8月5日(金)
06:30 Aldanueva del Camino →
15:30 Calzada de Bejar (21.7km)
/ Albergue 泊
今日は出発から9,2km地点に、Banos
de Montayor とい村がある。
頭にBanosとつくくらいなので『温泉』があるのだ。
この場所は前々からフランがとても楽しみにしていた場所である。
もしかしたらここに来ているかもしれなかった。痛めた足にもいいだろう。
昨日出会ったイワンとホワンペも、夕べはこの村に泊まると言っていた。
村に着くと大きなバルがあった。
看板にチューレリアと書いてある。これこそ私たちが先日食べそびれた、チュロスのあるバルではないか。
中から出てきた人がたくさんのチュロスを持っている。地元の人もここに買いに来るようだった。
中に入るとおじさんがチュロスを揚げている。丸く渦を巻くようにドーナッツの生地を油に流し込む。
揚げたてのチュロスを買ってコーヒーを注文した。
カウンターで食べていると、そこへイワンがやってきた。
昨日は朝まで村の人たちと話しこんで、今朝食を食べるらしい。
一緒に外で飲もうと誘われ出ていくと、ホアンペもいた。
昨夜は教会の裏で寝たんだよと言う。 近くをおじさんが通りがかると話を交わしている。このおじさんも朝まで話をしていた人の一人だと言う。
温泉は2か所あるけれど、どちらも私営のもので一見さんが入れる雰囲気ではないということだった。
二人はA4のノートにそれぞれ日記をつけている。そこには文章もあればイラストもある。アルベルゲのスタンプも押してあり、クレデンシャルは持っていないようだった。
そこに日本語でポエムを書いてほしいと頼まれ、Caminoにふさわしい短い文章を書いたり、名前を漢字に置き換えて書いてみたり・・・。
イワンは私の名前が覚えられない。どこかで覚えていたらしいHiroshiという名前としばしば間違えるのである。
ホアンペは人が良く、終始ニコニコしていて、優しそうな青年だった。
二人は去年イタリアを40日間かけて北から南まですべて野宿をして回ったのだと言う。
聞けばイアンはパキと同じく教員の試験を受けているということで、大学に行きながら、掃除の仕事をしているという。
その試験は難しいのよねと言うと、知っているの?と言われたので、私の友達(パキ)も受けているのと話した。
ホアンペは教員試験よりは簡易な講師になるための勉強をしているという。
二人は合気道の道場で知り合い、イアンは今もずっと合気道をしているので、日本に憧れが強いらしく、逆にこちらに作法を教えてくれる。
自分の先生は、スペイン人なのに畳の上で生活し、何もかも、日本式の暮らしをしているのだという。
そして二人と別の友達の3人が写っている写真をくれ、裏にはメッセージまで書き込んでくれた。
そして笛を聴かせてくれ、デジカメのムービーにメッセージを入れてくれた。
二人はめちゃくちゃテンションが高い。気が付いたら2時間も話し込んでしまった。
一緒に歩き出すが、いきなり登りで歩調が違うし、暑くなってきていたので大変だった。
その道はローマ時代の石畳であった。
しばらく一緒に歩いた後、先に行ってもらった。
ミカさんとゆっくり歩いていくと、笛の音が聞こえてきた。
橋の欄干で二人が休憩をしていたのだった。
下には川が流れている。またここに足をつけよう。 私は水さえあれば足をつけることが一番気持ちがいいし、足のためにもいいことがわかっていたので、積極的に足をつけた。
イアン&ホアンペは橋の上でずっと笛を吹いている。
それを聴きながらとても気持ちの良い休憩だった。
二人が歩き始めた頃もまだ私たちはゆっくり休んでいた。
今日の目的地はCalzada de Bejar
だった。
ここのアルベルゲに着くと、またイワン&ホアンペがいて、二人はこれから出発するところだった。
ここは私営のアルベルゲで、おばさんがふたりいた。今までアルベルゲに管理人がいなかったので、ちょっとうれしかった。
イアンは私たちに通訳してくれ、部屋の値段を教えてくれる。三段回に別わかれていて一番安い部屋を選んだ。
イアン&ホアンペはおばさんたちとすっかり仲良くなっていたようで、みんなに見送られながら賑やかに今夜の目的地に向かっていった。
値段の違いはベッドにあった。
安いものは古いらしい。でも、みかけは全くわからない。しかし実際は、スプリングがイカレていた。他に燗しては、シャワールームはきれいだし、リビングのスペースもあり、心地良かった。
今日も桶をに水をため、外で日記を書きながら椅子に座る。
庭の水なので、長いホースが太陽によって暖められていて、熱湯に近いお湯が出てきた。少しの間水を出し、やっと水らしい冷たさにして桶を満たす。
庭には洗濯スペースがあり、後からきた自転車おじさん三人が代わりばんこに洗濯をはじめる。
40代か50代だろうか。みんな明るくて楽しい人たち。バルセロナから来たという。
その中で一人だけSevilla出身(バルセロナ在住)のおじさんがいて、熊のように毛むくじゃら。他の仲間が、彼はサンチョ・パンサだよと言って笑わせてくれる。
夕食はアルベルゲで頼めば作ってくれると言うことでお願いした。
メニューでサラダ、チョリソーと卵の炒め、ヨーグルト、ワイン&サイダー。
食後にのんびりと村を散歩をした。
家々の花がとてもきれいだった。





























8月6日(土)
07:00 Calzada de Bejar → 14:00
Fuenterroble de Salvatierra ( 20,2H)
/ Albergue 泊
牧場に朝日が注ぐ。とてもきれいだった。
二つ目の村の公園でお昼寝、次の村でバル。スーパーでは果物を水も買う。
この日は村を通る回数が多かった。
私は果物が大好きで、店を出た瞬間から買ったばかりの果物をかじり出す。
今回は、桃類が多かった。ネクタリンも含め、種類が多い。黄桃も白桃もおいしいい。
店ではたまに無花果も売っていたが、売り物は甘すぎてべっとりしており、やはり木からもぎって食べた方がよい。
最後の7.8kmはミカさんとおしゃべりしながら歩いた。
そして今日は Fuenterroble de Salvatierraに着いた。
アルベルゲはすぐに見つかったが、誰もいない。
隣の家の人に聞いてみると、別の家に連れていってくれて、そこのおばあちゃんが鍵をあけてくれた。
中はちょっと薄気味悪いほど独特の雰囲気があった。ここは村の人が集まる場所なのかもしれなかった。
また、巡礼の資料や文献がたくさんあり、本棚はそういった古い資料や本でいっぱいだった。
キッチンは清潔で、近代的だった。 広いわりにはベッドのある部屋は一つしかなく、所狭しとベッドが並んでいた。
その部屋にも壁じゅうに絵が描かれていた。
その中の一つのベッドだけ、誰かのリュックが置いてあった。
新しい仲間なのだろうか?
そのうち、ここの管理人が現れた。一見普通
の元気なおじさんに見えたその人は、牧師さんであることがあとでわかった。
その人は、あなたがここのホスピタレイロだと思って自由に使いなさいと言ってくれた。その言葉だけでその人の大きさが伝わった。
そして6時から隣町でミサがあるから、行きたかったら車で連れていってくれると言う。
思わずその人柄に惹かれ、行くと言ってしまった。
バスルームには長い髪の毛が捨ててあった。ちょっと恐いが、このリュックの持ち主かも知れない。
長い髪・・・女性?でもこの荷物の感じは男性?ってことは、髪の長い男性???
シャワーを浴びて出てくると、ほかに二人のおじさんがいた。
そして髪の長い若い男性もいた。
おじさんの一人は、私がシャワーに入っている間、ミカさんに話かけていた。その話を受け継ぎ聞くと、おじさんはもの静かな人だが、ちょっと興奮した様子で
「行く先々であなたたちの噂を聞いていたので会いたかったのですよ。」
最初はSevillaを出てSantiponceのカルメンの宿から、どこへ行っても『昨日、日本人の女性がふたり来たよ』と言われ続け、今日は40km歩いてようやく追い付いたというわけだった。
おじさん二人と四人ですぐそばのバルへ食事に行った。ガスパチョ、ロモステーキ、メロン。パン、ワイン。
おじさんの名はペドロ。マヨルカ島からやってきた。一生懸命話しかけてくる。 もう一人はさらに大人しいぺぺ。バレンシアから来た。ペドロはSevillaから。ぺぺはMeridaから歩きはじめ、Meridaの少し先で二人は出会い、それ以来一緒に歩いているようだった。
歩いている人さえ数えるほどの『銀の道』。外国人はほとんどいない。私たちのことは会う前から、知られていることが多かった。
ペドロは役所勤め、ぺぺはテキスタイル関係の仕事をしている。ぺぺはやはり去年の夏にフランス道を歩いていた。
8月1日から歩き始めたと言うので、イサベルと同じ日からだった。なんと、20日で歩いたということだった。(ロンセスバジェスから)あっちの道は涼しかったから歩けたんだと言うが、毎日40km歩いていたらしい。
ペドロはフランス道は初心者の道だと言い、この『銀の道』以外、ほとんどの道を制覇していた。
アルベルゲの裏庭は広かった。 巨大なパエリア鍋や大釜がある。きっと何かの行事の時に村人がここに集まるのだろう。 その一角に桶を置き、またまた足を冷やすのであった。
6時になる少し前に、私は急に疲れが出て、休みたくなった。今日はミサに行くのをやめることにしよう。
アルベルゲの前まで、車で来てくれる約束だった神父さんを待つ。 ほぼ時間通りにやってきた。私は疲れているので申し訳ないけれど、今日は行けないと言うと、すぐに了解してくれた。
あなたは神父さんなの?と聞くと、気軽にそうだよと答える。なぜかわからないが、この人は人を包み込む心の広さを持った人のように感じた。
少し休んだあと、ペドロがさっきの二軒並んだとなりのバルの奥にお店があることを教えてくれた。 行ってみると普通のバルである。果物はあるか聞くと、ドアが開き、びっくりすることにそこに小さなお店があるのだった。
アルベルゲに戻ると、二人のおじさんと髪の長い若者が表のテーブルの上に買ってきたものを並べ、夕食を食べていた。
私たちも中に入れてもらう。
私は日本では大食いの方だと思うが、一食メニュー(前菜、メインの皿プラスデザート、飲み物、パン)を食べてしまうと、ニ食めはもう軽いものしか食べられない。
果物などを食べていると、おじさんたちのチーズやトルティーヤをすすめてくれた。
また、バレンシア名物のジュースもいただいた。
髪の長いお兄さんはホルヘという名前で、ビルバオからやってきて、Salamancaからなぜか南下しているという。Caceresで友達と会う前にゆっくり歩きながら移動しているのだと言う。
三人のうち、片言の英語ができるのはペドロだけ。ペドロの英語は私のスペイン語以下だったので、電子辞書を使って交流する。
私も電子辞書を持っていきてるが、ミカさんも同じものを持ってきていて、彼女の方がよく使っていた。















8月7日(日)
05:30Fuenterroble de Salvatierra
→ 15:30 San Pedro de Rozados ( 28,6H)
/ Albergue 泊
朝はぺぺとペドロにくっついて一時間歩く。
誰かと一緒のときは、これがチャンスとばかり、前の日から約束しておいて、一緒に暗いあいだだけ歩いてもらうことにした。
私たちの資料では限界があるからだ。
今日は平地からスタートし、山に登る。現代的な風車が回っている。
その近くには牡牛が放し飼いにされている。 闘牛に出てきそうな曲がった角を持つ牡牛だ。そのイメージだと恐いが、牛はもともと大人しい動物だから、刺激しないようにそっと近くを通
り過ぎた。
後ろから親子の巡礼三人組がきた。 両親と15歳位の娘。昨日から抜きつ抜かれつ歩いていた。
彼等は小さなリュックしか持っていない。週末だけの巡礼者かもしれなかった。
三回目に彼らを抜く時に、お父さんが話しかけてきた。
三人は毎年少しづつこの道を歩いているのだと言う。子供が小さい頃から来ているらしく、今年は18歳になる息子はとうとうつき合ってくれなかったと嘆いていた。
それでも三人は絶えずおしゃべりをしながら楽しそうに歩いていたのである。
バルセロナから来たということだった。
アスファルトの道に出る。
その隣に歩行者用の土の道がある。土の道は足にやさしいだけじゃない。土があるから花も咲き、木もあるから涼しい木陰もあるのだ。
踏みしめる度にあたたかさを感じる。
そして踏み付けられながらもけなげに咲く草花。
いよいよ今日の目的地 Sanpedro
de Bozadosまで1kmの標識が見えてきた。 1kmと書いてあるのは怪しいと思ったけれど、あきらかに1km以上の長さがあった。
スペイン人と日本人の距離感の違いというのがあると思う。
すぐ隣というのはクセモノ。隣どころか歩いて5分以内のところだろうか。
また、私はあと2kmなら、3kmと思っていた方がいい。歩いても歩いても着かないよりは、あれ?思ったより短いじゃないのと思った方が疲れない。でも彼らはあと2kmなら、1kmと思った方が気が楽なのだという。
いつも思う。大きな違いは『今が一番大切な人たち』。これは11年前の旅で大きく感じたことだが、我々日本人は先のことを考えすぎてそのために準備したり、不安に思ったりする。彼らは今が一番大切だから、先のことはその時考えればいいと思っている。どちらがいいとは言えないが、私はスペイン的な考え方に憧れる。
楽しい『今』がづっと続けばそれが一番いいから。
やっと村に着いた。アルベルゲ探しは後にまわし、先にバルに入る。咽が乾いていたからだ。
すると奥にはペドロとペペが食事をしていた。
小さな村や町が多いから、それほどバルの数も多くはない。 それでも私たちが最初に入るバルにはたいてい仲間がいるのだ。
まだ着いたばかりでとりあえず一杯飲みたかった私たちは本格的な食事は後回しにして、ビールとタパスをつまむ。
二人はおいしそうな子豚の丸焼きを食べている。
この地方に来たら、『トストーン』という子豚の丸焼きを食べるのよ!とイサベルから教わっていた。
二人は食べきれないからと言って分けてくれた。
おお!おいしい!!! そこへ女性が話しかけてきた。
よく見たらあの三人ファミリーのお母さんではないか。お父さんと娘もそばにいた。
この村に一軒あるcasa ruralはこの三人で満員になってしまったそうだ。
ペドロとぺぺはすでにアルベルゲに荷物を下ろしている。食後一緒に連れていってもらった。
そこは小さな学校の裏の小さな小屋だった。 今回の旅で一番ボロい宿だった。 ベッドはなく、マットレスだけあった。それを並べる。おそらくミカさんと私だけなら逃げ出していただろう。
ペドロとぺぺが泊まっている以上、こういうところに泊まらなければ、仲間としての連帯感は生まれない気がした。
去年も一度似た雰囲気のところに泊まったことがある。しかしその時の方がまだましだった。
ここは暑いのと、ハエがうるさいのだった。
一人づつシャワーを浴びる。先に入ったミカさんが、怒って出てきた。何事かと思ったら、シャワーを浴びていたら、窓から村の中学生くらいの子供がシャワー室を覗いていたのだという。
ミカさんは青木さやかばりに『どこ見てんのよ〜〜〜っ!』と怒鳴ったそうである。
しばらくは憤慨していたが、自分でも思い出して、笑っていた。
私はお陰で無事にシャワーを済ませ、もう一度バルにくり出す。困るのは、お昼の時間をのがすと、下手すると夜の9時まで夕食が食べられないのだ。
まだ7時ころだったので、ちゃんとした食事は出来ない時間だった。ビールとタパスをつまむ。
帰りに村を見学していたペドロとぺぺに会った。ぺぺは公衆電話でお母さんと話をしていた。
奥さんに電話していたの?と聞くと、独身なのだと言う。 私はそれを聞いて以来、ミカさんに誠実なぺぺをおすすめしておいた。
スペインの夏は夜の9時ころまで明るい。部屋に帰ってからもまだ薄暗い程度。ペドロは盛んに歌を歌っている。なかなかいい声だったし上手だった。しかし止まらない。時々口笛になったりする。
今度は私たちに歌えと言う。ミカさんが子守唄を歌ってくれた。横になりながらそれを聴いて、みんなぐっすり眠った。




















8月8日(月)
06:30 San Pedro de Rozados →
14:00 Salamanca ( 23,7H)
/ Albergue 泊
今日は Salamancaである。久々の都会であり観光地である。
ガイドブックの通り歩いてきたらアルベルゲの近くまではこれたものの、入り口は閉まっていた。閉館しているようではなく、メモがあって、2時から4時までは鍵を閉めるとあった。
ほんの30分前に閉まっていたのだった。 きっとペドロ&ぺぺは着いた後だと思われたが、中には自転車が見えるが誰もいないようだ。
仕方がないので4時まで観光しながら待つことにした。
隣には植物園があり、ここにも観光客が足を伸ばすらしく、絶えず人が入ってくる。
カテドラルはすぐそばにあり、アルベルゲのロケーションは最高だった。
カテドラル内で スタンプをもらっていると、ホタテをリュックに付けた男性が歩いていた。彼はあとでアルベルゲで出会うアントニオだった。
カテドラルの天井は空まで突き抜けるように高い。内部を通
り、違う入り口から出てみると、にぎやかな中心に出た。 そこから見えるどの建物も重厚で素晴らしい。
目ぬき通りのバルに入り、大きな大きなビールを注文する。 Salamancaに乾杯!
去年出会ったフェルナンドに、語学留学をするならどこがいいかと聞いたところ、
Salamancaがいいと言っていた。スペイン屈指の古い大学の街だから勉強の環境もいいのだろうが、落ち着いた雰囲気、街全体の趣きがとてもいい。
そうだ!パキに電話をしよう。今までも何度も電話していたが繋がらなかった。今もまだ繋がらない。昨日はメールが入っていたので、とりあえず返事を入れておこう。 今日はパキの誕生日なのだ。『お誕生日おめでとう!』と書いて送っておいた。
4時になったのでアルベルゲに戻った。そこにはとてもやさしそうな中年の女性がいた。オーストリア出身の彼女は『フランス道』を歩き、ここで今は働いていて、スペイン語も上手だった。
アルベルゲの中はとてもきれいで感じもよく、私はここに住みたいと思うほどだった。
さっきカテドラルで会ったアントニオも4時を待って入ってきた。
自己紹介をし、彼は今日から私たちの仲間になった。
シャワーを浴びて服を着ていると、そこにイサベルがやってきた!
彼女がサラマンカに二泊することは知っていた。二人の友人が彼女に会うためにかけつけて、三人で過ごすという。だから、もしかしたら会えるだろうと期待していたのだ。
彼女もだいたいの私たちの予定を知っていたので、わかっていたのだろう。
再会に固く抱き合った。
さっそくイサベルがいない間に仲間になったペドロとぺぺを紹介した。ぺぺはイサベルと同じ日に去年フランス道を歩きはじめたと説明すると、すぐに二人は打ち解けていた。そしてイサベルでさえ、ぺぺの早足ぶりに驚いていた。
今夜は友人と食事をするが、夜には戻ってくるからと言い、私たちはペドロとぺぺと8時に夕食を食べるためにここで待ち合わせをした。
ここには他にもイタリア人のお兄さんがボランティアとして働いていて、日本が大好きだそうで、乾燥した梅干しを分けてくれたりした。
そしてミカさんと二人でまた街へ出て行く。
この街にもプチ・トランがある。今日はこれに乗ろうと決めた。 発車時間を待っているとイワンがやってきた!またこんなところで会えるなんて。今夜はコンサートに行き、朝まで騒ぐという。ホアンペも少し離れたところにいるではないか。
ちょうどプチ・トランが来たのでそこでお別れをした。
夕食にはペドロ&ぺぺとアントニオも来た。
少し歩くと、イサベルが道ばたで横になっている。友達二人もそばにいて、後で聞いた話によると、街中で急にめまいがして倒れてしまったのだという。彼女も疲れているようだった。
教えてもらったレストランに行ってみるが、一軒目はガリシア地方のレストラン。巡礼には関係が深いがせっかく
Salamancaにいるのだから、郷土料理の店に行くことになった。 ここにはおいしそうなレストランや個性的なバルがたくさんあってうれしい。
足の調子は良かったのだが、マメが治りかけている最中で、金属片のように固くなった肌の切れ端が、指の間のまだ生まれたての柔肌に当たってものすごく痛い。
マメでも筋肉痛でも炎症でもないのだが、これがかなりの痛みで、歩いているうちにひどくなってきた。
この固い皮をなんとかすればいいのだが・・・。
レストランに入りそれぞれ注文する。どれもとても美味しかったのだが、足の痛みの方が気になった。
アントニオは毎年一週間くらいだけ『銀の道』を歩いている人で、sevilla から三回目。それでも今回も途中までしか行けないようだった。来年あたりはSantiagoに到着する予定らしい。
15歳の娘がいると言っていた。
足の痛みは座っていてもつらく、一刻も早く部屋に戻って治療したかった。
しかし、私が二皿目をおおかた食べ終わった頃、おしゃべりのペドロはやっと食べはじめるところだった。
そして肉は小さく切り、時間をかけてゆっくり食べる。
早く食べてよ〜〜〜!と内心祈る。
今日は珍しく門限もあるのだ。10時までだと厳しく言われているのに、もうすぐその10時になる。
デザートも食べなきゃならないというのに!!! 門限に間に合わないよ〜と言っても気にしない。
この時から私はペドロが嫌いになった。(心が狭い!)
ぺぺとアントニオだって待っている。
でも、食事を急かすなんて、おそらくスペインではやってはいけないことなのだろう。静かに待っている。
アルベルゲまで急いで戻るが、10時半を過ぎていた。門はもちろん閉められていたが、
ガラスのドアから内部が見える。イサベルも見えた。
ホスピタレイロはすぐにはドアを開けてはくれない。
パニッシュメントが必要なのだろう。
ペドロはひざまずいてお願いする。 苦笑いしながらドアを開けてくれた。
融通の効くスペインのこと、どうにかなるものだけど優しい人で良かった!
お礼を言いベッドへ向かう。







































8月9日火)
05:30 Salamanca → 16:00 el
Cubo de la Tierra del vino ( 35,3H)
/ Albergue 泊
今日はイサベル、ペドロ、ぺぺ、アントニオとミカさん、私の6人で出発だ。
朝方は寒かったが、9時を過ぎる頃にはだんだん暑くなってきた。
ここはすでにカスティーリャ・イ・レオン地方に入っていた。
去年の道の中でも一番長い距離を歩いた地方だった。 今年も、この地方を歩く。なんとなく馴染みもあり、とても心地いい。
景色も似ている。なつかしさも混じって私はこの地方が好きだった。
今日は35km。最近は比較的短い距離を歩いていたのでビビっていたが、三回ほどゆっくり休んで思ったより楽だった。
多分気候が良くなったからということと、この地方の広々とした景色に、気が紛れるのであろう。
緩やかな丘が続き、山も少ないから、次の町まで直線で繋がれているため、町が見えてから真っすぐに早く着くような気がするのだ。
誰かが言っていた。Salamanca を過ぎると楽になるよと。
ただ、最後の車道は長く感じられた。
同じ距離でもアスファルトの照り返し、足に響く無機質な堅さのせいなのか。
また最初に入ったバルにペドロ、ぺぺ、アントニオ、そして若い男の子がいた。 私とミカさんは、特大ビールを飲み、一緒にアルベルゲへ向かう。
アルベルゲは小さな教会に併設されていた。 ふた部屋あって、一部屋はぺぺ、ペドロ、アントニオ、若いお兄さんがすでに入っていたので、別
の部屋に入る。
その部屋にベッドは4つ。そのうち一つが二段ベッドだった。 後で、おじいさんも隣の部屋に入り、完全にとなりは男性の部屋になった。
夕方イサベルが来た。彼女は一昨日から一緒の友達と今日も落ち合って、次の街、サモラで遊んできたそうだ。(ここまで歩いて、車で迎えにきてもらった。)まだその友達は外で彼女を待っている。今日のディナーを一緒に食べてお別
れするらしい。
イサベルは部屋に入ってきて、
「私はどこに寝たらいいかしら?」
と聞いてきた。 ミカさんと私はイサベルが来るのはわかっていたので、最初から、このベッドはイサベル女王様のだよね!と言っていたベッドがあった。ひときわ高さのあるベッドだった。
「This is for you!]
と、ふたりで隣のベッドを指差す。
バルで夕食を済ませ、アルベルゲに帰って来た頃、イサベルも部屋に戻ってきた。
となりのベッドのイサベルと、おしゃべりしながら眠りにつく。
「ねぇ、イサベル、ペドロたちとは気が合いそう?」
私はちょっぴり不安だった。ペドロとイサベルが仲良くなれるかどうか。 私自身はペドロもぺぺも嫌いではなかったが、ペドロの神経質そうに見えて、ちょっとだけ無神経なところが、イサベルの気をそこねないか心配だった。
イサベルは
「最初はあまり話をしなかったのだけど、今日はずっと一緒に歩いているうちに話をして、いい人だと思ったわ。」
良かった!
こうしてまた仲間が少しづつ増えていった。
どんなきっかけだったかは忘れたが、話が個人的な話題となった。
彼女には15年つきあっている彼氏がおり、二年前にイサベルが別の人を好きになって、それまで一緒に住んでいたのだが別
れていた。
この旅でSantiagoに着いたら、またその彼とやり直したいのだと言う。
彼女はいつも、目的地につくと、電話とメールをはじめる。いつも電話から手を離さない。そんな相手の一人はその彼なのだろう。
そしてこう言った。
「Fuenterroble de Salvatierra(ペドロとペペに初めて会った場所。)にあなたたちは泊まったかしら?たぶん私はあなたたちの一日前に泊まったのだと思うけど。あそこの神父様のことを、本で読んで前々から知っていたの。彼に会うことをとても楽しみにしていたのだけど、ちょうど出張中で会えなかったの。 すばらしいアルベルゲだったわね。その日はとても疲れていたはずなのだけど、不思議なことに、急にアルベルゲの掃除をし始めたの。キッチンは徹底的にやったわ。すべてを元に戻し、たわしで磨いて。バスルームまでは手が回らなかったけど、トイレットペーパーを、たくさん買っておいたわ。そして夜の12時にイワンとホアンペが来たのだけど、二人のためにパスタを作ってあげたのよ。自分でもなぜそんなに動けるのか信じられなかったわ。何か見えない力が私を動かすの。」
なるほど、キッチンはとても片付いて、清潔だったし、トイレットペーパーが大量
に積んであった。
「私はね、またそこを訪れて神父様とゆっくり話をしてみたいの。」
私が彼に会ったこと、そしてとても心の広い包容力のある人だったことを話した。
私もいつかまたここを訪れたいと思った。
私たちのおしゃべりも静まって、眠りにつこうとする頃、外は子供の遊ぶ声や、大人のおしゃべりの声が聞こえていた。
にぎやかだった。 なかなか眠れないでいると、今度は楽しい楽隊がやってきた。
そしてアルベルゲに入ってきた。
イワンとホアンペだった。
今日はどこからやってきたのだろうか。
イサベルが出ていって、二人を部屋に案内する。
暗い部屋のなか、私たちに気を使い、静かに寝どころを確保していた。
二段ベッドの上はイアン。イサベルのベッドを私のベッドに寄せて場所を作り、そこにホアンペが寝ることになった。



















Camino de Santiago via de la Plata 5
8/5(金) Aldanueva
del Camino → Calzada de Bejar (21.7km)
8/6(土) Calzada de Bejar → Fuenterroble de Salvatierra ( 20,2H)
8/7(日) Fuenterroble de Salvatierra → San Pedro de Rozados ( 28,6H)
8/8(月) San Pedro de Rozados → Salamanca ( 23,7H)
8/9(火) Salamanca → el Cubo de la Tierra del vino ( 35,3H)
