでいないのだ。
困った。早く出ないとたくさん歩くことができない。
今日こそ体調によって40km歩きたかった。フランと一緒でなければ朝の暗いうちに出発できないから、今日がチャンスと考えたからだ。
時間はどんどん過ぎていくが、15分すると外に車が着き、まだ着替え中?のような格好をしたおじさんが入ってきた。
そして鍵を開けてくれ、ようやく外に出ることができた。
ミカさんとは電話で待ち合わせ場所を後日連絡しあうということで別れた。
フランは、こんなことでは火事でもあったら泊まり客は逃げられないではないかと憤慨していた。
昨夜下見をしておいたものの、うまく町を出ることができない。暗闇の町を右往左往しながらようやく5時15分に町を出ることができた。
今日はフランと二人きり。最後の歩きだ。
Zafraまではフランと一緒に歩くのだった。
二時間ほど歩いた頃、朝焼けのショーが始まった。ちょうど休憩する時間だ。
二人で大地に座り、寝転びながら360度の二人のためだけのショーを楽しむ。
なんて贅沢なことだろう。
私はロンドンに住んでいた頃の話、去年のCaminoの話をたくさんした。
記念にフランが歩いているところを写真に撮らせてもらうと、
「実はこの道を歩くことが決まってから、イブニングスタンダード(イギリスの新聞)が取材に来て、犬と散歩している写
真が載ったのよ。それを見た母がびっくりして電話をしてきたわ。」
へぇ〜っ、すごいねと私。きっと読者は彼女の行動に注目しているに違いない。
私は去年のCaminoで学んだことはたくさんあるけれど、
「この一歩を踏み出さなければどこにも行きつけない。でもこの一歩を踏み出せば、未来に繋がるっていうことがわかったの。」
と言うと、同じことを言っている小説を読んだことがあるわと彼女が言う。
そしてフランは
「巡礼とはそもそも孤独なものよね。」
「そう、まわりから隔離された・・・」
と私。 そしてフランは
「だからこそ、一人で歩き終わった午後、人々に接してそれが何倍にもありがたく思えるのよね。」
「Zafraから4km手前のところに村があるの。そこでホットチョコレートを飲みましょう。」
とフランが言う。
それを楽しみにどんどん進む。
陽が昇っても今日はやや涼しい。
フランは
「みんなが挨拶がわりに『フレスキート』と言うの。なにかしら?」
私はその言葉を聞いたことがなかった。すると、
「もしかすると、フリオ(寒い)とかフレスコを軽くした言葉なのかも!」
とフラン。 そこへまたおばさんが通りがかって、私たちに
「フレスキート!」
と寒そうな格好をして立ち去る。 二人で「そうだよ!」フランの勘はいいね。こんな単語がわかっただけで私たちははしゃいで、別
の男の人に声をかけてみた。
「フレスキート!」
と言うと、一瞬キョトンとしていたその人もすぐにわかってくれた。 しかしどこが寒いのか。確かに夏にしては涼しいかもしれないけれど、あのゼスチャーはオーバーではないか。
その町には広場があり、バルがあった。私たちはホッとチョコレートをオーダーして、住所の交換をしたり、持っている情報の交換をした。
私は今後の数日の予定を考えて、高低差などをチェック。
バルのお兄さんは大きなポットに二人分のホットチョコレートを持ってきてくれ、グラスにお水まで入れてきてくれた。
お兄さんは私たちに何でも協力しますよという姿勢だった。
荷物を預かってもらってスタンプをもらいに市庁舎へ。
巡礼者はクレデンシャルと言われる巡礼証明書をもらう。そこに行った先々でスタンプを押してもらい、それが巡礼をした証拠となり、最終的にSantiagoに着いた時、巡礼をした証明書を発行してもらえるのだった。
この『銀の道』ではスタンプもちょっと違う。誰もいないアルベルゲにはスタンプは用意されていないことが多いから、たいていはアルベルゲの鍵を持っている場所でもらう。教会でも押してくれるところは数えるほどだった。
だから私のスタンプは、警察だったりホテルだったり、バルも多い。 自称『バルの巡礼者』と言っていたのだからバルのスタンプだけを集めてもおもしろいかもしれない。
ここからZafraまでは4km。いよいよフランとお別
れの時がきた。
この4kmは、冗談ばかり言い合い笑いながら歩く。古いレンフェ(国鉄)の駅舎が見えてきた。そこを目指して歩く。
隣には新しい駅舎があった。 Zafraの駅だった。
ここから街の中心まで少しある。大きな広場があり城を改装したパラドールがある。
私はここでフランとお別れをすることにした。
広場では記念に一言カメラに向かってしゃべってもらう。
「あなたたちと会わなければ、私は一日目で断念したことでしょう。ありがとう!」
一日目に40km歩いてしまった彼女。そのことを後悔し、私たちと会わなければさっさとバスに乗っていたという。
こちらも全く同じだった。フランがいなければ、とっくにこの道から逃げ出していたかもしれなかった。
この道では、導いてくれる天使に会えると同時に、自分の存在さえも誰かの支えになれるのかもしれない。
彼女とは5泊同じ宿に泊まり、5日間一緒に歩いた。 堅く抱き合いイギリスでまた会おうと約束をした。
しっかりと街の出方を聞いて私は次の町へ。
フランはインフォメーションに行ってアルベルゲを探す。
頭にしっかり叩き込んだはずの道だったが、途中でわからなくなった。人に何度も聞いて歩いていくと、なんとまたフランに会ってしまう。彼女が探していたアルベルゲも同じ方向だった。
二人で歩いていると親切なおばさんがわざわざ寄ってきて、アルベルゲの場所を教えに来てくれた。
今度は間違いない方向へ自信を持って進んでいく。古い塔が見えたからだ。ここを目指せばいいと聞いていた。
その後は次第に田舎道になっていく。
矢印はあまりない。こんなところを明日の朝歩くフランはだいじょうぶだろうか。ちゃんと街の出口を見つけることができるだろうか。
坂をだらだら登っていくと、今度は一気に急な下りとなる。その下の村に着いた時には少々呆然としていた。
オレンジジュースを飲みながらタパスをつまみ、なんとか生気を取り戻す。
再び山になる。山を登りきった頃、私は足を乾燥させるため休むことにした。 靴下を脱ぐと足はまるで長風呂にでも入ったかのように全体的にふやけている。
これが一番マメができやすい状態なのだ。 それほど暑くない今日のような日でも、長く靴を履いているとこうなる。暑い日にはなおさら汗をかくので、こまめにこんな休息時間をとらないとならないのだ。
私の心境は複雑だった。
一人でこれからどうなるのだろう。三人からいきなり一人になるのは本当に心細かった。
他に誰かしら歩いているフランスの道とは事情が違う。巡礼者もいないどころか、まわりの理解もない土地である。
しかし、反面自由に自分が納得するまで歩くことができる。
今日は40km歩きたい。そうして遅れを取り戻したいのだ。
幸いフランと早朝から出発できたし、天気も見方してくれている。
今日をおいてこのチャンスはないだろう。
そしてぼんやり考えた。去年フランスの道で会った人々の顔。
彼らにとってもきっと忘れ得ぬ夏になったに違いない。
そしてこの夏の思い出はどうなのだろう・・・?
まだ風邪は治らず調子もいいとは言えない。 暑さ他の悪条件とともに、マメ、そして風邪を引きづりながらも歩くこの旅は、やはり去年の道とは全く違う。
もしここに神様がいるとすれば
「さあ、この荒海に入ってもまれ、たくさん苦労して何かを掴め。」
と言われているようだった。
歩きはじめよう。すべてが自分の意志で決まる。
道は小高いオリーブ畑へ入っていく。
誰もいない。家もない。家畜すらいない。 矢印もほとんどない。
ここでは曲り角に矢印がなければその道は直進なのだと自分なりにルールを解読することにした。
どこを見ても道がたくさんあったり、また道に見えないことはないが、獣道のような、うっすらした道を歩くこともある。
360度、どこへ行ってしまってもおかしくない。
でも、道は一つのはず。その道を選ぶのは容易ではない。
耳をすませ、足下を見、気持ちを集中させる。そんな時、矢印が見えたり、誰かがふと通
りがかって道を教えてくれる。
五感をすべて使い、研ぎ澄まされた時に道は見えてくるものなのである。 特に一人で歩いているときは、手分けして探すわけにもいかない。無駄
にも歩きたくない。
不思議と一人の時の方が道を迷うことはなかった。
この地方には去年の9月以来雨が降っていないと聞いていたが、霧雨のような雨が降り出した。
その雨さえも味方に思えるほど、暑さよりはずっとましだった。
雨は次第に本降りになってきたのでポンチョをリュックから取り出した。 初めて着たのでうまくいかない。どこに手を入れるのか。リュックまですっぽり掛けるのも案外難しい。練習しておくべきだった。
なんとか全身が濡れないようにし歩いていくと、私営のアルベルゲに出た。
ここは目的地ではないので泊まるわけにはいかない。
それ でもベルを鳴らし道を尋ねてみた。ここから6km、そこの道を行けばいいと教えられるが、そこがどこなんだかよくわからないまま、勘で進む。
矢印なんて、もはやどこにもない。
ここからの6kmが長かった。オリーブ畑を越えると大きな幹線道路に沿って歩く。地図の通
り線路もみつかった。
そして小さな村に出た。 この村のことは地図に書いていなかったので、不安に思い誰かに聞いてみたい。
しかし誰も歩いていないし店もない。
小さな畑で雨の中で雨具を身につけ庭仕事をしているおじさんをみつけた。でもおじさんに声をかけるには遠い。雨の音で声も届かないだろうし、仕事しているおじさんを呼び出すのは申し訳ない。躊躇して先に進んでみたところでやはり矢印もないし、何も決め手がない。やはりもう一度戻ってあのおじさんに聞いてみよう。
大きな声で
「おじさ〜ん!」(こういう時は日本語で!)
と叫ぶと、気が付いて歩いてきてくれた。 そして目的地の村の方向を教えてくれ、あと2kmだということだった。
雨は止まない。休もうにもどこも水浸し。歩き続けるしかない。
やっと町にたどりついた。
ちょうど雨も止んだ。
活気のある町だった。お店もいっぱいある。靴の修理店もあるではないか。でも5人くらいの人が並んで待っている。
それを横目で見ながら、まずは今日の宿を探す。ここにもアルベルゲはないから、町の人に聞いてみる。
すると一軒のホテルを紹介された。そのホテルは巡礼路に沿ってあった。そしてほぼ町の出口に近かった。これなら明日も分かりやすい。
入り口にいた女性がオーナーだった。
よれよれになった私を見ながら、
「さあさあ中に入って」
ホテルの内部はみかけよりずっと高級に見えた。値段を聞くと女性はあなたは巡礼かと聞いてきた。はいと答えると、それなら20ユーロでいいわと言う。
部屋は広く大きなWベッド、ソファもテーブルも冷蔵庫もテレビも冷房ももちろんトイレもシャワーもあり、中庭にも繋がっている豪華なものだった。しかも電子レンジまである。これで20ユーロ!?
巡礼者の特権なのだろうか。
ここに着いた時にはもう8時を回っていた。急いで買い物にでかけるが、近くには何もなかったのでまた長く歩くことになってしまう。
ゆっくりシャワーを浴びて洗濯をして片づけしていると、すでに12時になっていた。
早く明日のために寝なければ。
私の長い一日が終わった。

































Camino de Santiago via de la Plata 2
7/24(日) Almaden
de la Plata → El Real de la Jara(16.6 km)
7/25(月) El Real de la Jara → Monasterio (20.7 km)
7/26(火) Monasterio → Calzadilla de los Barros(30.0 km)
7/27(水) Calzadilla de los Barros → villafranca de los Barros(40.0km)
